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7月 05 2016

災いと奇跡

10:49 AM ブログ

昨日は前のバカ会社がうるさくて書けませんでした。

だから、午前中はずっと前の会社を祈っていました。そうしたら、また何か起きたようで(夕方やたら怒っているのがいましたから)今日は微妙に静かです。(多少はうるさいということです。〔苦笑〕)

私の祈りではなく、自分たちのそのような行いが災いを招いているといつになったら気づくのでしょう。

法の流布をじゃまし続け、天罰を食らい続けても、それでもまだ自分たちが悪いと分からない。(認めない)

本当に哀れです。

それで昨日は早めに家を出て、あちこちで辻説法をしていたのですが、怒っているところはやたら怒っていますが、最近は恩着せがましい話プラス与太話をいつまで信じているのですか、という話をセットでします。

これは効きますね。(ダブルパンチですから。〔笑〕)その話を聞きいやらしそうな顔をした人があちこちにいます。

それで嫌がらせもずいぶん減りました。

ある場所を通るとオバちゃんがこちらを見ていました。

そういう時はだいたい嫌がらせされるんですが(これまではそういうパターンばかりでした。私の方をジッと見ている人は私が近くまで行くと必ず嫌がらせをしてきました)昨日は違いました。

私が近づくと「暑いね」と向こうから話しかけてきたのです。

私は「エッ」と思いました。どうせ何かしてくるだろうとこちらも辻説法をいいかけていたからです。

私も少々戸惑い「ああ暑いですね」というと、そのオバちゃんは「あんたは元気だでいいわ」と私の普段のことを知っているかのように話し笑っていました。

マァ、そのオバちゃんは私の普段のことを知っているんでしょうが(そこらじゅうで、でかい声で辻説法をしまくっているとです。〔笑〕)これまでこういう人はいませんでした。

私の顔を見ている人は(にらんでいる人もいますから)まず私のことをよく思っていない人でした。(「この野郎、人を病気にばかりさせやがって」くらい思っていたんでしょう。〔苦笑〕)

しかし、このように私に笑いながら話しかけてくる人も出てきたのです。これなど辻説法が効きだした何よりの証拠でしょう。

やっと私の努力も実り始めたといったところでしょうか。(ずいぶんかかりました。〔苦笑〕)

そういうことにも気をよくしていたのですが、夕方、家の方に帰ってくると、もう何度も辻説法をした場所を通りました。

そこを通るとこれまでは必ず誰か彼かでかい音を立ててきたのですが、昨日は誰もそういうことをしてきませんでした。(そういう場所がずいぶん増えました)

それで私が「皆さんいつまで子供だましの与太話を信じているんですか。私は皆さんの心を救っただけなのです。それなのに、その与太話に騙され私に嫌がらせなどするから悪いことが起きるのです。感謝されてはどうでしょう。恩には恩で返されるなら奇跡も起きてくるからです」といいながら帰ってきたのですが、その時、ブシュという音が聞こえてきました。

そちらを見ると大型トラックが止まっています。(大型トラックの駐車場のようなところにです)

その大型トラックの運転手が、私がしていた辻説法を聞いていて、それで面白くないのでやったようなのですが、私はここぞとばかりに大きな声で説法をしました。

「皆さん、いつもこうなのです。このようにトラックの運転手連中はいきなり私にブシュブシュやってきて、私が歩いているすぐ近くで思いっきりブシュとやられて鼓膜が破れるんじゃないかと思ったこともあります。私はただ歩いているだけなのです。それなのによってたかってこの連中は私にブシュブシュ嫌がらせをしてくるのです。この連中は私のブログまで読んでいる者がいて散々私に心を救われているというのにです」

「心が救われているのに、それには少しも感謝せず、与太話を信じて嫌がらせばかり、こういう人たちに天罰はくだらないんでしょうか?」

「こういう人たちが病気をしてもそれは自業自得だとは思いませんか?それなのに、この運転手連中は病気になったのは私のせいとよけい嫌がらせをしてくるのです。こういう態度を皆さんどう思われますか?」

そういうことを大声でいって、運転手の方を見ると、運転手はいやらしそうな顔で向こうを向いていました。(変な顔をしているのが少し見えましたから。〔苦笑〕)

それでその運転手にも「心を救ってもらったのに感謝もしないのか。そのお返しが嫌がらせか。そんな態度を取っていて恥ずかしくないのか」とこれもまた大きな声でいってやりました。

さぞ、あの運転手は恥ずかしかったでしょう。(笑)

その私の辻説法を聞いていた、犬を散歩させていたオバちゃんが凄い驚いた顔でこちらを見ていました。(あれには笑いました。〔笑〕)

まるで「この人いい人だったの」「私たちが間違えていたの」といっているような顔でこちらを見ていたからです。(笑)

そういう人も最近は増えてきたように感じます。なんだかんだいいながら、少しずつではありますが誤解がとけてきているようです。

いつまでも私を怨んでいても救われません。それはお門違いもいいところであるからです。

少し反省してみませんか?そうすれば自分たちが間違っていたところも分かるからです。

恩を仇で返している人が多いから災いが起きているのです。

恩には恩で返されませんか?

そうすれば今度は奇跡が起きてくるからです。

(私のいうことを聞いて奇跡が起きている人はたくさんいます。災いが起きている人のいうことをいくら聞いても災いしか起きません。その人のいっていることが間違っているから災いが起きているからです。奇跡が起きている人のいうことを聞きませんか。そうすれば奇跡が起きて来るからです)

2コメント

2 コメント to “災いと奇跡”

  1. ウナッシー2016/07/05 at 8:45 PM

    縁とは不思議ですね。法のある時を同じくして生まれながら外国への思いが募り旅立って行っのです。先のテロ犠牲者の中に地元浜松出身の方がいたことをニュースで知らされました。何でも諸外国を渡り歩くのが夢で今は国際支援で子供たちの未来のために貢献していたそうです。そんな人が何故あのような壮絶な最期を迎えなければならなかったのか、いまでも残念に思います。例え選んだ道であろうと祝福されて迎える最期のステージとでは本当の意味での天と地の差ではないでしょうか。それは外国であろうが日本であろうがこの世での生との決別であり自らが選んだ結果として受け止める他ないのでしょうか。
    そう考えると本当に反省と感謝、感謝と報恩が如何に大事か改めて知ることになります。正しく見ることで全ての行動を正して行ける唯一の法ご縁を持てたことに重大な責任を感じずにはいられません。

  2. gtskokor2016/07/05 at 9:20 PM

    そうですか。それはまた不思議な縁ですが、同じ人を救うにせよ、神を思うのと思わないのとでは、雲泥の差があります。
    神を思い、そうして、その神の心で人を救いたいと思うのであれば、その方もあのような悲惨な最後は遂げられることはなかったと思います。(神に守られるからです)
    人を救いたいと思う気持ちは同じであっても、神を思うのと思わないのとではまったく違います。
    このような事件が起きれば起きるほど、早く法の心を多くの人に伝えねばならないと強く思います。

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