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2月 11 2016

歴史に学ぶ

11:15 AM ブログ

しかし、きいておけばいいのにね。これだけお蔭がある教えなのですから。

昨日、庄内川の帰りに小学生と会いましたが(中学生はまたどこかに消えました)マァ、どいつもこいつも憎たらしい連中ばかりでした。ヘラヘラ笑ってバカにしていく奴もいれば、足をすって音を立てていくのもいます。

大人をこれだけバカにしているのですから、もうどういう悪いことが起きても自業自得ということで了解願えるでしょう。

こういう嫌がらせを続けているのなら、普通であっても天罰はくだると思うからです。(それでもこの連中、悪いことが起きたら私のせいにしますが)

こういうバカ小学生と同じような人がこの辺りは多いのですが、しかし、キリストが「預言者は自分の故郷では歓迎されないものである」といわれた意味をヒシヒシと感じますね。

キリスト同様私も、地元ではまったく歓迎されていないからです。

キリストは自分の故郷であるナザレで一つの奇跡も現しませんでした。歓迎されていないことが分かっていたからです。

ナザレでキリストが教えを説かれても「あれはヨセフ〔キリストの父〕の子ではないか」「大工のせがれが何をいっているのか」(ヨセフは大工であり、キリストも若い頃は、その父の大工の仕事を手伝っていたからです)とバカにして、誰も真剣にキリストの教えを聞こうとしなかったのです。

故郷の人たちは小さな頃からキリストを知っていたからです。その若い頃のキリストのままであるとナザレの人たちは思っていたからです。

しかし、再びナザレに現れたキリストは過去の人とは違っていました。

すでに悟りを開かれ、多くの奇跡を現す救世主となっていたのです。

しかし、ナザレの人たちは(そのキリストの評判は聞いていましたが)それを認めませんでした。キリストの姿かたちしか見ていなかったからです。誰もキリストの心を観ようとはしなかったのです。

そのためキリストはナザレでは一つの奇跡も現すことはしませんでした。

現したところで、その奇跡を素直に感謝する人などナザレにはいなかったからです。下手に奇跡を現すなら、その奇跡をおかしく思うか(何か手品でもやっているのではないのかとです)あるいは、その奇跡をねたんだりひがんだりして、かえってその者たちの心を曇らせると思われたからです。

そのキリストの気持ちが今の私には痛いほど分かります。キリストがナザレでされたことと同じことを地元名古屋の人たちはしているからです。(まさに歴史は繰り返すですね)

ナザレの人たちが、もし、キリストが変わられていることに気づいて尊敬していたのなら、キリストはナザレでも多くの奇跡を現されたでしょう。

しかし、ナザレの人たちは誰一人キリストを敬おうとせず、昔のままのキリストでしかないと思い込んで、キリストの話を真剣に聞かなかったのです。

その結果、ナザレで奇跡が現れることはありませんでした。

この頃のナザレでも多くの病人がいたと思いますが、そのような人たちは誰一人救われることはなかったのです。

キリストの奇跡をまじかで見られ、その奇跡を自分たちの体を通して知ることが出来る、これほどの心が向上するチャンスはなかったのですが、そのようなチャンスをナザレの人たちはみすみす逃したのです。

本当に哀れなものですが(そんなチャンスはもういつあるか分からないからです。もちろん永い輪廻転生の間でもです)そのような哀れなナザレの人たちと、この辺りの人たちは同じことをしているのです。

私のいうことを真剣に聞き、心を変えるのであれば誰にでも奇跡は起きるのです。

しかし、この辺りの人たちは私の話を真剣に聞こうとしません。(このブログを読んでいる人は多いようですが)逆に「何をいっとるか」と逆らっているのです。

だから、災いが起きるのです。このブログに書かれていることは、釈尊が説かれた正法、キリストが説かれた福音と同じことが書かれてあるからです。(お蔭がこれだけ現れるのがそのよい証拠です。ここに書いたことを実践している人に奇跡が起きているのですから、その反対のことをするなら当然災いが起きるでしょう)

