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7月 19 2016

起きる現象の違い

11:07 AM ブログ

九州から東海まで一斉に梅雨明けしましたね。

関東はどうなのでしょう。このまま梅雨明けということになると水不足が深刻な問題になるのではないでしょうか。(水がめがあるダムの辺りはあまり雨が降っていませんよね)

それにしても今年の梅雨は極端でしたね。

異常な大雨になったところはあるし、そうかと思えば先ほどの関東のように雨がほとんど降らなかったところはある、竜巻が発生したところはある、激しいカミナリでヒョウまで降ったところはある、異常な暑さとなったところはある、台風が来なかっただけで後はほとんどの悪いことが起きているのですから、これだけ極端な天気の梅雨もないのではないでしょうか。

結局、極端な人(頑なな人)が多いからでしょう。

そのような極端に頑なな人が多くては災いも止めようがありません。だからこれだけ極端な天気が現れているのです。(そのような人たちの心が現れてです)

もう少し素直な心を持たれてはどうでしょう。そうすれば、このような極端な天気も収まってくるからです。

神の心を勉強されてはどうですか。神の心(中道)を知る人が増えてくればこれほど極端な天気が現れることはないからです。

どうしたんでしょう?どこかの会社もあまり元気がありません。

元気があれば今日はブログを書かなかったのにです。(凄い勢いでじゃましてくるでしょうから)まさかこのブログを読みたいから元気がないんじゃないでしょうね。それとも元気がなくなるほどの災いが現れているのでしょうか?

マァ、どっちでもいいんですが、昨日出て行くとやたら怒っている運転手連中がいましたが、何をそんなに怒っているのでしょう?

そういう人たちはすべてです。みな私に散々嫌がらせをしている人たちばかりではないですか。

そうして神の心も知ろうとしません。

神の心を知ろうとせずにいればもう災いは起きるのです。(それは日本全体を見れば分かるはずです。日本中の人々が神の心を知ろうとしないから日本中で災いが起きているのです)

神の心を知ろうとしないだけで災いは起きるのです。では、その神の心に逆らっている人たちはどうなるのでしょう?

そのような人たちには個人的に天罰がくだるということです。

だから天罰がくだっているのです。自分たちが神の心に逆らっているからです。(それが私に対する嫌がらせです。そのような行為は神の心に逆らっている何よりの証拠です)

それを私のせいにしているだけなのです。自分たちが神の心に逆らっているという自覚がないからです。

しかし、自覚があろうとなかろうと、まともに神の心に逆らうなら天罰はくだります。

そのような間違ったことを日本中の多くの人がしているのです。だから日本中に天罰がくだっているのです。

日本の人たちはです。神の心など誰も知らないでしょう。(金儲けの仕方を知っている人は多いのかもしれませんが)だから、災いばかりが起こされるのです。

絶対に知らなければいけない神の心を知ろうとしないからです。

お前に何が分かるかといわれましても、何度も書いていますが、今現在日本で次々に奇跡が起きているのは私だけなのです。

だからよけいこの辺りの人は悪いことを私のせいにするのです。私だけに災いが起きていないからです。

あいつが祈り始めてからこういうことが起き出した。それにあいつだけ何も起きないのはおかしい、だからこの災いはあいつがやっているとです。

しかし、こういう見方はおかしいでしょう。私が祈り始めたのは昨日、今日のことではありません。

もう法と出会ってから毎日のように祈っています。(だからもう二十年以上祈っています)しかし、そのような祈りに関わらず、最近様々な現象が現れ始めたのです。

それに私だけ何も起きないというのもおかしな見方でしょう。

私にも皆さんと同じように変わったことは起き出しているからです。

ただ起きていることが違うだけで、多くの人たちと同じように私にも変わったことは起きているのです。

私にも起きていますよね。奇跡がです。これは最近になり起き出したことなのです。(そんな何十年も前から、鳥や魚が寄って来るなどということは起きていなかったですから)

だから奇跡と災いの違いはありますが、皆さん方(また日本もそうですが)同様、私にも変わったこと(前には起きていなかったこと)が次々に起き出しているのです。

では、私も他の人も同じなのではないですか?同じように最近になって変わったことは起き出しているからです。

これでお分かりいただけたと思います。

つまり、そういう時代になったのです。(何度もいっていますが、心が現れる時代にです)

だから日本中に(皆に)変わったことが起き出したのです。時代が変わったからです。

では、私には奇跡が、他の多くの人には災いが起きている、この違いはどこにあるのかということです。

それが正しさの違いなのです。

私は正しいことをいっているから奇跡が起きるのです。(それは釈尊やキリストを知ってもらえれば分かると思います。あのような偉大な方々は間違ったことをいわれなかったから、あれだけの奇跡が起きたのです)

他の人たちは間違ったことをいっている(思っている)から災いが起きているのです。

正しいのか、間違っているのか、それが奇跡と災いが起きる違いなのです。

奇跡が起きているということは、その人のいっていることが正しい証拠であり、災いが起きているということは、その人たちのいっていることが間違っている証拠なのです。

起きる現象の違いが、その人のいっていることの正否を現しているのです。

災いが起きている人たちのいうことをいくら聞いたところで、災いしか起きないのです。(その災いが起きている人のいっていることが間違っているからです)だから奇跡が起きている人のいうことを聞かないといけないのです。

その人のいっていることが正しいから奇跡が起きているからです。

私のいうことを聞かれてはどうですか?

先ほども書きましたが、次々に奇跡が起きているのは私だけだからです。その起きている奇跡が私のいっていることの正しさを証明しているのです。

災いが起きている人のいうことを聞けば聞くだけ、ますます災いは現れてきます。

いつまでそのような間違いを続けるのですか?

多くの人が、その間違いを直すまで災いは現れ続けるのです。

追伸…奇跡が次々に現れていると簡単に書いていますが、これはそう簡単に出来ることではありません。

いっていることや(もちろん法に関してですが)やっていることに間違いがあれば、たちまちこの奇跡は現れなくなるからです。

それだけ奇跡が現れ続けているということは難しいことであり、今生など、その奇跡が現れ続けた人は高橋先生と園頭先生のお二人だけなのです。(後の如来の弟子たちはみな失敗しました)

少なくとも、その奇跡が現れている間は、私は正しいことをいっています。

大丈夫ですか?正しいことをいい続けている私のいうことをいつまでも無視し続けていてです。あるいは逆らい続けていてです。(ほんと怖いです)

多くの人が、あまりに私のことを軽く見すぎているのではないでしょうか。

だから天罰を食らうのです。

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