7月 18 2016
時代に即した心
今日はバカ会社は休みのようです。(事務所の連中は来ているんですかね。事務所の窓があいていたようですが)
そうすると、他の連中が(例えばどこかのマンションの連中とかです)じゃましてきます。しかし、この辺り、このブログを書くのを喜ぶ人はいませんね。(パソコンの音がうるさいのかどうなのか知りませんがです。それにしても小さい。〔だって家でパソコンを打っているだけですから〕この辺りも保育園をつくるなという部類の心の狭い人が多そうです。〔苦笑〕)
それでいてブログを二、三日書かないと怒っている人もいます。勝手なものです。(そういうブログを書かないと怒っている人も私に一銭の寄付もしないくせにです。何の協力もしようとしないくせにブログだけは読みたい、本当に勝手です)
私に嫌がらせをするだけして、そうしてブログだけは読んでいるという人も、この辺りはたくさんいるのですがどちらにしてもこういう人たちは救われません。
もう、このような心の人たちは時代に合わないからです。
何かおかしな顔をして歩いている中学生が増えました。(少し前までは、私の顔を見るとニヤニヤして嫌がらせしてくる中学生が多かったんですが、最近は減りましたね)もし、周りで悪いことが起きているのなら、私に詫びを入れた方がいいでしょう。
悪いことをしたのはあなたたちの方であるからです。(私を散々バカにして、嫌がらせした)
悪いことをしたままほっておいても、その悪いことをした罪は消えません。
その罪を消すには、そういうことをして悪かったという反省の心と、私に申し訳ありませんでした、という詫びを入れる行いが揃って初めて、その罪は消えることになります。(その罪は許されます)
そのまま罪を放置しておけば、いずれはその罪は自分自身に返ります。詫びを入れてはどうでしょう。
そうしないと必ず災いは起きるからです。
もう自分たちが悪いことをしているのに、それが返ってくるのがはるか先、などという時代ではないのです。
自分が犯した罪は(人によっては)すぐでも自分に返って来ます。もうそういう時代になっているからです。
早く反省されてはどうでしょう。何か起きてからでは遅いからです。
よいことをしてもらっても感謝一つしない、自分も読みたいくせに(じゃまはしても)少しも協力しようとしない、悪いことをしているのにそれを反省しようともしない、このような人たちはもう時代遅れな、この時代に合わない心の人たちなのです。(こういう人たちは末法の世、二十世紀の心の持ち主ですね)
すでに時代は変わっています。(もう二十一世紀です)時代が変わっているのなら、その時代に合わせた(即した)心にならないといけないのです。
では、時代に即した心になるとどういうことが起きて来るのか少し書いてみましょう。
今この辺りでもセミがうるさいくらい鳴いていますが、この前、知多の海に行った時のことです。(だから六月の末くらいのことです)
名鉄の内海駅について、海岸まで歩いていると途中に神社がありました。その神社の辺りで鳥がたくさん鳴いていましたので、どんな鳥がいるのかと思い、その神社に入って行くと、なんと鳥だけではなく急にセミまで鳴きだしたのです。
「エッ、もうセミが鳴いているの」と少し驚いたのですが(だいたいセミが鳴きだすのは七月の十日前後ですから。名古屋の辺りではそうです)だから何匹かのセミがもう出てきていて鳴いたのでしょうが、セミがこんなに早く出て来ているということは知りませんでしたし、この時期にこれだけ元気よく鳴くセミも初めてでした。
そのセミたちは、私がその神社にいる間は大きな声で鳴いていて、私が神社から出てしばらく歩くと鳴き止みました。
特別私だけのためにそのセミたちは(時期も早いのに)鳴いてくれたようです。
時代に即した心になると、このようなことが起こります。
そうして海まで行き、砂浜を歩いていると、そこにいる鳥や魚たちが寄って来て嬉しそうに飛び回り、泳ぎ回っています。中には私が歩いている砂浜の浅瀬にまで寄ってくる魚もいます。そればかりか砂浜にもぐっている貝まで顔を出し挨拶してくれるのです。(マテ貝などです)
