5月 29 2016
自分たちの行い
昨日は一日静かでしたね。(どこかの悪魔軍団ですが)
ちょっとおちょくるようなことも書きましたので昼からうるさいのかと思いましたが、昼からもたいしたことなかったです。(多少はやっていましたが)
やはり相当なことが起き出していますね。(そうでなければあれだけ静かになるわけがありません。中途半端に何か起きているのなら、逆にキレまくるでしょうから)
そうであるなら(何度もいいますが)行いを変えてはどうでしょう。悪いのはそちらの方であるからです。
昨日など悪魔軍団だけではなく、私が歩いていると、ガンガンやりだしてやたら怒っている会社がありましたが、そこも「オイオイ、俺が人を病気にしているのなら何でこんなに鳥が寄ってくるんだ。(その時も鳥が騒いでいましたので)俺が人を次々に病気にしているのだとしたら鳥たちは怖がって寄りつかないだろう。それがこれだけ喜んで寄って来ているんだ。この鳥たちが寄って来ていることこそ、俺が人を病気にしていない何よりの証拠だよ」というと、急に静かになりました。
昨日もあちこち辻説法して回りましたが、やたら怒っている人がたくさんいました。しかし、考えてみてください。
もし私が人を次々に病気にしているのなら、そのような悪い行いは当然、自分の雰囲気にも出てきます。
そのような者に、果たして鳥が寄ってくるでしょうか?(私が人を次々に病気にしているのなら、そのような〔人を病気にしてやろうという〕心を常に持っていないといけません。そういう恐ろしい心を持ち続けていなければ、それほどのことは出来ないからです。そういう恐ろしい心を持ち続けているのなら、必ずそのような恐ろしい心は表に現れてきます。そのような恐ろしい心は隠せないからです)
私がもし、そのような恐ろしい雰囲気が現れているのなら、あの敏感で気の小さい鳥たちが寄ってくるはずがありません。寄ってくるどころか、私が近くにいると分かるだけで多くの鳥たちが逃げだすでしょう。(鳥たちは勘がいいですから)
しかし、まったく逆の現象が現れているのです。あの気が小さくて勘のいい鳥たちが私を見つけると喜んで寄ってくるのです。
このような現象こそ、私が人を病気にしているわけではないという何よりの証拠なのであり(そういう恐ろしい心を私はまったく持っていないから鳥たちが寄ってくるのです)普通の人以上の善人であるという証明でもあるのです。
だって、悪いことをしてないだけでは鳥は寄って来ません。普通の人以上に愛がなければ、小さな生き物たちがわざわざ人間に寄ってくるなどあり得ないからです。
そのあり得ないことが起きているのです。小さな生き物たちが(小さな生き物だけではなく、大きな生き物も一緒ですが)私には喜んで寄ってくるのです。
こういう現象が現れていることこそ、普通の人以上に愛の深い善人である何よりの証拠なのです。
そういう普通の人以上に愛深い者に、多くの人が罪を擦り付け、顔を見れば嫌がらせをしているのです。
そのような行いは大きな罪にはならないのでしょうか?
それだけではなく、その者に多くの人はいろいろなことを教えられ(特に神に関することです)心を救われているのです。
それだけのことをその者にしてもらっているのに、少しも感謝しようとしません。
それもまた大きな罪になるのではないでしょうか?
知らないことを教えてもらい心を救われたのなら、まずそのことに対し感謝しないといけないし、本当にその者がそんな悪いことを(人を次々に病気にしている)しているのか確認しないといけない。(よほどの裏付けがないとそういうことは信じませんよね。そんな人を次々に病気にしているなど、相当な悪事を働いていると思うからです。〔というか、そんな人を次々に病気にするなど、それほどの悪人は歴史上でもほとんどいないと思うんですが…歴史上でもあり得ないような悪いことを私はしているというのでしょうか?〕)
しかし、そういうことをしている人はほとんどいないのです。
それが正しい行いでしょうか?
だから、これだけ多くの人が病気になっているのではないですか?自分たちの行いがあまりに間違っているからです。
いま現在、これだけの悪いことが起きているのは、それだけ悪いことをしている人が多いからです。
では、それだけ悪いことをしているのは一体誰なのでしょうか?
私なのでしょうか?それとも私以外の人たちなのでしょうか?
自分たちの行いを振り返えれば、それはすぐに分かると思います。
私以外の人たちは、みな私に心を救われた人たちばかりなのです。
しかし、私はその人たちからお礼をいわれたことなど一度もありません。
お礼どころか、そのような人たちから嫌がらせを繰り返し受け、いわれもない怒りまで受けているのです。(先ほどの怒っている会社などそのよい例です)
私が悪いことをしているという証拠など一つもないのにです。(結局そういう証拠を見せてくれた人など一人もいませんでした)
それどころか、善いことをしている証拠を見せながら歩いているのにです。(鳥たちが寄って来る奇跡がその何よりの証拠です)
多くの人が心を救ってもらった人に(何の証拠もないのに)罪を擦り付け、嫌がらせを繰り返しているのです。
そういう行いをしている人が、もし病気になったとしたら、それは人のせいなのでしょうか?それとも自分の行いが悪かった自分のせいなのでしょうか?
悪いことを人のせいにしている暇があるなら、まず自分の行いをよく反省してみることです。
その自分の行いが大きく違っているかもしれないからです。
私はこのように日曜日も関係なく、人々を救う努力をし続けています。(日曜日まで、このブログを書くのをじゃましている人たちがいますが〔どこかのマンションの連中です〕そのような小さな行い、恥ずかしくありませんか?私は日曜日も関係なく人を救っているのですよ)
だから、これだけの奇跡が起きているのです。(その正しい努力を人は見ていなくても、天は観ているからです。だからこれだけの奇跡が毎日のように現れてくるのです。天がその努力に報いてくれているからです)
うわべだけで人を見るのではなく、もう少し深く人を見たらどうでしょう。
そうすれば、自分の浅はかさがよく分かると思うからです。
追伸…昨夜BSの番組で、フルベッキ写真のドラマをやっていました。
維新の志士たちの集合写真ではないかといわれているフルベッキ写真のことが書かれた本は、私も何冊か読みましたが、非常に興味のある話ではありますね。
しかし、この写真はたぶん本物でしょう。その理由は西郷さんの写真です。(西郷さんは生前写真を撮らなかったといわれていますが、そうではなかったようです。何枚かはとられていたようです)
昨夜の番組では西郷さんの写真が二枚出てきました。その写真を見てこれは本物であると確信したわけです。(もちろん写真の顔は、あの目のクリッとした有名な肖像画とは全然違いますよ。あの肖像画は、まったく西郷さんとは似ていなかったといわれていますから)
その確信した理由は、その二枚の西郷さんの写真の顔が園頭先生とよく似ていたからです。(笑)



人目の訪問者です。
