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7月 02 2016

筋を通す

11:08 AM ブログ

最近は週休二日になってしまいましたね。(どこかの会社ですが)

こちらはありがたいのですが、その横の会社も変です。(ここもそんな感じです。前は土曜日でも誰か来ていたんですが)何か皆さんいろいろ起きているようです。

こういう会社は私に嫌がらせばかりしています。(ブログだけは読んでるくせにです)それで何か悪いことが起きると一方的に被害者面して怒っています。

人のブログを毎日読んでいるくせに少しも感謝せず、嫌がらせだけは欠かさない、そんなことをしていて(もう何年にもわたってです)よいことが起きるわけがありません。(二重、三重の悪いことをしていますから)

自分たちが加害者であるから、自分たちに悪いことが起きているのです。

被害者面して怒るのは迷惑です。(やたらうるさいし)

一番の被害者は私であるからです。

それは運転手連中も同じでしょう。

昨日でもトラックの運転手が散々私にブシュブシュ嫌がらせをしていくのです。(昨日のブログが気に食わなかったのかどうなのか知りませんが)それなのに、そういう嫌がらせは棚に上げ悪いことが起きるとみな私のせいです。

では、自分たちがやっている嫌がらせはどうなのでしょう?

こういう人たちも早く気づかなければいけないのです。その最初にやっている自分たちの嫌がらせが、ただ自分たちに返ってきているだけだということをです。

自分たちが悪いことをしているから、自分たちに悪いことが起きているのです。ただそれだけの話なのです。

なんでこんな簡単な話がいつまでも分からないのか本当に不思議なんですが、どうもこのような人たち(やたら怒っている人たち)は、散々私に嫌がらせをしているのに、その嫌がらせを悪いことだと思っていない節があるようで、それで自分は悪いことをしているわけではないと思っているようなのですが、どのような人に対しても嫌がらせという行為は悪いことなのです。

仮に、その人がどれだけ悪人であっても悪人に悪いことをすれば自分も悪人になります。

自分たちが悪人だから自分たちに悪いことが起きているのです。

その自分の悪人ぶりを早く自覚すべきでしょう。

だいたい、私に嫌がらせをしてくるような人たちは普段何かよいことをしているのでしょうか?(仕事は別によいことではありませんよ。それは人としてこの世をわたっていく上でやらなければいけない当たり前のことです)

自分によいことが起きてほしいのであれば、悪いことなどせず、よいことをしないといけないのです。

そうすればよいことが起きてくるからです。

それは私を見てもらえれば分かると思います。

別に私はどこかの人たちのようにです。率先して嫌がらせなどしません。(苦笑)

毎日このようなブログを書き、人を啓蒙(けいもう)しています。そうして神にも祈り、外に出て行けば辻説法など行い、多くの人の間違いに気づきを与えているのです。

こういうことをし続けていると、釈尊やキリストに起きていたような奇跡が自分の周りにも起きてきます。

昨日もそうでした。庄内川に行ったのですが、昨日は暑かったので、庄内川についてしばらく橋の下で休んでいました。(一号線の一色大橋の下で十~十五分くらい休んでいました。カンカン照りの中ですぐに歩くのもえらいと思ったからです)

川のすぐ近くまで行きしゃがんで川をボーと見ていたのですが、もう後ろではすずめやハトが飛び回って、すずめなどピィピィうるさいくらい鳴いています。(本当にちょっとうるさいんですけどね。〔笑〕)

ふと気づくと、先ほどまで川岸には何もいなかったんですが(その場所はいっぱい石が敷き詰められているところなんですが)いつのまにかあちこちからカニがたくさん出てきていました。(その石の隙間にたくさんのカニが住んでいるのです)

あちこちに十匹以上はいたようですが「何だお前ら出て来たのか」とそのカニたちに声をかけていると、私の目の前の川の中に何か細長い物が動いています。

「ん」と思い、その細長い物をよく見てみると、なんとそれは手の長いエビだったのです。(手長エビ)

「こんなエビが庄内川にいたんだな」とちょっと驚いたんですが(初めて見たものですから)その手長エビが、私の目の前の川の中に三、四匹くらい入れ替わり立ち代り姿を見せていました。(手の長さが違っていたので、違うエビだとすぐに分かりました)

そのエビを動画に撮ろうと思ったんですが、ビデオをかまえると消えてしまうのです。(どうも川底の石の間に隠れてしまうようです。そのエビたちは初めて私の前に出てきたので少し警戒していたようです)それでそのエビを動画に撮ることは出来なかったんですが、十分、十五分休んでいただけでこうなのです。

いろいろな生き物が私の近くに寄って来て可愛らしい姿を見せてくれます。

よいことをし続けているのなら、ほんの少し休んでいる間だけでも、そこに愛ある現象が現れるのです。

ずいぶん起きる現象が違うのではないでしょうか。(感謝もせず、嫌がらせのような)悪いことばかりして自分だけのことしかやっていない人たちと私とではです。

このように自分の回りには普段していることが現れているだけで、自分に原因がないことが自分の回りに現れるということはないのです。(それが釈尊がいわれた「善因善果 悪因悪果」ということです)

こういうことを考えるのであれば、自分たちに起きた悪いことを私のせいにしている人たちが、いかにお門違いかお分かりいただけると思います。

自分たちが悪いことをしているから、自分たちに悪いことが起きているのです。

私に感謝して布施でもしてくれた人が一人でもいるのですか?

それで救急車で運ばれたという人がいたのであれば、それは私に文句をいってくれてもよいのでしょうが(そういう人でも、そういうことになったのは自分の生活態度に問題があるんでしょうが)この辺り、そんな人は一人もいません。(それは断言できます。〔苦笑〕)

この辺りの人はずいぶん私に心が救われているのです。

それなのに誰一人私に感謝せず(何度もいいますが、報恩の行為があってはじめて感謝したというのですから)やっていることといえば(与太話を真に受けて)私への悪口か嫌がらせです。

これではよいことが起きるわけがありません。

散々心を救われた人に対し、誰一人よいことをしていないからです。

恩を仇で返し続けているからです。(こういうことをしていれば天罰はくだります。当たり前のことです)

恩は恩で返さないといけない、そういう人としての筋を通して初めてよいことも起きてくるのです。

それが当たり前の順序であるからです。

そういうことを誰もしていないのによいことが起きてくるわけがありません。

責任転嫁も、もうほどほどにして少しは人としての当たり前の筋を通されてはどうでしょう。(恩は恩で返す)

そうすればよいことは、黙っていても起きてくるからです。(その返した恩がまた自分に返って来てです)

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