3月 06 2016
当たり前の行為
しかし、本当によく怒っていますね。
昨日は白鳥公園に行き横の堀川を歩いていたのですが、白鳥公園の横にある白鳥庭園の向こうで工事をしている連中がやたら怒っていました。(私が近くを通るとガンガンやってきました)
その連中は私に散々嫌がらせをしていたはずなのにです。(そうであるなら、悪いことが起きても自業自得だと思いますが…何で怒るのでしょう?)
昨夜も、どこかの会社の連中はやたら怒っていました。(この時期は〔二月中くらいから四月中くらいまでです〕この会社、ずいぶん忙しいようで夜の十二時過ぎまでやっています。本当に迷惑です。夜中でも平気ででかい音を立てるからです。これだけ常識がないのです。悪いことが起きてもある意味当然であると思いますが…)
そうかと思うと前と比べ運転手連中はずいぶん静かになりました。(こう書くとすぐにブシュブシュやってくる、このブログの愛読者もいるのですが。〔笑〕)
最近はずいぶん態度が変わった人が多いのですが、どうせならもう少し変えてはどうでしょう。その方が救われるからです。(中途半端はいけません。それでは災いは止まらないからです)
私の祈りはあまり関係ないということも分かったのであるし(ゼロではないのでしょうが。どこかの会社など寝る前の祈りをやめても災いは起き続けているようですし)自分たちの行いが悪いから悪いことが起きているのです。
では、その悪い行いを変えればよいことが起き出すのですから、変えた方がいいのではないでしょうか。誰でも、悪いことが起きるより、よいことが起きた方がよいと思うからです。
だいたい、このブログでいろいろなことを教えてもらい(正しい心の在り方などです)心を救ってもらっていながら、そのお返しが嫌がらせでは話にならないでしょう。
どうして、そんな明らかに自分が悪いと分かるような態度を取っていながら、その行いのせいで起きてきた天罰を人のせいにして、なお悪いこと(怒ってさらに嫌がらせ)を続けているのですか?
そんなことをしていてよいことが起きるわけがないでしょう。
何で、こんな簡単なことがいつまでも分からないのか本当に不思議ですが、このブログを読みいろいろ知ったことは事実であるのだし(いろいろ起きている現象も含めてです。祈ってそういうことが起きるなど誰も知らなかったんですよね)少しは私に感謝されたらどうでしょう。
感謝が足らないから(そういう行いが悪いから)そのような悪いことが起きているからです。
「お前のいうことなど聞けるか」ではなく、常識の話をしているのです。
全然知らなかったことを教えてもらっているのです。
では、感謝するのが当たり前のことなのではないでしょうか。それが人としての常識であるからです。
非常識なことばかりしているから悪いことが起きているのでしょう。それが何で人のせいになるのですか?
本当に意味が分かりません。
このブログを読んでいるのに、そのお返しが嫌がらせではあまりに人の道から外れているのです。(この前、どこかの国会議員が奥さんの妊娠中に堂々と不倫して非難されて国会議員を辞めましたが、あれと同じことを私に嫌がらせをしている人たちはしているのです。どちらも人の道から外れた行為であることにはかわりがないからです)
お返しを嫌がらせではなく、感謝の心で布施されてはどうでしょう。そうすれば災いが現れることはないからです。(どれだけ嫌な奴であろうと、その嫌な奴のブログを読み続けいろいろ教えてもらっていることは事実なのです。〔なんでそんな嫌な奴のブログを読み続けているのか、その意味もよく分かりませんが〕それには感謝の心で応えないといけないのです。よいことをしてもらったことは事実であるからです)
こういう嫌がらせをしている人たちもそうですが、このブログを何年も前から読んでいて、一度も布施をしようとしない人たちも同じなのです。
私に、よいことをしてもらったのはまぎれもない事実なのです。
このブログを読み、知らないことを知った人は多いと思います。(どれほど頭のいい人がこのブログを読んでいるのか知りませんが、その人は知っていましたか?正しい祈りはきかれるということをです。神やあの世の存在をです)
知らないことを知ったどころか、お蔭まで(よい方のです)あったと思われる人までいるのです。
では、感謝して快く布施くらいしてくれるのが当たり前のことなのではないでしょうか?私は何度も布施してくださいと頼んでいるのですから。
何年にもわたって、そういうことを一切しようとしないというのは、やはり人の道から外れた行為であると思われないでしょうか?(私は、その布施の金額さえ指定したことなどないのです。お気持ちだけで結構です、と何度もいっているのです。それでも頑として出そうとしないのです。ここまで来ると人の道から外れていると思われないでしょうか)
普通の社会人であるなら、それくらいの常識はあると思うからです。(子供でもこれくらいの常識はあると思います)
このブログを見ている人たちは、ことのほか常識外れの人が多いのでしょうか?そんなことはないはずです。
常識のある人が多いと思いますので書くのですが、今のような態度は(人として)大変恥ずべき態度であるのです。
そのような態度は直されてはどうでしょう。このブログを読んでいる人たちは、普通では知り得ないようなことを知らされているからです。(この世で法に巡り合うことの難しさは何度も書いています)
お寺や神社にお参りに行き、お賽銭を投げない人はまずいません。
しかし、そういう場所に行ってお参りしても、まずお蔭はありませんが、この教えを実践するなら確実にお蔭があるのです。
その確実にお蔭がある教えを毎日のように教えてもらっていながら、お賽銭を投げない人がほとんどでは話にならないでしょう。
少しくらい布施されてはどうでしょう。
それが人として当たり前の行為であるからです。



人目の訪問者です。

我が家の父はもう定年して何年も経ちます。その父が自分の妻の手伝いをしようと食後に食器を洗っていたそうです。そしたらよくありがちなミスで、洗剤で手がスベリ食器を割ってしまったそうです。その話を家内から聞いた私は「怪我は無かった?」と聞きました。そしたら意外にも、お父さんって優しいねと言うのです。手がスベリ食器を割る、割れた破片で手を切る。そんなイメージであったのですがね。その時は父の妻と家内とで割った事にだけに話をしたようです。私としては普通の事かと思ったのですが普段の様子が分かった様な気がします。
女の仕事に男が手を出すと、女は腹が立つようですし(何をしてもです)男の仕事に女が口を出すと、その仕事は左前になるようです。
役割が違うからです。
何度もいいますが、役割の違いは認識しないといけないでしょう。(何でも平等、同権は間違いであるということをです)