3月 24 2016
正しい判断
この世に生まれてきますと、どうしても肉体が一となります。だから、間違ってしまうのです。
多くの人が判断を間違う一番の理由は、この肉体を優先するということにあるのです。
テレビなどでもよく「命が一番大事」「命さえあれば後はなんとかなります」と災害など起きるといっています。
こういうことをいわれると、命さえあればそれでいいと思ってしまいますが、本来はです。命をなくしてもやらなければいけないことがあるのです。
それが私がいつもいっている「神の心を知る」(ということは即ち法を知るということです)ということと「心の成長」なのです。
別に私は「法を知るなら死んでもいい」とか「心が成長するなら命をなくしても仕方がない」といっているわけではありません。
肉体を粗末にしていいといっているわけではありませんが、そのように肉体ばかり見て、心を観ない人があまりに多いから「肉体ではなく心が一番なのですよ」ということをいいたいだけなのです。
だから私は子供であろうと平気で祈るのです。肉体など見ていないからです。
法を説いている者に平気で嫌がらせをしてくるのです。その心を観るなら、これだけ悪い行いはありませんし(釈尊やキリストに嫌がらせをするのと同じことなのです。これ以上悪い行いはないでしょう)肉体はともかく、心はみな大人なのです。
では、神の使いに嫌がらせをした方がいいのか、それともよいことをした方がいいのかは、ちゃんと判断できるはずです。(それはどういう噂を聞いていようとです。自分で判断するのです。それが心の勉強だからです。自分が試験を受けているのに、人の意見など聞く方が間違っているのです。〔それだとカンニングでしょう〕)
しかし、その正しい判断が出来る人が少ないようですので、では、その行為が正しいのか、間違っているのか、天にきいてみましょうということで祈っているわけですから、その祈りの対象が大人も子供もないわけです。
もし、私が祈ってお蔭が現れるなら、これ以上その人の心によいことはないからです。
あくまで心が一なのです。肉体ではありません。そのお蔭で肉体に何か影響が出ても、それでもそのようなお蔭があることによって気づくことがあるのです。
その心の気づきが大事であるといっているのです。その気づきが自分の心を大きく成長させるからです。
きついいい方をするなら、その祈りで仮にその人が命を落とすことになってもです。それでも気づくことの方が大事なのです。
何度もいいますが、肉体よりも心が大事であるからです。
このように書けば「なんてあいつは冷たい奴だ」「子供の命がなくなってもよいというのか」と思う人もたくさんいるでしょう。
では、そのような人にお聞きします。
「天は無慈悲なのですか?」「天は冷たいのでしょうか?」とです。
この世は多くの天変地変が起こります。それで多くの命が失われているのですが、あの天変地変は自然現象ではありません。
すべて、天が起こしているのです。
では、天も多くの人を殺しているではないですか。(しかも大人も子供も関係なくです)あのような天の行為は冷たいのですか?
無慈悲なのでしょうか?
そうではないはずです。天は太陽の光を与え、雨を降らせ、風を吹かせて、多くの恵みを私たちに与えてくれているのです。
天は無慈悲なのではなく慈悲深いのです。
では、なんでその慈悲深いはずの天が天変地変など起こすのでしょう?天は善いことも悪いことも両方するとでもいうのでしょうか?
そうではありません。天(神)の心は善しかないからです。
では、何で天変地変を起こすのでしょう?
