8月 05 2016
悪魔の導きの恐ろしさ
今からでも遅くはありません。反省されてはどうでしょう。
今現在も災いは起き続けているからです。止まっているわけではないのです。その災いは、自分たちが悪いということを自覚し反省しない限り止まらないからです。
この辺りの多くの人は大変悪いことをしているのです。しかし、その悪いことを悪いと思わせないのです。
それが悪魔の導きであるからです。
「お前が悪いのではない、悪いのはすべてあいつ」「悪いことをしている奴にどれだけ悪いことをしても悪いことはない」そのように思わせ、次々に罪を犯させるのです。
しかし、よく考えてみてください。
たった一人の者に大勢の者がよってたかって嫌がらせすることがよいことでしょうか?
何の証拠もないのに、いま起きている悪いことはすべて一人の者がしていると思い込み、その者を悪者に仕立て上げることはよいことなのでしょうか?
少し冷静になり考えてもらえれば分かりますが、このようなことはよいことではありません。
それどころか、大変悪いことなのです。
どれだけ悪い者に対してもです。よってたかって嫌がらせすることはよいことではありません。なぜ、その者がそういうことをしているのか、その理由を聞いてやり悪いところがあるなら、それはおかしいのではないですかと愛の心で意見するのが、人として当然のとるべき道であるからです。
それは、この前、障害者に無差別殺人を犯したあのような者にでもそれくらいの態度で接する人はいるのです。それなのになぜ、私に対しては誰もそのような態度で接する人がいないのですか?
いきなり嫌がらせなのでしょう。そのような態度がすでに悪いことなのです。
それに証拠もないのに、一方的にその者を犯人と思い込み、その者を悪者に仕立て上げるなど話にならないでしょう。
それはよく問題になっている冤罪事件など知れば分かるはずです。(無実の罪を着せられた人の悔しさ悲しさは想像に難くありません。そういうことを一方的されたらどう思いますか?)
そういう少し考えれば悪いことをしていると誰だって分かることを、この辺りの大勢の人たちは分からないのです。
よく考えてみれば、これだけ恐ろしいことはありません。大人から子供まで、悪いことをまったく悪いと思わず平気で行っているからです。
これが悪魔の怖さなのです。
悪いことを悪いと思わせないのです。それどころか、むしろその悪いことはよいことだと思わせるのです。
これが悪魔の導きなのです。
この辺りの大勢の人がすでに、その悪魔に導かれているのです。
悪魔の導きに乗ってしまえば、最後にはどこに連れて行かれるかは当然お分かりになると思います。
もちろん地獄です。
つまりこの辺りの多くの人が、知らず知らずのうちに地獄への道をまっすぐに突き進んでいるということです。
しかも、年老いた人から小さな子供までです。
そういう老人から子供まで、私に嫌がらせをしてくるのです。もう完全に悪魔の虜になっていると思われないでしょうか?
このような人たちは、みな私の顔を見ると勇んで(というか気色ばんで)悪いことを(嫌がらせを)してきます。悪いことをまったく悪いと思わず、むしろよいことをしていると思いこんでです。
このような行いはもう悪魔そのものなのです。(悪魔と同じことをしているということです)
恐ろしい話です。悪魔の所業を、小さな子供から老人まで、この辺りの多くの人が平気で行っているというのですから。
この辺りに多くの災いが集中するはずです。この辺りの多くの人々がすでに悪魔に洗脳されているからです。
そういう人に気づきの現象(天罰)を天は与えないわけにはいきません。だから現れているのです。
これだけの災いがです。
もうすでにこの辺りの多くの人が悪魔に支配されているからです。だから起きているのです。このような多くのサイレンがです。
何でこういうことが起きたのか?
それは、ここに法が出現したからです。だからここに悪魔も集中したのです。
その法を潰すためにです。
しかし、だから法を説いた私が悪いとでもいうのでしょうか?それは間違いでしょう。もし、法を説く私が悪いというのなら、釈尊やキリストも悪いということになるからです。
釈尊やキリストも私と同じように法を説いて奇跡を現されたのです。
しかし、その結果、多くの人が救われたのです。
法を説く人が現れることが悪いはずがないでしょう。これ以上の善いことはないのです。
その法を説く人を潰そうと集まって来た、悪魔に支配されてしまう人の方がよほど悪いのです。
そのような悪魔たちは善なる心の持ち主には憑くことも出来なければ、洗脳することも出来ないからです。
それなのに、もし、この辺りに悪魔のいうことを信じ憑かれた人が多くいたのなら、この辺りに善なる心の人がいなかった(少なかった)ということになります。
では、そういう善なる心を持っていない人の方がよほど悪いでしょう。人が善なる心を持つことなど(神の子である人間として)当たり前のことであるからです。
その当たり前の心さえ持っていなかった、この辺りの人たちは一体どんな心をしているのでしょう。(逆に恥ずかしいですよね。それだけ多くの人が悪魔に導かれているというのであればです。それは、それだけ多くの人が汚い心しか持っていなかったということになるからです。それも大人から子供までです)
だから私はいっているのです。
今からでも遅くはないから反省されてはどうでしょう、とです。
それが人としての当たり前の道であるのだし、反省出来るということは、まだ悪魔のいうことを完全に信じているわけではない、まだ善なる心が残っている、正しい人であるといえるからです。
悪魔に完全にやられてしまっている人たちは仕方ありませんが(どこかの会社の連中とかです。今日も精を出してじゃましています。〔苦笑〕)まだ、このブログが読める(信じられる)反省も出来るという人たちは、よく自分たちの行いを反省され布施でもされてはどうでしょう。
その私に対する布施の行為が、反省がよく出来たという何よりの証であるからです。
一方で悪魔のいうことを聞き、一方でこのブログを読んでいるからいけないのです。
このブログだけを信じてください。悪魔のいうことを聞いてはならないのです。
悪魔のいうことを聞き、それに従った人たちにはこれだけの災いが起きているのです。それに対し、私に従った人たちには次々に奇跡が起きています。
その現象一つとっても、どちらのいうことを聞いた方がいいのかは分かるはずです。
しかし、悪魔と私の両方のいうことを聞いていると、どちらが正しいことをいっているのか分からなくなるのです。(それだけの現象の違いを見せられてもです。悪魔はその奇跡さえも悪く思わせるからです)
だから私のいうことしか聞いてはいけないというのです。悪魔の言葉を聞いていれば、その毒気に当てられ正しい判断が出来なくなるからです。
今この辺りの多くの人たちは悪魔に導かれ地獄への道を一直線に進んでいます。
その地獄の道から抜け出す手段は、この法を信じること、それのみなのです。



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