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5月 12 2016

人を救うと現れる奇跡

11:05 AM ブログ

昨日は久しぶりに庄内川に行きました。(最近は営業回り〔辻説法〕が忙しくてあまり行けませんでしたから)

しかし、営業も忘れてはいけません。川岸を歩くだけではなく、途中で庄内川から出て辻説法をして(川岸の横にある道路の向こうはもう家がたくさん並んでいますから)また庄内川に戻り、鳥や魚たちに癒されて、そうして家まで帰ったんですが、昨日は少々辻説法をしただけでしたが、それでも頭を下げる人が何人かいました。(もう完全にコツをつかみましたね。〔笑〕)

とにかく恩着せがましくを忘れてはいけません。(笑)そういういい方をモットーにしていると、さすがに後ろめたいのか頭を下げてくる人が何人もいました。

昨日も庄内川から途中で出ると、すぐにです。(ほんと私をすぐに見つけて何かしてくる人がいますから)オバちゃんが何かしてきました。

それで辻説法を始めると、ちょうどそこに犬を連れた爺さんが歩いて来ました。その爺さんも私を見ると急に足音が大きくなります。

それでその爺さんに「神からあの世から生まれ変わりから俺がこういう現象を現して(その時も鳥が騒いでいましたから)皆に伝えたから信じたんだろう。よかったなぁ爺ちゃん、あの世があることが分かって。死んで終わりじゃないんだぜ。まだ先もあるんだぜ。希望もわいただろう」とか「こんな鳥が寄って来るなんて知ってたかい。こういうことも俺がいなけりゃ分からなかったんだ。よかったな、知らないことをいろいろ見せてもらって」とか、とにかく、恩着せがましい言い方をたくさんしたのです。

するとその爺さん、私の近くまで来ると頭をぺこりと下げていくではありませんか。

そうして通り過ぎていくので「そうそう爺さん、そうやって感謝の態度を見せないといけない。そういうのが普通よ。散々心が救われたんだから」と後ろからしゃべっていると、その爺さんが歩いていきながら、また足を引きずったり、大きな足音を立てたりして怒っています。(態度で分かります。〔笑〕)

私に図星をつかれて腹が立ったのかもしれませんが、しかし、怒っても仕方ないでしょう。

事実は事実だからです。

私がいろいろ教えたから心が救われたのだし、鳥などが寄ってくるような現象など見たことなかっただろうし、そういう現象が目の前に現れたから、これまでは信じていなかったことも信じたのだし、そういう諸々のことを考えるならです。

感謝するのが当たり前なのであり、そんなことさえ知らずにいた方が悪いのであって、そういう自分がまったく気づいていなかったことまで私に気づかされているのです。(もし、そのままの心で死んで行ったのなら、どれだけ深い地獄に堕ちたか分からないほどなのです。恩を仇で返しているからです)

何から何まで教えられ、自分のあまりのいたらなさに気づかされてもいるのです。

そこは怒るところではないのではないでしょうか。自分のいたらなさを恥じるところなのではないでしょうか。

しかし、この爺さんは恥じるどころか怒っているのです。どれだけ自分が私に救われているのか、まだ分かっていないようです。

その爺さん一人に関してだけでも、私はどれだけ(心を)救っているのか分からないほどなのです。

その救う対象が私は一人や二人ではありません。

何千、何万、何十万(もっとかもしれませんが)という人が対象なのですから、どれだけ多くの人が(法を知ったことで)救われているのか、そうして、現時点でも救われつつあるのか分からないほどなのです。

こういうことをし続けているから、釈尊やキリストと同じ奇跡が現れてきたのであり、それだけのことをしないと、それほどの奇跡が現れることはないのです。

昨日もそうでした。

先ほどの爺さんに説法をしたところは前に動画を撮ったところで、あの池からたくさんの亀たちが顔を出したところでした。(その動画はもう公開しました)

その爺さんが行ってしまったので、私はすぐ向こうにある池に向かい「お前ら元気か」と声をかけると、またたくさんの亀たちが池の中から顔を出しました。

そうして私の方に寄って来ます。その亀たちの中に混じって、大きな鯉も(三、四十センチくらいの大きさでした)一匹寄ってきて、私の前で泳いでいます。

「あれ、ここ鯉もいるのか。この前は亀しかいなかったのにな」とかいっていると、あちらからこちらからと次々に鯉が寄って来て、私の前でバシャバシャ泳いでいます。

そうして、ツバメまで飛んできて、大騒ぎになりました。(笑)

そこも動画で撮りました。

結局、次々に人を救っていると、次々に奇跡も起きてきます。自分がしていることの正しさが、まさにこのような奇跡で確認できるのです。

唯物論の人たちばかりであったから、心が救われたという実感がわかないのかもしれませんが、ずいぶん多くの人を私は(深く)救っているのです。(このような奇跡がその善行を現しています)

それだけ救われていて、頭を下げているだけでよいのですか?

心を救われたということは、何ものにもかえがたいことであるからです。

(何か、ブログまで恩着せがましくなっていますね。〔笑〕)

追伸…アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミットに合わせて広島を訪問されるらしいですね。

それはよいことです。核兵器廃絶への思い、ぜひ伝えていただきたいものです。

被爆者の方々は、当然、謝罪をしてほしいという気持ちがあるのでしょうが、それを口にせず、未来志向を唱えていられます。

本当に立派な態度であると思います。

どこかの国の人々も、このような態度、ぜひ見習っていただきたいものです。

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