どれだけ不幸が起きたら、ここに書いたことに従うのですか?もう自分たちが間違っていることは明白であるのにです。

歴史は繰り返すといいますが、まさに現代の日本で二千年前のイスラエルで起きていたことと同じことが起きているのです。

いつまで同じ間違いを続けるのでしょう。同じ間違いを繰り返すのではなく、歴史からは学ばないといけないのです。

歴史から学ぶのであれば、本当の神の奇跡が起きるようになります。

せっかく本物の神の教えが日本に出現したのです。それを(読んでいるのに)きかないでいるなど、これほどもったいない話もありません。

法に従われてはどうでしょう。そうすれば、神の奇跡は誰にでも現れるからです。

追伸…昨日に引き続きもう少し政治のことを書きますが、議員定数の削減が2020年以降まで先延ばしされるそうですね。(まだ決定ではありませんが、自民党がそれをいいだしているのですから、ほぼ決まりでしょう)

野党は反発しているようですが三味線(しゃみせん)を弾(ひ)いているだけでしょう。心ではホッとしている人が多いのではないでしょうか。(特に民主党などはです。だいたいゼロ増五減の時でもあれだけ反対していたのです。それが定数を十も削減するなど考えられないでしょう。本当に三味線もいいとこです。〔笑〕)

しかし、有権者は引きますよね。

政治家は倫理が欠如した人とか、自分の保身しか考えていない人たちばかりなのかと思えてです。

こういう身を切る改革を後回しにばかりしているから、政治家は口だけだと思われてしまうのです。

政治家が有権者からさげすんで見られるようになったら終わりです。

もう少し身を切る改革の方も進めていただけないでしょうか。そういうことも出来て、初めて有権者は政治家を信用するからです。

政治家一人一人が奇跡を起こすようになれば、議員など少なくてすみます。(奇跡を起こせるような心になれば、一人の政治家が二倍三倍の働きをするようになるからです)

政治家の方々も少しは法を実践されてはどうでしょうか。そうすれば、様々な奇跡が起きてくるからです。

巷では奇跡を起こす人がたくさん出て来ています。

それなのに政治家が誰も奇跡を起こせないでは、ますます信用はなくなりますね。(笑)

2コメント

2 コメント to “歴史に学ぶ”

  1. ウナッシー2016/02/12 at 12:49 PM

    今週世間を賑わした宮崎議員は議員辞職をました。志し半ばでのことと語っていまたのが印象的でした。しかし、自分で罪を作っておきながら志し半ばとは一体なんなのでしょうか。国を変えていこうとする大義が有りながら個人の都合を優先した事を考えると、国を変えたい事は大義であると感覚的な捉え方をしていた言わば心からの信念ではなかった様な気がします。しかしながらメディアを通し謝罪及び辞職会見を行ったのだから、感覚的な反省ではなく真の反省をされる事を期待したいと思います。こう思うのはTVに映る方だからではなく、その姿を通して会見を見た人も真の反省とは何かを疑問を持って縁に導かれたら幸いと思います。

  2. gtskokor2016/02/12 at 8:28 PM

    結局、こういう順序をもらうのです。
    育休など男が取るものではないからです。(男は外で働かないといけないのです)
    いってはいけませんが、不倫などしている人は他にもいると思いますが(他の国会議員の中にもです)育休を取ると宣言したとたんに、そう宣言した議員の不倫が発覚するなどあまりにタイミングがいいのです。(悪いというのでしょうか?)
    これは天がそのような順序を与えたからでしょう。これだけタイミングがいいと、これから男が育休を取るのがまずいように思えます。
    そう思えるような順序を天が現したのです。男が子育てで仕事を休んでいるようではいけないからです。子育ての主は女の仕事であるからです。
    マァ、イクメンくらいにしておいてはどうでしょう。夫が子育てを手伝うのは当たり前のことでもあるからです。
    (今日は、家の前で工事をするというチラシをもらったので朝から出て行きました。東山動物園に行ったのですが、そのことは明日のブログで書きます)

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