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6月 07 2016

光の天使大集結

11:23 AM ブログ

昨日は(特別、昨日だけでもないんですが)朝から一悶着(ひともんちゃく)です。(苦笑)

よけいなちょっかいばかりかけてくるものですから(もちろん、どこかの会社ですが)思いっきり朝から祈っていました。そうすると静かになるのです。

そうしてブログを書きだすとまたうるさくします。この繰り返しです。本当に大変です。こういうバカバカ連中(悪魔に憑かれた者)が回りに多いからです。

ではブログを書かなくていいのかといえば、それも困るようで、ブログを書くのをやめて祈るというと急に静かにするのです。

しかし、書き出すとまたうるさくします。

最後はこちらもキレて「じゃあ、今日は祈ることにする」と、昨日はブログを書く時間を祈りの時間に変えたのですが、そうしたらまた何か起きたようで、今日は朝から烈火のごとく怒っています。(そっちの方がいいくらいです。こういう場合は一人、二人の奴がうるさいだけで後は静かですから)

本当に哀れです。何年たっても同じことを繰り返しているからです。

しかし、昨日の祈りは重要なことを教えらえました。(だから祈らされたのかもしれませんが)昨日祈っている最中にまた不思議なものを観せられたからです。

その観せられた不思議なものとは多くの光の天使たちでした。

昨日祈り始めてしばらくした時です。目をつぶって祈っていた時、私の目の前に多くの光の天使が現れたのです。

しかも、その数が半端ないのです。

もう数えきれないくらいの光の天使の大軍が(背中に羽の生えた、あの天使の姿そのままの人たちがです)この辺りの上空を列をなして飛んでいるのです。

本当に物凄い数です。私は思わず「光の天使ってこんなにいるのか」と驚いたくらいです。

祈っていると、そのような情景が目の前に観えてきたものですから「エッ」と驚いて目をあけました。

すると、何も変わらない部屋の中が見えます。しかし、目をつぶり祈り始めるとまた同じ情景が観えてきます。

「何だ、これは」と驚いたのですが、そういえばこのようなことはこれまで何度もありました。

少し前には祈っていると龍が観えてきたこともあったし、その前には七大天使が観えてきたこともありました。

どうも、また何か天上界の計画を観せられたようで、しばらく、その光の天使の大軍の情景を思いながら、それでかと納得したのです。

何に納得したのかといえばです。最近、この辺りの雰囲気が変わったことにです。

これまでも変でしたが、ここ数日は特にこの辺り変なのです。(それは最近何度もブログに書いています)

やたら怒っている会社はある(それは普通ですが)急に静かになった会社はある、休みや早上りが多くなった会社はある、会社の様子がおかしいということは人の様子もおかしいということで、何か最近は(より一層)変だなと思っていたのですが、多くの光の天使が来ているというのなら、多くの人の態度がおかしいのも分かります。

それだけ多くの光の天使が来ていられるのなら、多くの光の天使の業が(多くの人に)現れだしてもおかしくはないからです。

むしろ多くの光の天使が来られていて、何も起きない方がおかしいからです。

だから、納得したのです。最近のこの辺りの雰囲気のおかしさにです。

多くの人に多くの光の天使の業が現れだしたら、態度がおかしい人が増えても何もおかしくはないからです。

このようなことが分かったのですが(よかったですね。このようなことが分かるのもこのブログを読んでいる人たちだけの特典です)それでどうされるのですか?

この辺りの人たちはです。まだ突っ張られるのでしょうか?

これだけ多くの光の天使が来られているというのにです。(いやもう相当やばいですよ)

悪いことはいいませんので、ソロソロ私のいうことに従われてはどうでしょう。

正しい心の在り方(光の天使に災いを起こされない方法)を知っているのは私だけであるからです。

正しい心の在り方を知っているのは私だけです。だから私にだけ奇跡が起きているのです。その奇跡は光の天使が力を貸して下さるから現れているからです。(では、これ以上の光の天使の心を知っている者はいないということになります)

それとも私がここに適当なことを書いているとでも思われますか?

私がそのようなことを書いた後は、必ず、その書いたことが正しいと裏付けるような現象が現れているにもかかわらずです。(今回はすでに現れていますが)

龍が現れたと書いた時もそうでした。そのすぐ後に、その龍のような雲が現れ(名前なんでしたっけ?あの一直線にのびた雲です)大雨を降らせました。(茨木かどこかで川が氾濫しましたよね)

七大天使が来ていると書いた時には、その後すさまじい天気となったのです。(そればかりか、エル・ランティーが来ていると書いた時にはすさまじい竜巻も来ました)

私はここにいい加減なことは書きません。(というか書けません)そういうものが観えたから観えた、と書いているのであり、それは天上界がその後に起きることを私を通して知らせているのであり、しかしそれを多くの人が理解しないのです。

