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2月 16 2016

帰依(きえ)

10:16 AM ブログ

三、四日行かなかっただけですが、ずいぶん雰囲気が変わってしまいましたね。庄内川の辺りがです。(昨日はたまたまそう感じただけでしょうか?)

何か行った時からおかしかったのです。庄内川の川岸を歩いていてもいつもより静かに感じました。(横の堤防を走るトラック連中がです)

しかし、マァ、ブシュとやっていく奴はやっていきます。気のせいかとも思ったのですが、何か変です。

それに川岸を歩いてくる人がいつもより多いし、歩いて行く人が何もやっていきません。(いつもなら誰か彼か何かやっていきますから)

「何かおかしいな」と思いながら歩いていました。いつもより歩いている人は多いのに、いつもより静かであったからです。

しかし、横の堤防を走るトラックでやたら怒っているのもいます。(ブシュと思いっきりやっていくのもいましたから)このおかしさは庄内川を出てからも続きました。

庄内川からの帰り、私が歩いていても横の道路を走るトラックなどいつもより静かだし、そうかと思うとやたら怒っている市バスの運転手がいます。(思いっきりブシュとやられましたから。先週末から変わっていませんね。何か変です)

中学生はまた消えてしまいましたし、小学生はいましたが、なんと、その小学生連中が何も嫌がらせをしてこなかったのです。(初めてですね。こういうこと)

自分たちで笑いながら話をしていますが、横を通る私は無視しています。(私が「今日は嫌がらせをしないのか?」と聞いても無視です)しかし、まるっきり無視しているのかと思うと、引きつったような顔でこちらをチラチラ見ている者もいます。

みな何か態度がおかしいのです。

本当に世にも奇妙な物語をそのまま体験しているようですね。私一人が今この辺りで起きていることを知らないからです。(極端にいえばですけどね。全然態度が変わらない人もいましたから)

相変わらずどこかの会社は極端なのですが(静かにしていたかと思うと、急に怒ったようにでかい音をたててるし)もし、異様なことがそこかしこで起き出したのならです。

昨日も書きましたが、どの宗教に頼っても、もはや救われることはないでしょう。(どの宗教に頼っても、その現象は止められないでしょう)

もちろん怒ろうが、わめこうが、人に嫌がらせしようがそれでも止まりません。(それは皆さん経験済みだと思いますが)

この教えに帰依されることです。それ以外で救われる道はないからです。(庄内川で人が多かったのはそのせいなのではないですか?そうであるなら、この教えを勉強します、私に協力しますとはっきり宣言されることです。そうすれば、救われる道もついて来るからです。今のままでは救われませんよ)

この辺りの人は、その現象を私のせいにしていますが(もう、どれだけ説明しても分かってもらえない、というか自分たちが悪いとは認めないでしょうから)私のせいであれ誰のせいであれです。

恐ろしい現象が止まらず拍車がかかっているのは事実なのです。(だから、それだけやることが変わっているんですよね)

そうであるなら、どうしたらその現象が止まるのか?その現象が自分に現れないようにするのか?ということをまず第一に考えるべきなのではないでしょうか。

どうしたらよいと思われますか?

警察にいってもダメ(別に犯罪が起きているわけではないのですから)弁護士にいってもダメ(別に何かが原因で揉めてるわけではありませんし)医者にいってもダメ(病気になったのなら医者に行かないとダメですが、そのような病気になりたくないというのですから)もちろん既存の宗教では救われないとすでに分かっているのです。

では、どうされるのですか?

もし、救われたいのであれば道は一つしかないのです。では、その道を進まれるしかないでしょう。

この教えに帰依されてはどうでしょう。それ以外でもう救われる道はないからです。

追伸…これから父の三周忌がありますので、今日のブログはこれくらいにしておきます。

こういうことも、坊さんや寺の金儲けにしかすぎません。こういうことをしているからと死んだ人が救われるわけではないのです。(単にお経を上げているだけなのですから、それでどうして死んだ人が救われるのでしょう。お経の意味お分かりですか?)

生きている人から死んだ人までがです。本当に救われるのはこの教えを勉強し実践することだけなのです。

いつまでも意地を張らずに、少しずつでいいですから、この教えを実践し、私に協力していただけないでしょうか?

そうすれば、この辺りで現れている恐ろしい現象も自分に現れることはないからです。(正しい神の教えを実践すれば自分自身から神の光が出てきます。その光が、そのまま自分の身を守るということになるのです)

どの宗教を実践しても神の光が出てくることはありません。(だから、どのような宗教をやっている人にも恐ろしい神の業が現れているのです。その行いが間違っているからです)この本当の神の教えを実践しないと、自分の体から光は出て来ないのです。

これからは、そのような神の光の防護壁がなければどんな悪いことが起きるか分かりません。正法の世とはそのような時代であるからです。

もう奇跡を現す人もあちこちから出てきています。(これもまた正法の時代に入っているから起きることなのです。よいことも悪いこともより現れる時代が正法の世なのです)

本当のよいことを(法の実践に勝るよいことはありません)少し実践されてはどうでしょう。

そうすれば、本当に救われる道が観えてくるからです。

2コメント

2 コメント to “帰依(きえ)”

  1. ウナッシー2016/02/16 at 10:27 PM

    ここのところの勤務先での様子はというと、自分の計画した仕事を始めると応援依頼が入ってくるのです。自分の仕事が暇ではないのですがそれ以上に忙しいところがあるようでそうなるのです。しかし自分の仕事は誰も溜まる一方で、だから誰かが手伝うわけでもない。そんな中ですが、これも今は心の勉強でありこれをせねば次の段階へは上がれないと感じるから、誠心誠意感謝の心でさせて頂く実践をしています。

  2. gtskokor2016/02/17 at 9:09 AM

    そうしてあげてください。
    それはウナッシーさんが頼られている証拠ですから。人としての幅が広がってきている証拠ですから。(ただ自分の仕事もしっかりしてくださいね。何でも中道が大事ですから)

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