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4月 27 2016

唯心無神論(ゆいしんむしんろん)

11:11 AM ブログ

昨日は金山に行ったんですが、もうどの人も「お前が悪い」「お前のいうことなど聞けるか」という感じでしたね。(苦笑)

私は昨日、私のことを知って多くの人が唯物無神論から唯心有神論に考えが変わったと書きましたが、こういう人たちを見ているとどうも変です。(この逆らいよう、尋常じゃありません)

やはり、そう簡単には人の考えは変わらないのかもしれません。

というか、唯物論から唯心論にまでは考えが変わった人が多いのかもしれませが、無神論から有神論にまで考えが変わった人はまだほとんどいないのでしょう。

そうでなければ、これだけ神の業が現れているのに、多くの人が、それをちっとも恐れないのはおかしいからです。

昨日もあちこちでサイレンを聞きましたが、そのようなサイレンを聞いても恐れるどころか怒っていますし、私にどれだけ鳥が寄ってきても、そのような現象を屁とも思わないないようで、それがどうしたというような顔でみな通り過ぎていきます。

結局このような態度は、神のことを信じていないから取れるのであって、もし、多くの人が神を信じているのであれば、このような態度は取らないはずだからです。(神がこのような業を現していると思えば、恐れおののくはずだからです。人が現していると思っているから、恐れもおののきもしないのです)

私に誰も布施しないということもそうでしょう。

多くの人が神を信じ、私がその神の業を現していると思うなら、多くの人が私に布施するはずです。しかし、誰も私に布施しないのは、誰もまだ神を信じていないからです。

だから所詮は人がいっている(行っている)ことだろうと、この法を軽んじているのです。だから、どれだけ奇跡が起きても、布施までする気にならないのです。

それを神の業とは思わず、人の業だと思っているからです。

いってみれば、私を知った多くの人たちは今現在、唯物無神論から唯心有神論に変わったのではなく、唯物無神論から唯心無神論に変わっただけであり、唯物論は間違いで唯心論までは信じても、まだ神を信じるまでには至っていない人が多いということです。

だから、神の業を恐れることもしなければ、神の業に敬服するわけでもないのです。

人が行う業なら、世の中にはいろいろなことが出来る人がいるのだから、そういうことが出来る人もいるだろうとしか考えないからです。

だから「あいつは自分の感情だけでそういうことをしている」としか考えないのです。人がやっていると思っているからです。

そう考えるなら腹も立つでしょう。

「お前の考えだけで世の中を混乱させるな」と誰でも思うからです。

しかし、そんなわけがないのです。個人の考えで(個人の力で)これだけのことが出来ますか?(このサイレンにしても、これだけ鳥や魚が寄ってくることにしてもです)

個人の力でこれだけ世を混乱させることなど出来ないのであって、個人以外の何か大きな力がかかっているから、これだけの現象が現れているのであり、その大きな力が神の力なのです。

人の力でこんなことはやれっこないのです。

私がしていることの、その奥にある神の力を(神の心を)理解しないといけないということです。

もう名古屋だけではなく、日本中で恐ろしい現象は現れているのです。(まだ熊本地震は収まっていないですし)

これだけ災いが起きていて、これがそのまま時間が過ぎれば収まるとでもいうのでしょうか?大きな災いの起きる頻度は増しているというのにです。

これだけ恐ろしい現象が全国的に現れていて、ほっとけば、その現象が収まって行くなど、先のことを何も考えようとしない、バカの考え以外の何ものでもないのです。

それは今しているサイレンだけを考えても分かります。減るどころか、聞こえてくる範囲が広がっているからです。

こういう現象を、救急車のサイレンなどはいたずらが増えただけ、激しいゲリラ豪雨や猛烈な台風、竜巻などは温暖化の影響、地震は日本は地震大国だから地震が起きるのが当たり前、などと責任転嫁し続けるのであれば、そのような人々は滅ぼされるのです。

このような業すべて、神が現しているからです。

この起きている様々な異常現象は、心の向上より金儲けを優先し、神の存在をすっかり忘れてしまった人々に、その間違いを気づかせるために神が起こされている現象であるのです。

いつまで、それに気づかず、責任転嫁を続け、悪い心のままでいるのですか?

