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2月 29 2016

法の後継者

11:01 AM ブログ

前回のGLAの人との話をもう少し書きましょう。

その人は、高橋信次先生の後継者は佳子氏であり、だから、信次先生と佳子氏は同じことを説いているといわれていました。

しかし、佳子氏が信次先生と同じことを説いている後継者であるなら、信次先生と同じ奇跡が起きないといけません。

しかし、佳子氏に信次先生のような奇跡は起きていないのですから、信次先生の後継者が佳子氏であるとはとても認められないということです。

だから私は「信次先生の後継者が佳子氏なんて、そんなのGLAの人がいっているだけですよ」といったのです。

その人に「佳子さんに、この鳥が寄ってくるような奇跡が起きているのですか?」と聞くと「足元まで寄って来ていないではないですか」となかなか、この奇跡を認めようとしませんでした。

では、佳子氏にどういう奇跡が起きているのかと聞いても、その人は答えようとしません。

そして、奇跡の話から別の話に変えよう変えようとしていることがよく分かりました。(佳子氏にはよほど奇跡が現れていないのでしょう。そういう人が信次先生の後継者というのですから笑ってしまいます)

その人は「あなたは奥さんとうまくやれていますか?(残念です。私に奥さんはいません。〔笑〕)家族間の仲はよいのでしょうか?そういうことをうまくやることが奇跡でしょう」と調和することと奇跡が起きることをごっちゃにして話してきます。

調和することと奇跡は違うのですが、調和することが奇跡であるというのですから、GLAのレベルの低さが分かります。GLA内ではそういうことが(家族間の仲のいいことが)奇跡であると思われているようです。(苦笑)

しかし、こういうことをいっている人は案外多いのです。どこかのオジちゃんとオバちゃんもこのようなことをいっていたことがあるからです。

改めて高橋先生の弟子たちのレベルの低さが分かります。まったく奇跡的なことが起きていないのでしょう。だから、調和することが奇跡であると勘違いしているのです。

奇跡を起こすためにはもちろん調和しなければいけませんが、調和は奇跡が起きる前の段階なのであり、本当に調和するなら、その後必ず奇跡的なことは起きるのです。

その調和の先の奇跡のことをいわないというのですから、そうであるならこの人たちは調和さえまともに出来ていない、そういうレベルの人たちであると思わざるを得ません。(調和するなら何か奇跡が起きるのです。その奇跡が起きていないということは調和さえ出来ていないということです)

そういう話をしている間にも、数羽のすずめがすぐ近くまで飛んできて「ピィーピィー」鳴いています。

私はその人に「ほらほらまた飛んできた。足元まで寄ってこなくても、これだけ鳥たちが近くまで飛んでくるのです。これは奇跡なのではないのですか?」「あなたは私に家族間の仲はいいのですか?と聞かれますが、家族間の仲が悪くてこういう奇跡が起きますか?そういうことがすべてよく(調和されて)なければ奇跡は起きないはずです。少しでも自分に悪いところがあるなら奇跡は起きません。この起きている奇跡が、そういうことはすべてうまくやれているという証拠なのではないですか」と立て続けに話しました。

「それはそうですね」とその人もいいます。

続けて私は「お釈迦様が法を説いていられた時も、このようにすずめや鹿などの動物たちが寄って来てお釈迦様が説かれる法を聞いていたといいます。その同じ現象がいま起きているのです。本質が同じなら、同じ奇跡が起きるのが当たり前なのではないですか?」と聞きました。

またその人は「それはそうです」といわれます。

では、私と佳子氏とどちらが正しいのかは分かりそうなものですが、その人はそういう話をすると話をそらすのです。

これ以上はなしても、その人は自分たちの間違いを認めないだろうと思いましたので、適当なところで切り上げ「私のブログを読んでください」といって帰ってきましたが、昨日のウナッシーさんのコメントにも書きましたが、この人が自分たちの間違いに気づいてくれることを願うばかりです。

最初に書きましたが、このような何の奇跡も起きないような人たちが高橋信次先生の後継者を名乗ること自体、ちゃんちゃらおかしいのです。

正しい法を説いているなら、必ず天上界の協力を得られ様々な奇跡が起きるからです。

それは私を知ってもらえれば分かると思います。このブログに書いています通り、私には毎日のように奇跡が起きているのです。(これほどの奇跡は天上界の協力を得られていなければ起きません)

このような次々起きる奇跡は、高橋信次先生の弟子の中では園頭先生一人に起きていたことであり、だから私は、信次先生の後継者(法の後継者)は園頭先生であるといっているのであるし、園頭先生の後継者は私であるといっているのです。

数々起きる奇跡がそれを証明しているからです。

このようなことを考えるなら、身内であったということになにほどの意味があるのでしょう。身内であるかないかというのは、単に今生(だけ)の縁が深いか浅いかそれだけのことだからです。(前世は家族ではなかったのに、今生は家族になっている人などいくらでもいるからです。現に高橋先生の奥さんは前世は高橋先生と家族ではありませんでした。高橋先生〔釈尊〕の弟子の一人であったのです。娘の佳子氏も同じです。前世で高橋先生の子供〔ラフラ〕ではありませんでした)

そんな今生だけの肉体の縁など何の意味もないのです。法を継ぐのは血統ではなく霊統であるからです。血のつながりなど法の世界では何の意味もないからです。(霊統とは、心が高い人という意味です)

だから、娘であるというだけで佳子氏が高橋信次先生の後継者である、などとはちゃんちゃらおかしいのであり、高橋先生と同じような奇跡が起きている人こそが信次先生の後継者である、即ち法の後継者であるということです。

口だけではダメでしょう。モーゼはもちろんですが、釈尊やキリストなど正しい法を説いている方々には天が(天上界が)協力しますので必ず多くの奇跡が現れます。

その多くの奇跡が現れている人こそ、法の後継者であるということです。

そうであるなら法の後継者が誰であるのかはおのずと理解出来るはずです。

口ではなく、多くの奇跡が現れている人こそ本当の法の後継者であるのです。

(だからこそ、そんな法の後継者に怒ってばかりいてはいけないのです。また何か起きたのですか?〔激しい怒り方をしていますが〕では「助けてください」と頼みに来ることです。そのような現象を抑えることが出来るのは法の後継者だけだからです)

2コメント

2 コメント to “法の後継者”

  1. ウナッシー2016/02/29 at 12:44 PM

    昨日も書きましたが、ここのところ感謝することの気付きが増えているような気がします。受けた心に感謝することや相手を思いやって心を尽くす。そうやって人との繋がりの中で心の循環が出来ているような気さえします。出来て当たり前え、やってもらって当たり前。それらの前提にはお金のやり取りや自分の立場相手の立場に正当性を強いる。そんな間は決して感謝など出来る筈もないでしょう。この大自然の中で天に向かいお金をかざしても何も変わらない。雨が少ないからと天に向けてお金をかざして、雨をと言ってみたところで雨が降る筈もないし、俺は社長だ、部長だと天に向けて言ったところで何も変わらない。そのような事からしても何が大事であるのか、縁を通して気付いてもらいたいと思うのです。

  2. gtskokor2016/02/29 at 2:10 PM

    確かにそうですね。しかし、そういう気づきになかなか気づかない人が多いのです。(気づこうとしないだけかもしれませんが)
    何が起きても(どれだけ現象を現しても)気づこうとしないのですから、天上界も頭が痛いでしょう。

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