このブログを長く読んでいる人たちはもうお分かりになりませんか?天の心がです。
そのような天変地変も慈悲であるということです。
だから天変地変が現れるのです。それも天の慈悲の心の現れであるからです。
これがこの世に出てきてしまうと分からない「何で天変地変が慈悲なのか」「多くの人が死ぬことになるのだから無慈悲なことでしかないだろう」となってしまうわけです。
最初に書きましたが、この世に出てしまうと肉体優先になってしまうからです。心を二の次にしてしまうからです。
だから、天変地変を起こす天の慈悲の心が分からないのです。
この天の心は、私が先ほど書いたことと同じです。天は心の成長を第一に観ているからこのような現象を現しているのです。
そのような現象を通し、心を成長させるためです。
よく災害が起きると「何の罪もない人が、このような災害で犠牲になって」とこれまたテレビでよくいっていますが、このような人たちは罪がないわけではないのです。
罪があるからそのような災害が起きているのです。
そのような災害を受ける人たちは、絶対に何か罪をつくっているから、そのような災害を受ける羽目になるのであり、その災害を受けた人の中にも、亡くなる人もいれば、けがをする人もいる、またはまったく無傷であった人もいるのです。
そのような結果で、自分たちのこれまでの罪が分かるのです。
その災害で、亡くなるような人たちは、これまでよほど悪いことを重ねてきたのでしょう。だからあの世に引き上げられるのです。
そうして、けがをした人たちは、反省すべき点はあるもののまだこの世で勉強しなさい、ということで残されているのであり、無傷であった人たちは、それほど悪いことを重ねてはいないが、そういうことを起こされるのですから、現時点で反省すべき点が多々あるのであり、その部分を反省しなさいということでそのような災難に遭遇しているのです。
このような天変地変も、すべて、そのような自分たちの悪いところを気づかせるべき気づきの現象なのであり、天のこれ以上の慈悲はないのです。
多くの人が一変に(自分たちの悪いところに)気づくことになるからです。
これが最近は気づかないのです。こういうことが起きても全部責任転嫁するからです。
しかし、昔の人がいっていたように、このような災害が起きるのは、天が怒っている証拠なのであり、そのようなことが起きた場所の人たちは、自分たちの心をよく反省しないといけないのです。
そうしないと、また同じことが起きるからです。
もちろんこれは、この世の法律にひっかかているから、そのようなことが起きたのではなく、神の心に逆らっている人が多いからこのようなことが起きたのです。
だから私はいっているのです。法(神の心)を知らないといけないとです。
そうしないと、平気で罪をつくり天を怒らせ、また天変地変など現されるからです。
だから、それはこの辺りも同じなのです。法の大事さを分からず、その法の流布を平気でじゃまはする、その法を説いている人に平気で嫌がらせはする、とやりたい放題です。(これだけ悪いこともありませんから。法は多くの人を救うのです。そのじゃまや嫌がらせです。それでは多くの人の救いをじゃましていることになります。だからこれだけ悪いことはないといっているのです)
これでは天罰が当たらない方がおかしいですし、その天罰まで私のせいにしています。
これだけ悪いことをし続けていれば、天は多くの天罰を現すのです。
この辺りで災い(天罰)が多い理由はそれなのです。
しかし、その天罰も天の大いなる慈悲であるということを知ってください。
天は(当然私もですが)肉体など見ていません。心、その一点を観ているだけなのです。そうして、その心が悪ければ、様々な現象を現してよい方に導くのです。
それこそが一番の慈悲であるからです。
早く気づいてください。自分たちの心がどれだけ悪いかということをです。
そうして、その心を観なければ正しい判断は出来ないということです。
追伸…こういうことを考えましても、私が祈って恐ろしい現象を現している、というのはお門違いな意見なのです。
すべて、自分の心がその現象を現しているからです。
昔からこのようなことはあったのです。(罰が当たるということはです)それを多くの人は理解していなかっただけなのです。(罰など当たらないと、甘く考えていただけなのです)
それがよく理解出来るようになった。(現れるようになった)それだけのことなのです。
昔の人は、悪いことが起きると「罰が当たったのだから、悪いことはしてはいけない」とすぐに自分を反省したものですが、最近の人は、どれだけ悪いことが起きても反省しません。(責任転嫁ばかりです)
そういうこともまた大きな罪となっているのです。
もう次々に罰が当たる時代になりました。悪いことが起きたら「自分が悪かった」とすぐに反省することです。
これからの時代、そういう人だけが救われて行くからです。
(しかし、皆さんが私と同じ立場になったら、多分うつになるか犯罪者になるかのどちらかでしょう。私は、そこらのじゅうで嫌がらせを受け、小、中学生などが平気でバカにしてくるのです。そのバカにしてくるような小、中学生をそれほど無視できますか?〔そこらじゅうでされるのですよ。まずキレますね〕私が祈っている部分だけ見て「小学生を祈っているなどなんてひどい奴だ」と思うのは早計でしょう。普通の人ならまずその小学生をボコボコにしているはずだからです。〔苦笑〕ずいぶんこの辺りの人、私に悪いことをしている人が多いのですが、その天罰が次々にくだり始めたようです。〔今日は前の会社がやけに静かです。昨夜よほどのことが起きたようです。かなり怒っていましたから〕早く反省された方がいいでしょう。悪いのはそちらなのですから。〔これほどのことが起きているのです。もう早くそれを認めた方がいいです〕反省して私に詫びを入れることこそが、唯一、そのような人たちが救われる道であるのです)



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