5月 06 2016
悪行より善行
休み明け早々大変な怒りようです。(ほんとやること変わりません。〔苦笑〕)
どれだけ怒ろうがわめこうが、そういう心と行いをしているから悪いことが起きるのです。では、そのような心と行いを変えるしか、その現象を止める手立てはありません。
それをしたらどうでしょう。それ以外に助かる方法はないからです。(私が祈っても祈らなくても、その恐ろしい現象は止まらなかったのです。後は自分たちの行いを変えるしかないでしょう。いつになったらそれが分かるのですか?)
こういう進歩のない、感謝のかの字もない連中はほっておいて、昨日の話を少し書きます。
前回のブログで、一昨日辻説法をしていたら十人くらいの人が頭を下げたと書きましたが、昨日もそうでした。わりと頭を下げる人はいたのです。
ただ、その頭の下げ方が微妙なのです。(そういえば一昨日もそうでした)
どの人もそうです。私が横を向いた時とか、下を向いた時とか、あるいはすれちがう寸前とか、私に分からないように頭を下げるのです。(私の目の前で頭を下げる人は少ないですね)
どうも、昨日、一昨日のような辻説法を聞いて(いろいろ教えてもらい心まで救ってもらっていながら感謝もしないのか、というです)それに気づいて感謝する人はいるようなのですが、正面切って頭を下げるのが嫌なようで、それでそういう微妙な態度を取る人が多いようなのです。(笑)
私の話を聞いて、そうして自分たちが悪かったと気づいて、そのまま行くのも気が引ける、さりとて素直に詫びを入れるのも嫌だという思いが、そのような態度として現れているのでしょう。
だから、そういう態度を取るのも分かるといえば分かるのですが、しかし、よく考えてみてください。
そういう誤解を多くの人がしていたせいで(まだまだそのような誤解をしている人は多いのですが)私は大変な迷惑をこうむっているのです。(他の人が私のような立場になれば、それこそ、うつになるかキレて犯罪者になるかのどちらかくらいの数々の嫌がらせです)
普通であるなら、感謝してもしきれないくらいの人に(それだけいろいろなことを教え、心まで救ってくれる人などそうはいません)よいことをしてほめるどころか、その反対の悪口をいって嫌がらせをし続けているのです。
この罪がどれだけ深くて重いかお分かりでしょうか?
心を救っていろいろ教えてくれた人に、多くの人がそれほどの大迷惑をかけ続けているのに、それに気づいていながら正面切って頭を下げることが出来ない、それではあまりに人として道に外れているでしょう。
自分が間違っていたと気づいたのなら、すぐに頭を下げることくらいやって当然なのではないでしょうか。
それほどの罪を(またそれほどの恩を)その人にはしているからです。
だから、そのような微妙な頭の下げ方はおかしいのではないですか?と私はいっているのです。
マァ、そういういい方もきついですかね。私のことを長い間、悪者(悪魔)だと思い込んでいたのです。
しかし、それは間違っていたと気づいてすぐに頭を下げられる人もそうはいません。
だから、微妙であっても、自分が間違っていたと気づいて、すぐに頭を下げる人は、まだよい方だといえばいえるのですが(逃げていく人もいますから。昨日もそういう人がいました)しかし、ずいぶんひどいことを多くの人は私にしているのです。(現在進行形です)
だから、そういう頭を下げることがすぐに出来る人は(そういう人は心が高い人なのです。心が高いから、すぐ反省して、よいことがすぐに出来るのです)早くしっかり謝られた方がいいでしょう。
そのような心と行いが災いを防ぎ奇跡を現すからです。(それは善行、善い行いであるからです)
自分が悪いと分かっても、開き直ってまだ嫌がらせをし続けている人たちもいます。それではとても災いを止めることは出来ないのです。(こういう人たちは心が低い人たちなのです。だから自分の悪をすぐに認めることが出来ないのです)
そのような態度は、自ら災いを呼んでいるようなものであるからです。
今のように天変地変や異常現象が多発しているのは、そのような災いを自ら呼び込む心と行いをしている人が多いからです。
悪行は災いを現し、善行は奇跡を現します。(私がよい例です)
では、善行を行ってはどうでしょう。そういう善行を行う人が増えるのであれば、天変地変や異常現象は段々減って行くからです。
いま災いが多く現れているのは、悪行をしている人が多いからです。
悪行より善行を行ってはどうでしょう。
そうすれば、自分に起きている災いも、日本に起きている災いもなくなって行くからです。
追伸…熊本はまだ多くの余震が続いています。
それで子供がその余震を怖がり、家で寝られなくなったとか、性格が変わってしまったとかいわれますが、このようなことも法が拡がっていない不幸でしょう。
法が拡がっているのなら、このようなことにはならないからです。
法が拡がっているのなら、自分は常に神とともにあるのである、自分はいつも神に守られているのである、と自覚でき、地震をそうも怖がることはないからです。(「神が近くにいてくださる」と思えるなら安心感は段違いです)
常に神を思っていないから、怖くて仕方がないのです。地震など起きても誰も守ってくれない、自分は一人であると思い込んでいるからです。
しかし、法を知って実践するなら、心から神の光が出てきて、その神の光が自分自身を守ってくれるのです。(それは園頭先生が証明されています。先生は弾丸飛び交う戦場であっても一発の弾丸も爆弾も当たらなかったのです)
法が拡がらない不幸は、そこかしこに現れています。
早く法を拡げないといけないのです。



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