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2月 17 2016

心を変える

10:52 AM ブログ

二、三日前でしたか、ずいぶん気温が高かった時がありましたが(名古屋も23・5度もあって二月としては過去最高の気温を記録しました)昨日、今日はまた気温もガクッと下がり朝から寒いです。

最近は本当に極端な気温が続いていますが、これも中道の心を忘れてしまっている人が多いからでしょう。そのような人の心が極端な気温として現れているのです。

もう人々の心が現象として現れる時代になったのです。

その自分の心が原因で起きている現象を、いつまでも人のせいにしていたところで、その現象は止まらないでしょう。早く自分の心を変えることです。

そうすればその現象は起きなくなるからです。(やたら怒っている人がそこらじゅうにいますから)

昨日の庄内川の帰りのことですが、気のせいかもしれませんが、やたらこちらに向かい頭を下げている小学生がいました。(昨日は反対側の道路を通っていたものですから、よく分かりませんでしたが)

もし、謝る気があるなら、心からしっかり謝ることです。そうすれば、あなたに恐ろしい現象が現れることはないからです。

他の者に謝る気がなくても、一人でも謝る気があるならそうすることです。

一人でも心が神の方に向くのであれば、その心を神は喜ばれるからです。

こういうことを考えましても、すべて自分の心次第ということは分かるのです。

例えば私が、このように反省した人に対し、それでも許さないと祈ったところで、その反省した人に災いが現れることはもうないのです。むしろ奇跡が現れてきます。

私は誰に対しても同じ祈りしかしていないからです。

私は「この人を正しくお導きください」としか祈っていないのです。では、反省して心がよい方に変わっている人に、さらにそのような祈りをしたらどうなるでしょう。

これはもう奇跡しか起きません。その人の心がすでによい方に変わっているからです。

天は、その心を観て現象を現しているだけだからです。

だから私が、少し反省したくらいで許せるかと思い、いくらその人を祈ったところで、その人の心がよく変わってしまっているのであれば、どれだけ私が祈っても、その人に災いが起きることはないのです。

心がよい方に変わっている人に、さらに「この人を正しくお導きください」と祈るのですから、その祈りはもう「この人に奇跡を起こしてください」という祈りと同じであるからです。

だから、私は「自分の心次第である」といっているのです。

こう考えるなら、私のせいで悪いことが起きた、といっている人たちがいかに責任転嫁しているかよく分かります。

私に祈られる人たちは、祈ってくださいと頼まれた人か、何か私にちょっかいをかけてきた人たちばかりであるのです。(あるいは、このブログを明らかに読んでいるので、それなら少し祈ろうかと思った人だけです)

そのような人たちに私は同じ祈りしかしていないのです。

すると、ある人には奇跡が起き、ある人には災いが起きているのです。では、この起きて来た奇跡や災いは私のせいなのでしょうか?

私は誰に対しても同じ祈りしかしていないのにです。

同じ祈りしかしていないのに、祈られた方に起きる現象が違うというのであれば、それはもう祈られた側の責任でしょう。

こちらの責任ではありません。

それとも私が祈ること自体が悪いとでもいうのでしょうか?お寺や神社に行って祈る人はごまんといるのにです。(そういうことをいっている人も祈っているのではないですか?初詣など行ってです)

自分たちが悪いから悪いことが起きているのに、それを私の祈りのせいにしているとは、もうなん癖以外の何ものでもないと思いますが、その祈りにせよです。

私は何も縁のない人を祈ったりしません。そこに縁が生じたから祈ったのです。(頼まれたにせよ、嫌がらせされたにせよ、このブログを読んでいることにせよです。すべて縁があるからそうなったのです)

では、悪いことが起きているのは私のせいなのでしょうか?

これだけ自分たちで原因をつくっておいてです。(散々嫌がらせしたのはどなたでしたっけ?)

自分の心が悪かったから悪いことが起きているんでしょう。それなら悪いことが起きたのは自分のせいではないですか。(もちろん奇跡が起きたのも私のせいではありません。その人の心が神の心に叶っていたから奇跡が起きたのです)

私の祈りはきっかけにすぎないということです。その人の心が現象として現れているだけなのです。(行いもですけどね)

私に祈られ悪いことが起きたのなら、まず自分を反省することです。それは私の祈りのせいではないからです。

昨日は父の三周忌でした。一時間ほど坊さんにお経を上げてもらいましたが、何の奇跡も起きませんでした。

しかし、この法を実践するなら、すぐにでも奇跡は起きるのです。

これと同様、自分の心を変えるなら、その災いはすぐにでも止まるのです。

グダグダグダグダ嫌がらせなどしていないで(どこかの会社ですが)さっさっと心を入れ替えることです。そうすれば、そのグダグダ怒っている災いは止まるからです。

くだらない意地を張り続け、心を変えずにいるようでは、いつまでたっても災いは止まりません。

心を変えることです。そうすれば、それだけで奇跡が起きてくるからです。

(ほんとボサッとしていると滅ぼされますよ)

2コメント

2 コメント to “心を変える”

  1. ウナッシー2016/02/17 at 11:27 PM

    ストレスが原因となっている事件が多く感じられます。如何に感謝して為すことが難しいものかと改めて考えれます。してあげている、やってあげている。そんな思いから膨らんだ歪みのある行いが原因ではないのでしょうか。私が最近心掛けているのは、きちんとした挨拶と感謝の声掛け、労いの声掛けです。
    想いだけでは伝わらない心の形を現せるようにいています。家族、上司、同僚など日々を共に過ごす縁ある方々にしています。感謝仕切って為すためのルーティーンみたいなものと考えているからです。

  2. gtskokor2016/02/18 at 9:09 AM

    よいことです。頑張ってください。

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