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7月 06 2016

神への愛

11:03 AM ブログ

昨日ウナッシーさんからちょうどコメントが来ましたので、そのコメントのことをもう少し詳しく書いておきましょう。

そのコメントとは、あのバングラデシュのテロ事件のことです。(あのバングラデシュのテロ事件は、なぜあのようなことになったのか?と疑問に思う人も多いと思ったので、一度ブログに書いておかないといけないなと思っていたからです。そう思っていたところにウナッシーさんからのコメントです。だから、ちょうどと思ったのです)

あのテロの犠牲となった七人の日本の方々は、皆バングラデシュ発展のため努力されていた方々ばかりでした。

そのような善人が、なぜ、あのような悲惨な最後を遂げられることになったのか?

それは昨日のウナッシーさんのコメントに書いたように、この方々が神を思うことがなかったからです。

もし、この方々が法を知って、神を思う心があって、そうしてバングラデシュに行かれていたのなら、このような最後を遂げられることはなかったでしょう。

神に守られたからです。

しかし、この方々は(多分)人のことは思っても、神のことはそれほど思っていなかったのでしょう。それがこのような悲惨な結果となった理由なのです。

たしかに、このようなテロは卑怯で理不尽なことではありますが、こういう理不尽な目に遭うのも、やはり自分に足りないところがあるからそうなるのであり、私たちは人を愛するより先にまず神を愛さないといけないのです。

その神への愛が足りなかったということです。(このテロの犠牲者は日本の人だけではありませんが他国の方も同じです。やはり神への愛が足りなかったのです。間違った信仰をやり続けていても本当の神への愛は出て来ないからです。一方的な神への偏愛は出てきてもです。そのような偏愛では本当に神を愛しているということにはならないのです)

それはこのようなテロに遭うだけではなく、日本に起きている異常現象も同じなのです。

だから熊本の募金などいくらしても熊本の災いが止まらないのです。

困っている人を助けたい、そういう人が日本にはたくさんいるのですから(募金もたくさん集まるし、ボランティアもたくさん集まるのがそのよい証拠です)そのような(大雨や地震などの)異常現象など止まってもよさそうなものですが、そういう善行をいくら行っても災いは止まらないのです。(特に熊本などひどいものです)

それはなぜか?

みな同じ理由なのです。多くの人に困った人を助けたいという人への愛はあっても、神への愛がないからです。

特に日本の人々は神への愛は少ないでしょう。(無神論ですから)だから他国以上に災いが起きているのです。(天によるです)

だから私はいっているのです。困った人を助けたいだけではダメだとです。それだけでは本当に人を救うことが出来ないからです。

神を一としないといけないのです。

神を一とし、神にまず感謝をささげ(「神よありがとうございます」とです。私たちは神がいるお蔭でこのように生かされているからです)そうして「神よ、どうぞお力をお貸しください。私を正しくお導きください」と祈ってから何かをするなら、神から守られもするし導かれもするのです。

そのような祈りこそ、常に神を思っている、即ちそれは神を愛している、何よりの証拠であるからです。(私たちは愛している人のことは常に考えているはずです。それと同じなのです。神を愛するとは、常に神を思うということなのです)

そういう常に神を思いながら何かをするなら、不思議とよい結果が出たり(それは、私だけではなくウナッシーさんなどのコメントからでも分かると思います)悪いことからも守られるということになるのです。

神から守られるということは、園頭先生の体験など知れば特によく分かります。

何度も書いていますが、園頭先生は銃弾が飛び交い、爆弾が降り注ぐ戦場で神を思って禅定され、傷一つ負わなかったという体験を二度もされているのです。

一度そういうことがあったというのなら、偶然だろうということでかたずけることも出来ますが、二度もそういうことが起きたのです。

神に守られた何よりの証拠でしょう。(園頭先生はこのようなこと以外でも、戦場で不思議と助かったという体験を何度もされています)

戦場にいても守られるのです。では、戦場でもない場所であるならなおさら大丈夫でしょう。銃弾が飛び交い、爆弾が降り注ぐ戦場以上の危ない場所はないからです。

どうでしょう、神を愛する大事さが、この法を知ることの大事さが、このような悲惨なテロなど知ればよけい分かるのではないでしょうか。

本当の神の教えを勉強するなら、そのような不慮の事件や事故からも守られることになるからです。

最近は、世界のあちこちでテロが相次いでいますが、そのようなテロをしている人たちも、そのようなことが間違っていると知るなら、そのような間違ったことはもうしないのです。

では、それが間違いであるとどうやったら知らせることが出来るのでしょうか?

それは「本物の神の教えを知らせる」それしかないのです。

奇跡が次々に起き、そうして不思議な導きと神から確実に守られる教えは、この私が説いている法しかないのです。(この法の流布をじゃましている者たちに災いが次々に起きているということでも、その事実が分かります。今日もいろいろやっていますが妙に元気がありません。〔それでも意地でやってくるのですから呆れます〕災いが起き続けている証拠でしょう)

即ちこの法こそ、本当の神の教えなのであり、この教えを世界に拡げるなら、必然的に、そのようなテロもなくなって行くということです。

この教えを知るならば(この教えによって何が起きているのかを知るならば)本当の神の教とはどのようなものなのかが分かり(本当の神の教えを実践すると、どのようなことが起きるのかが分かり)そのようなテロが正しいことではないと分かるからです。

そんなことを続けていれば地獄に堕ちると分かるからです。

この本当の神の教えを世界に拡げない限り、間違った教えは増え続け、テロのような悲惨な事件も、天変地変も増え続けるということです。

そのような間違った心が多くの災いを呼ぶからです。

奇跡を呼ぶ教えはこの法しかありません。

いつまで皆さん眠っていられるのですか?この法を知っている人たちが動きださない限り、様々な災いは止めることが出来ないのです。

この教えを世界に伝えてくだされば、戦争もなくなり、テロもなくなり、天変地変もなくなり、真の世界平和が実現するのです。(これは絵空事ではありません。本当に出来るのです。この法を実践するなら、神の偉大な力が現れることが実感できるからです)

少しずつでもされませんか?

それが真の世界平和への第一歩となるからです。

2コメント

2 コメント to “神への愛”

  1. ウナッシー2016/07/06 at 12:40 PM

    今日のブログを拝見しこのようなことを思いました。まだ法のことは分からないなりにも、もし私の人と成りを見て周りが変わるのなら何処へでも行きたいと思ったことです。さてさて現実はそんな及第点はさっぱりほど遠いものかもしれません。しかしこのブログに出逢ってから初めて大きな志しを持ったことは大きな変化であると自負します。心の世界に視点をおいてそのような思いを持つ事は、これまでにはない経験であり何かやっとスタートラインにたてたような気がしてます。

  2. gtskokor2016/07/06 at 1:36 PM

    それはよいことです。頑張ってください。

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