いつまでたってもです。

多くの人がこのブログを興味本位にしか見ていないからです。

しかし、まったくの興味本位ということもないでしょう。このようなブログを書けば、また怒り出す人も(たくさん)いるからです。

このブログを信用しなければ、こんなこと書けば笑っている人たちばかりなんでしょうが、怒る人も多いということは、このブログに書いたことを信じている人も多い証拠です。

信じているのですが、しかし、従おうとしないのです。このブログの本当の価値が分かっている人がほとんどいないからです。

しかし、いい加減分からないといけないでしょう。このブログの価値をです。

ここに予告したことが次々に起きているのです。そういうブログなど他にないからです。

今回このようなことをここに書いたのなら、またです。また、それを裏付けるようなことが必ず起きるでしょう。(例えば数多くの異常現象が現れるとかです)

そのような現象が、ここに書いたことが正しいという証拠となるからです。

そういうことが起きてきたら(マァ、この辺りはすでに起きているようですが)私がここに書いたことがまた起きだしていると理解してください。(多くの光の天使が多くの業を現している)

その現象が正しく理解出来る人たちは、このブログを読んでいる人たちだけだからです。それ以外はみな正しいことではないからです。(またそのようないろいろな異常現象が現れてきたら、いろいろな人がいろいろな説明をするんでしょうね。何かに無理やりこじつけてです。しかし、それはみな正しくありません。そういう説明は表面上の説明にしかすぎず、本質をいっているわけではないからです)

そういうおかしな現象が現れてきた本当の原因は人々の心にあるのです。

今のような(神を思わない無神論のような)心は大変罰当たりなのです。多くの人がそういう心でいつまでもいるから悪いことばかり起こされるのです。(だから、このブログも興味本位くらいにしか読めないのです。そのような神を二の次三の次にして、自分のことばかり考えている人が多いからです)

そんな心である自分たちが悪いのに、それをいつまでも私のせい(あるいは他のもののせい)にしていたところで、自分たちのその(神を軽く見ている)心を直さない限り、この悪い現象は収まらないのです。

それだけ(神に対し)不遜な心もないからです。そのような心は神の子の人間としてあるべき心ではないからです。

光の天使がたくさん現れいるということは、心を入れ替え神を思うようになる人が増えるのなら、たくさんの奇跡が現れるということでもあります。(光の天使は奇跡を現す方が本来の仕事であるからです)

その多くの光の天使たちが災いを現すも、奇跡を現すも、すべて自分たちの心次第であるということです。

いつまで不遜な心を持ち続けているのですか?

それがすべての不幸の元凶なのです。

追伸…これだけここに書いたことが起きているのに、それでも心を変えようとしない(神を思おうとしない)どれだけ頑ななんでしょう。

このブログを読んでいる人たちは、どれだけ多くの天上界の計画を知ったかしれないというのにです。

その多くの天上界の計画を知ったにもかかわらず、無視したり、その計画に怒ったりしている人がほとんどなのです。

これだけ罰当たりな態度もないでしょう。すべては自分たちの責任なのにです。

もうここに書いていることは何度も起きているのです。では、今のままの心であるなら、必ずまた悪いことが起きてきます。(しかもたくさんのです。今回は光の天使の数が違います)

いい加減、心を入れ替え(この神の計画に)協力されたらどうでしょう。そうしないとまた多くの災いが起きることになるからです。

(特にこの辺りの人たち危ないでしょう。あまりにも罰当たりな態度を取り続けている人たちが多いからです)

2コメント

2 コメント to “光の天使大集結”

  1. ウナッシー2016/06/07 at 8:58 PM

    近頃、心に浮かぶのは同居する嫁の両親のことであります。もう私達は結婚して二十年以上経つのですが恥ずかしながら義父母のことを心から感謝したことなど無かった事に気が付いたのです。自分が婿入りして環境の違う暮らしに義父母のことを逐一監視しては疑い見ていました。しかし、よくよく考えてみれば嫁と結ばれたのは嫁が存在していたからであり、嫁を産み育ててくれた義父母いたからなのです。更には義父母が健康で結ばれたのであり、その存在が合ったから。永遠と続くこの縁生があるからこそ今がある。自分の親にしてもである。身籠りし子を大切に守って頂き、無事に産んで下さった。そして手を掛け愛情を注ぎ親の務めと子育てに時間を費やし、老いてなを親子ぞと目を凝らし見守ってくださる事に感謝の想いしかないのです。

  2. gtskokor2016/06/07 at 9:36 PM

    義理の親は過去世では自分の実の親であったということもあるのです。(特にウナッシーさんなど今生一緒に暮らす縁を得たということは、そのような過去は当然あった思われます)
    では、実の親と同じように感謝するのは当然のことでしょう。
    それだけ縁の深い方々だと思われるからです。

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