時代に即した心になると、このようなことが起こります。
堀川など歩いていた時のことです。すずめやハト、ムクドリやカラスたちがあちこちから飛んできます。ツバメも元気よく飛んでいます。横の川に声をかけると小魚がたくさん水面まで出てきます。
ふと気づくと私の横を黒い蝶が飛んで行きました。何気なくその蝶に「黒い蝶か、珍しいな」と声をかけたのです。そうしたら、その蝶が急に反転して私の方に飛んできて、私の回りを二、三度飛び回り、嬉しそうに飛び去って行きました。
その蝶を、その後(堀川の辺りで)何度か見ましたが、その度に私の方に嬉しそうに飛んできて飛び回っていました。
初めて見る蝶であっても、少し声をかけるなら、それだけでこちらの愛が伝わり、その蝶が一変になついてしまうのです。
時代に即した心になると、このようなことが起こります。
庄内川など行って川岸を歩いていると、すずめやよく名前のわからない鳥がよく飛んできて、私の横を飛んでいたり、足元まで下りてきたり、私の少し前を私が歩いて行くスピードに合わせて少しずつ飛んで、しばらく私について来る鳥もいます。
ツバメなど私が気づかないと(下を向いて歩いていてです)ピィピィ鳴きながら私の横や頭上を飛び回り(この辺りツバメは八月くらいまでいます。この時期はまだそこらじゅうで見ますね)いろいろな鳥があちこちで鳴いています。
そうして川岸をしばらく歩いて、いつも休憩する場所(南陽大橋の下)に行くのですが、もうそこの川岸には私が休憩する時間にはカニやムツゴロウような魚たちがたくさんいて、歩き回り飛び回っています。
川を見ると、小魚がたくさんいる時もあれば、大きな魚が跳ねる時もあり(そこでエイも見たことがあります)あちこちから亀もたくさん顔を出しています。(川の中に亀もたくさんいるようです)
とにかく川岸を歩いているだけで、多くの生き物たちが顔を出して癒してくれます。
時代に即した心になると、こういうことが起こります。
めぼしいところだけを少し書いてみましたが、これ以外でも、いろいろな生き物が(昨日のミミズなどもそうですが。〔笑〕)寄って来て心を癒してくれます。
時代に即した心になれば、もうこのような愛ある現象が次々に現れる時代になったのです。
正法の世とはそのような時代であるからです。(自分の心が即座に現れる)
もう末法の世の心のままではよいことが起きないのです。(だからよいことが起きる人が少ないのです。時代遅れの心の人たちばかりであるからです)
もうこの時代はくだらないことに意地を張り通したり、物さえ満たされればそれでよいという時代ではないのです。(だから例えば、アメリカンドリームのような、心はそっちのけにして地位や名誉や金だけを求める時代ではもうないということです)
しかし、いつまでも愛ではなく、そういう物だけを求める心の人が多いから、これだけ災いが起きているのです。(この辺りの災いだけでなく、激しい天変地変などもそうです。未だにそのような〔アメリカンドリームのような〕物だけをありがたがる人が多いので、天変地変が激しくなっているのです。そのようなうな物は一たび災害が起きればなくなる、はかないものであると。そういうはかないものにいつまでも執着していてはいけないと気づかせるためです)
私のように愛ある奇跡が現れないと、この時代はもう救われないのです。
どれだけの大豪邸に住んでいようと、東日本大震災のような大災害が起きれば一瞬で消し飛ぶのです。
しかし、愛はどれだけ激しい天変地変が起きようとなくなりません。
愛ある心は物などに左右されないのです。むしろ、激しい現象が起きれば起きるほど愛の心は深くなるのです。
このような何が起きてもなくならない(それどころか困難があればよけい深まる)愛ある心こそが一番偉大なものであり、一番大事なものであるのです。(その愛の心さえあれば人は救われるからです)
いつまで時代遅れの心でいるのですか?
愛ある心がある人には次々に奇跡が起きているというのにです。



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