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4月 03 2016

善人か、それとも偽善者か

10:52 AM ブログ

何か、昨日も食らっていたようですが、どれだけ天罰を食らえば分かるのでしょう。自分たちが悪いとです。(どこかの会社ですが)

外を歩けば、やたら怒っている人、黙ってしまった人などたくさんいますが、そういう人たちもまだ分からないんでしょうか?

自分たちが悪いとです。だから自分たちに悪いことが起きているのです。

多くの人はこれまでずいぶん悪いことをしてきているのです。

多くの悪いことをしてきているのですから、自分にその天罰がくだるのはある意味当然のことなのですが、その自分の悪に気づかず自分は善人だと思いこみ「何で何も悪いことをしていない自分に悪いことが起きるのか?」となって「だから悪いことが起きたのはお前のせい」ということになってしまうのでしょうが、まったく違います。(よくここまで勘違いが出来ます)

本当の自分は実は善人ではなく悪人であったのです。

それにこれまで気づいていなかっただけなのです。

人の悪口をいったことはありませんか?嘘をついて人を騙したことはないのでしょうか?人に嫌がらせをしたことはありませんか?

そのようなことは皆悪いことなのです。そういうことをしている人は、どれだけ善人のふりをしていても、それは偽善者でしかないのです。

「そんなことは誰でもしている」ではありません。そういうことをしているから天罰を食らうのです。

人の悪口がよいことでしょうか?嘘をついて騙すことが正しいことなのですか?(それ、ことが大きくなったら犯罪ですよ)人に対する嫌がらせはいうまでもないでしょう。(何とかハラスメントとかこれだけ問題になっているのに、平気でこの辺りの人たちは人に嫌がらせをしています。もう犯罪ですね)

小さな悪でも、そういうことを清算しなければいけない時代にすでになっているのです。

そのように時代が変わったから、こういう天罰(激しい天変地変、数々のサイレンや火葬場の一週間待ちなどです)が起きているのです。

だから時代が変わったのなら、早くそのことに気づき、その時代に合わせた心と行いをしないといけないのです。そうしないと不幸になるからです。(それは商売でも何でも同じです。時代が変わったら、その時代に合わせた売り方をしないとやって行けないのです。商売がやって行けなくなれば不幸になります。それと同じなのです)

つまり、二十一世紀は二十世紀より心のレベルを上げないといけないということです。そうしなければ不幸になるのです。

それは起きている現象で判断出来るのです。

ところが、そういう判断が何時までたっても出来ず(責任転嫁ばかりしてますから)同じ心のレベルのままでいるから不幸になる(天罰を食らう)のです。(これが商売なら倒産者続出といったところでしょうか)

もうこの辺り、相当やばい人たちもいるようですが、この辺りだけではなくです。

他の地域も同じでしょう。そういう偽善者が多いから天変地変が激しくなっているのです。

テレビなど見ていると、原発事故が起きた福島などよく映され「頑張ろう、福島」とかいいながら、多くの有名人が福島まで出かけてチャリティーなどしています。

その光景を見るなら大変立派な行為であると思いますが、それは本当の善なる心からやっていることなのでしょうか?

もしかしたら売名行為なのではないでしょうか?

それがどちらかよく分からないのです。

もちろん、善なる心からやっているのなら、本当の善人でありますが、売名行為でやっているのなら、それは偽善者でしかありません。

同じ行為であっても、心の在り方一つで、その行為が善にも悪にもなるということです。

「忙しい有名人が、わざわざ福島まで出かけて行き、そうして福島の人たちのために慈善活動を行っているのだ。それを売名行為とは何事か」と怒る人もいるでしょう。

しかし、私には、どちらかといえば売名行為なのではないかと思うのです。なぜなら、このような人たちは、そのような話題になる方にしか行っていないからです。

話題にならない方はまったく無視しているからです。

そうではないでしょうか?このテレビに出ている有名な人たちはもう私のことを知っている人も多いのです。

それなのに私のことをテレビの前でいった人は一人もいません。そうして布施してくれた人も一人もいないのです。

これは一体どういうことなのでしょう?(皆さん知っていますよね、私のことは)

こういうことをしているから、私は、福島などで有名人が行っているチャリティー活動などは売名行為ではないのか?といっているのです。

無名な者には、誰もはなもひっかけないからです。

例え有名人といえどもです。私のブログを読み、知らないことを知った人もいるでしょう。心が救われた人もいるはずです。奇跡が起きた人までいるのです。

それなのに、誰一人、布施どころかお礼もいわないのです。

こういう極端な態度を取っていて、福島や他の災害の復興の場所に行って「大震災を忘れるな」とか「絆」とかいわれてもこちらも引きます。

そのような人たちはまったくの偽善者にしか見えないからです。

こういう点から見ても、現在はいかに偽善者が多いのかよく分かります。だから災いも多いのです。

本当の善人は分け隔てなく、困っている人には慈悲の心を表すのであり、自分によいことをしてくれた人がいるなら、何らかの報恩の行為は必ず行うものなのです。

人によって、やったりやらなかったりするのはただの偽善者でしかないのです。

自分が偽善者であると気づいている人は少ないのかもしれませんが、これもまた気づかなければいけないことでしょう。

そういうことが罪となっているからです。

そういう悪いことをしているから、仮によいこと(奇跡)が起きても、それが続かないのです。

よいことをしてくれた人に、よいお返しをしようとしないからです。(いってはいけませんが、そういう人ばかりではないでしょうか。〔苦笑〕)

真の善人になってくれる人がこれから増えてくることを望むばかりです。

そのような本当の善人が増えれば増えるだけ災いが減るからです。

2コメント

2 コメント to “善人か、それとも偽善者か”

  1. ウナッシー2016/04/03 at 1:58 PM

    昨日新たに気付きを頂きました。それは、今実の母は独り暮らしで居るのです。そしてたまに行っては買い物とか出来る限りのことをするのです。たまに行くと散歩とかお出掛けで留守にしている時があり、その時はそこで感謝の祈り祝福の祈りをしていたのです。昨日も留守でいつものように祈りを始めると心から、もう既に神の息吹きに満たされているのである。という事が浮かんできたのです。そう言えば自分はいつも間違った思いを持っていたことに気付いたのです。この場所は調和されていないから祈りをする、それを心に持ったままの祈りでありそれが間違いであったと知らされました。元々神が創られたこの環境であることを何と自分は感謝できていなかった、しかしこうして気付きを頂き感謝してただただその一念を繰り返し想うことで心に深く神への感謝の心を見つめていました。

  2. gtskokor2016/04/03 at 7:57 PM

    そうですね。場所は関係ないと思います。
    そういう一つ一つ気づきを増やしていくと、また奇跡も現れてきます。頑張ってください。

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