4月 07 2016
知るべきことを知らない悪
今日は春の嵐となる予報が出ています。
暴風や激しい雨に注意とのことですが、こちらはすでに暴風雨が吹いています。(どこかの会社のことです)朝からもう凄い怒りようです。(苦笑)
何をそんなに怒っているのでしょう。また、よほどのことが起きたようですが哀れなものです。どれだけ悪いことが起きても反省しようとしないからです。
しかし、この会社の連中には呆れましたね。この連中の本心が昨日また分かったからです。
この連中、昨日もまた朝から散々このブログのじゃまをしていたのです。(ドンとかガンとか音を立ててです)
昨日は近くで家をつくっているようで、その大工たちが出す音もうるさかったので、ブログを書いていてもあまり考えがまとまりませんでした。
それで「今日は、もううるさいから書くのやめようかな」とぼそっと私がどこかの会社の連中に向けいったのです。
そうしたらです。その声を聞いたとたん、この連中、一変に静かになるではありませんか。
私は「ハァ」と思いました。
どうもこの連中、これだけこのブログを書くのをじゃましているのに、このブログが読みたいようで、それで私が「うるさいから書けない」といったとたん静かにしたようなのです。(その後も〔わりと〕静かでした。だから昨日はブログが書けたのです)
それで呆れたのです。自分たちもこのブログを読みたいくせに、ブログを書くのを散々じゃましているのです。
一体どういう神経をしているのだと思ってです。
こういうことをしているから、次々に災いが起きてくるのです。それなのに、その自分たちの行いは一切反省しようとせず、悪いことが起きるとみな私のせいにして烈火のごとく怒っています。
本当に呆れますが、こういう連中をバカといわないで一体誰をバカというのでしょう?
こういう連中こそ正真正銘のバカなのです。どれだけ自分たちがバカな行いをしているのか、いつまでたっても理解出来ないからです。
しかし、この辺りは、同じような連中が多いのです。私のブログを散々見ていながら、それでも私に嫌がらせを続けている人がたくさんいるからです。
そのような人たちも同じでしょう。正真正銘のバカというしかありませんね。
そうではないでしょうか?
私のブログを見ているということは、それだけ私にいろいろなことを教えてもらっているということです。(全然自分のためにならないようなブログなど、誰も読まないでしょうから)
それなのに、そのことにはまるで感謝せず、私のブログを読んでも、怒りやねたみやひがみの心しか持たないというのですから、そういう人はバカというしかありません。
少しの恩さえも分からないようだからです。
犬や猫でさえ、餌を与えれば恩を感じてくれます。しかし、私たち人間は何か物をもらったから恩を感じるだけではないでしょう。
知らないことを教えてもらった人には恩を感じるはずです。(学校の先生などそうですが)
私のブログを見ているということは、何かためになると自分で思っているから見続けているのであり、実際、私のブログを読んで心が救われた人も多いと思います。
では、そういうことに恩は感じないのですか?まったく感謝しないのでしょうか?
だからバカだというのです。動物たちでさえ分かる恩をその人たちは分からないからです。(私に嫌がらせしてくるということは、そういう恩も感謝もないということですよね)
そういう恩も感謝も知らない人たちばかりだから、起きているのです。これだけの災いがです。(今日も朝から何度もサイレンがしています。どうもすぐ近くで誰か運ばれて行ったようです)
自分たちは恩を知れとか、感謝しろとかいうくせに(そういうことは少し気の利く人なら誰でもいいますから)そういっている自分が一番それが出来ていないのです。(口だけなのです)
それでは罰も当たるでしょう。
その罰さえ人のせいにしています。こういう人たちはもうバカもバカ、大バカ者ですね。
昨日も私は庄内川に行きました。
そうして川に向かって叫ぶと、多くの小魚たちが出てきました。それこそ数百、数千、数万の小魚たちがです。(それは動画に撮りましたので、また確認してください)
少し川に向かい声をかけるだけで、これだけの奇跡が起きるのです。(このブログを見ている人たちはそういう光景を見たことがありますか?川で数百、数千、数万の〔数十万の〕小魚たちが一斉に浮かんでくるなどという光景をです。私はそういう光景などいくらでも見ることが出来るのです)
釈尊は、この世で一番悪い人は知るべきことを知らない人である(バカな人である)といわれていました。
人として知るべき最低のことくらい知ってはどうでしょう。
それを知らない間は不幸にしかならないからです。
追伸…「自分はそんなことはない、ちゃんと恩も感謝も知っている」という人も多いのでしょうが、そうではないのです。
私に恩も感謝も感じないという人は、実は本物の恩も感謝も知らなかったのです。
これまで自分がしていた恩や感謝は偽物であったということです。
恩や感謝に本物や偽物があるかと思う人もいるのでしょうが、本当の恩や感謝と、うわべだけの見せかけだけの恩や感謝の違いはあります。
そのような人たちは所詮は見せかけだけの恩や感謝しかしてこなかったのです。
それがこのような時代となり、はっきり分かったということです。(何度も書きますが、多くの人がうわべが善人であるだけの偽善者であったからです)
だから私に感謝できないのです。これまで人に対しうわべだけの感謝しかしてこなかったからです。
そうでなければ、感謝するところは感謝できるはずです。
悪いところは悪いところとして、しかし、自分の心が救われたのは事実なのですから、その部分は感謝するはずです。
しかし、そういうこともひっくるめて恩も感謝も感じないというのですから、これまでどれだけ薄っぺらな感謝しかしてこなかったのか、その人の人生がよく分かります。
そういうこれまでの悪いところをすべて反省しないといけないのです。
そういう時代になったからです。(自分の悪いところすべてを気づかされる、そういう時代になったということです)
元々この世の修行とはそのようなもので、この世に出てきたら自分の悪いところを直さないといけないのです。
それが、これまでのほとんどの人は、自分の悪いところを直さぬまま死んで行ったのです。(我を張ったまま)しかし、それではこの世に生まれて来た意味がないのであり、自分の悪いところをこの世で直してこそ、意味のある人生であったといえるのです。(だから、本来の修行が出来るようになったということです)
そう考えるのであれば、これだけ意味のある人生もないと思います。悪いことをし続けている人たちに次々に天罰がくだっているからです。(人の振り見て我が振り直せ、これだけ反省がしやすい環境もないということです)
これだけ分かりやすい現象が現れているのに、それでもまだ反省しないという人も多いのですが、これだけ天罰がくだっているのです。(いい加減それを認めてください。時代が変わってきたから起きて来た現象を多くの人は私のせいにしているだけなのです)
いつまでも、それを人のせいにしているのではなく「自分が悪かった」と心から反省されてはどうでしょう。
そうすれば、本当の恩も感謝も分かり、奇跡が起きてくるからです。
昨日もまだブシュブシュやっていた運転手もいましたし、嫌がらせをしていく人もいました。しかし、そのような人に一つの奇跡も起きていないのです。(それどころか災いばかりが起きています)
しかし、法に従っている私には次々に奇跡が起きています。
法に逆らっていては絶対に幸せになれません。
この法に従うことこそ、このような時代に幸せになれる唯一の方法なのです。



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