6月 18 2011
科学的根拠①
先日、民主党のある議員がテレビで「東海地方は百二十年に一度の周期で大地震がきている(前回大地震がきてから)もう百六十年たっているので、いつ東海地方に大地震がきてもおかしくない」と言っていました。
おかしくないと言いながら、この人ずいぶんおかしなことを言っているのですが、本人はまるでそれに気づいていません(笑)。周りの人も気づいてなさそうでしたが、私のブログを読んでいる方なら、どこがおかしいかすぐ分かられると思いますが…どうでしょうか?分からない人は、私のブログをあまり真剣に読んでいられないのでしょうね(笑)。
これを次のように書き換えるとよく分かると思います。
「東海地方は百二十年に一度の周期で大地震が起きると神のお告げがあった。前回の大地震が起きてからもう百六十年たっているので、いつ東海地方に大地震がきてもおかしくない」
このように書けば、おかしなことを言っていると気づかれる人も多いのではないでしょうか。
この民主の人「百二十年に一度の周期で大地震が来る」と言っていながら「前回大地震がきてからもう百六十年たっている」と言っているのです。
ということは百二十年の周期で大地震が来る、ということは間違っているのではないでしょうか?(すでに前回の大地震が起きてから百六十年も過ぎているのですから)これは「東海地方に百二十年に一度の周期で大地震がくるという説は間違いであり、もういつ大地震がくるか分からない」というのが正解であり正しいのです。
つまり科学的根拠を元に言っている、という話の科学的根拠を、神のお告げに変えるとどこがおかしいかすぐ分かるのです。
これだけいい加減な話を科学者が言えば信じ、そこらの訳の分からない宗教家が言えば、まるで信じないのが現在の多くの人々なのです。
何度も言いますが、これだけいい加減な数字を出してくる科学を、盲目的に何でもかんでも信じてよいものなのでしょうか。一体この「東海地方は百二十年に一度の周期で大地震がきている」という根拠は何なんでしょう?そのような大地震が何度か続いたということだけなのではないでしょうか?
このようなあやふやなものが根拠になるのでしょうか?
しかし「科学を根拠にしなかったら、では、何を根拠にしたらいいのか、他に根拠にするものなどないではないか」と言われる人もいるでしょうが、そのような人にも困りますね、もっとしっかり私のブログを見ていただかないと(笑)。あるではないですかここに、これ以上ない根拠が(笑)。
それは私の書いている法を根拠にすればいいのです。ブッダの説かれた法なら根拠にしても誰も文句はないでしょう。ブッダの法を根拠にするならば、何もかも、このような原因があるからこのような結果が出たのだ、と分かります。まさにこれこそ正真正銘の科学ではないでしょうか。(物質ではなく精神の方ですが)
私は前に少し書きましたが、大きな災害がよく起きる地域と、あまり起きていない地域に住む人の心の傾向性を調べてみるといいのです。必ず、どこか考え方に大きな違いが出てくると思います。そこに原因があるのです。
現在は福島原発の事故のせいで日本だけでなく、世界でも「脱原発」の声がずいぶん上がっているようです。
その福島原発の福島の人たちを例に挙げて書いてみましょう。(今の時期にこんなことを書けば批判を受けるのは分かっていますが、法の正しさを理解してもらうためには、私が少々批判を受けようがかまいません)
よくテレビでは「福島の人たちは何一つ悪いことをしていないのに原発事故のせいで住む家も住む場所も奪われた気の毒な人たちだ」といわれます。
私も「原発事故のせいで住み家も住む場所も奪われた気の毒な人たちだ」という部分は同感です。私もそうだと思います。しかし、前の「福島の人たちは何一つ悪いことをしていない」という部分は違うと思います。
私は法を知っています。ですから福島の人たちが、一つも悪くなければあんなことは絶対に起きないということも知っています。(神がそんな無慈悲なことをされるわけがないからです)福島の人たちは何か悪いことをしているのです。
では、福島の人たちがどのような悪いことをしているのか、ということですが、それは私が先ほど言った心の傾向性を調べてみると分かると思います。
私は福島の人たちをまったく知りませんので、これから書くことは憶測になりますがご了承ください。
一つ不思議なことがあるのですが、今回の大地震で地震と津波の被害にあった原発は福島原発だけではありませんでした。宮城の女川原発も同じように(というか宮城の方が地震と津波で亡くなった方、行方不明の方がはるかに多いのですから、女川原発の方が福島より強い衝撃を受けていると思いますが…)被害にあいました。ところが女川原発は少々の事故はありましたが大事には至りませんでした。
なぜこんな違いが出たのでしょうか?
物質面から見れば、やれ女川が高台にあったからだとか、運がよかった(こういうことをいう時点ですでに物質科学ではないと思いますが)とか、言われていますが、その原因ははっきり分かりません。衝撃度でいえば女川原発の方があったはずなのに、なぜ、女川は福島のようにならなかったのでしょうか?
あまりこのブログに、いい加減なことを書いてはいけないと思い、先日福島県と宮城県のホームページを見てみました。すると、福島県知事は社民と民主の推薦を受けていて、宮城の知事は自民の推薦を受けていたのです。(前回当選の時ではありますが)
民主と社民の推薦と自民の推薦では、福島と宮城では知事の考え方に大きな違いがあると思います。



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