そのような心でいる限り、異常現象は激しくはなっても、収まることはないのです。

追伸…しかし、めんどくさいですね。

普通は唯物無神論が間違いと分かったら、次は唯心有神論を信じるはずですが、日本の人たちは、唯物論の間違いが分かったところまではいいのですが、そこから下の無神論も間違っているとは思わないようで、神の存在をまだ信じていない人が多いようです。

しかし、唯心無神論などという言葉はないのですから(苦笑)普通は唯心論を信じれば神の存在も信じそうなものですが、唯心論は信じても、神の存在(有神論)までは信じない、唯物無神論の根深さを感じますね。

しかし、神は存在するのであり、神の存在がなければ、この大宇宙も、地球も、また地球にある水や空気も存在しないのであり、このような人がつくったものではないものが存在しているということが、神が存在している何よりの証明なのであり、少し考えを広げるのであれば、神の存在は誰にでも理解出来るはずです。

いま起きている様々な災いは、そのような神の存在を忘れてしまった愚な人々に神を思いださせるため、神の心を思いださせるため、現されていることなのです。

それを個人が何かしているなど、あまりに飛躍が過ぎます。(というか、責任転嫁が過ぎます)

神の心を思いだし、それを実践した人から幸せになって行きます。

これだけ災いが続いているのです。この法を信じ行われたらどうでしょう。

このような災いが起きている中でも、奇跡が起きているのは、この法を実践している人たちだけだからです。

(もうこれだけブログを書くだけでも、どこかの会社の連中がじゃましたくっています。〔大変ですよ、これだけ書くだけでも〕こういう過酷な状況の中で、私は毎日のように法を伝えて〔人の心を救って〕いるのです。〔外に出て行けば毎日のよういじめられますし〕少しはこういう苦労もお分かりいただけないでしょうか。少しでも心が救われたと思われる人はお気持ちだけで結構です。布施をよろしくお願いします)

3コメント

3 コメント to “唯心無神論(ゆいしんむしんろん)”

  1. ウナッシー2016/04/27 at 12:34 PM

    心に衝撃を受けた熊本地震も落ち着きを見せ始めているようです。しかし、あれほどの現実を見せられ気付きを頂いた心の波動はまだ収まることはありません。それは心のあそこから何となく浮かぶものがあり、あの被災地が落ち着きを見せ始めたらもう終わりなのか⁉という疑問なのです。あの現象を見てさんざん自分の心を見つめてたその心を台無しにするのか。そんな心の葛藤が続いているのです。先日の休日にはたまらず座り込み自分を見つめました。しかし今もまだその心の思いはどこかに有るようでスッキリとしないのです。ここは失敗を怖れず自分の心の赴くままにしてみます。

  2. ウナッシー2016/04/27 at 12:50 PM

    訂正を致します。
    ❌心のあそこから 打ちミス
    ⭕心の底から

    底の頭文字「S」の隣りが「A」であり
    スマホの打ち込みによるミスでした。
    以後気をつけて打ち込みします。

  3. gtskokor2016/04/27 at 1:57 PM

    でしょうね。まだまだこのような激しい現象は現れると思うからです。
    それは私の周りを考えましてもそう思えます。
    このブログのじゃまや(前の会社がこうもうるさいとブログもまともに書けませんから)私への嫌がらせは激しさを増しているくらいだからです。
    どうも起きている現象の激しさが増しているようなのです。
    それでキレてる人が増えてそうなっているようなのですが、この人たちは完全に間違えているのです。
    何を間違えているのかといえば、現象が激しくなっているのなら、その分、早くその行いを反省し、神に詫びなければいけないのに、その反対にこの人たちは、その現象に怒り、私に対する嫌がらせをよけい強めているのです。(完全な八つ当たりです)
    これだと起きる現象はよけい激しくなります。
    こういうことを考えましても、これから起きてくる現象はもっと激しくなると思えます。
    誰も反省しようとしないからです。
    だから、私たち(法を知っている者たち)の心がすっきりしないのです。
    そのような悪い現象がまだまだ続くということを、心の中で教えられているからです。
    同じ間違いを繰り返している周りの人たちを見ますと、ある程度行くところまで行かないと、自分の間違いが分からない、そのようにも思えます。
    これからまだまだ、そのような人たちの地獄のような日々が続くのではないかと惨憺(さんたん)たる思いです。
    しかし、私たちは時が来るまで(そのような人たちが自分が悪いのを自覚するまで)祈りながら待つしかないのです。

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