10月 26 2016
心の基準
今日はすでに何か起きたようですね。(朝の八時過ぎくらいでしょうか、急に怒り出すのがいて、それから一変に静かになりました)
いま妙に静かで空気が重く感じますが、それでもしばらくするとじゃましてきます。もはやまともではないですね。(前のバカ会社はです)
昨日のようなブログを私が書くということは、何か天上界が警告しているのです。(つまりこれから昨日書いたようなことが起きるということなどです)だから、災いが朝一から起きているのでしょう。(それも気づきの現象です)
早くその警告に気づいてほしいものです。
そういう気づきが次々に現れているにもかかわらず、それでも心を入れ替えようとしない、本当にまともではありませんが、そういうまともでない人たちがこの辺りは他にもたくさんいるようです。(本当に神をも恐れぬ人たちです)
あんなブログを書いたからでしょうか、昨日は運転手の皆さんはずいぶんお怒りでした。(特に市バスの皆さんはお怒りでした)
しかし、なぜ怒るんでしょうか?こちらは今のままでは早死にしますよと教えてあげているだけなのにです。(「よいことを教えてくれた、あなたは命の恩人です」と感謝されるかと思いましたが…)
しかし、どれだけ怒ろうがわめこうが事実は事実です。早く私に詫びを入れて「助けてください」と懇願されてはどうでしょう。
それ以外であなたたちが早死にしない方法はないからです。(あれ、神経、逆撫でですか?)
しかし、こればっかりは事実です。土下座でもされて私に許しを乞うてはどうでしょう。
そうしないと、あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実であるからです。
だってそうでしょう。それだけの悪いことをすでにあなたたちはしているのです。
だから私は、今のままではあなたたちは早死にします(早々にあの世に引き上げらます)といっているのです。(何度もいいますが、そのことを私はあなたたちに教えてあげているのです。もっと感謝されてはどうでしょうか?)
自分たちが現したサイレンをすべて私のせいにして、私一人を悪者に仕立て上げ、自分たちは善人のふりをして「あいつがすべて悪い」と根も葉もない噂をいいふらし、よってたかって私への嫌がらせ。
そのせいで、私はあなたたちだけではなく、そこらじゅうの人たちから(それこそ大人から子供までです)嫌がらせを受ける羽目になり、そればかりか、そんな根も葉もない噂を信じて私に嫌がらせをしたばかりに、多くの人が病気になっているのです。(そんな罰当たりな行いもないからです。心を救われている者に感謝もせず嫌がらせです。これでは天罰も食らいます)
これだけ恐ろしい現象(サイレン)を世に現したにもかかわらず、それをすべて法を説いている者のせいにして、法を説いている者を大悪人に仕立て上げ、その噂を信じた多くの人まで病気にしている。
これだけ極悪非道の所業はありません。(これだけの悪事、そうは出来ません)
だから『あなたたちが早死にするのはもはや避けられない決定的な事実である』といっているのです。
それだけの悪行を(知ってか知らずかは知りませんが)すでにあなたたちはしているからです。(「知らなかった」ではすまされないほどの悪事です)
ただでさえ法を説く人への悪事は罪が重いのです。
それは、法の流布のじゃま、法を説いている人への嫌がらせは、殺人を犯すことよりも重いと昨日書いた通りです。
なぜ、そんなことがいえるのか?
それは天罰の多さを知るなら分かるはずです。
殺人を犯した者に、この辺りで起きているような天罰がくだるでしょうか?
もし、法のじゃまをすることより、殺人の方が罪が重いのなら、天はこの辺りで起きているよりもっと重い罰を殺人者には与えるでしょう。
しかし、殺人を犯した者にそんなに次々に天罰がくだるようなことはないのです。
なぜでしょうか?
それは、法をじゃますることより、まだ殺人の方が罪が軽いからです。だから、天はそのような殺人者に罰はくださないのです。
肉体を殺す罪は心を殺す罪よりずっと軽いからです。
そういう起きている現象で、自分たちがどれだけ悪いことをしているのか理解しないといけないのですが、これが唯物無神論の弊害なのです。
日本の人々は長く唯物無神論であったため、その天罰の意味がまったく分かりません。
天が罰をくだすわけがないと頭から思っているのです。だから、どれだけ天罰を食らっても、それは一個人がやっていると思い込んでいるのです。(そういうことを一人の者がやれるのかまったく疑問ですがね。都合のいいこじつけとしか思えませんが)
しかし、あまりに重い罪をこの世の人が犯した場合、天は罰をくだすのです。
それがこの辺りで起きている恐ろしい災いなのです。
罰が当たっている人がより重い罪を犯しているのです。いい加減それを理解しないといけないのです。
この世の罪で、およそ法に関わる罪ほど重い罪はないのです。(無差別殺人の犯人でも、これだけの天罰はくだりません。なぜ、天がこれほどの罰をこの辺りの人たちにくだしているのか?それは、無差別殺人を犯すよりも〔ずっと〕重い罪をこの辺りの人たちは犯しているからです)
これくらい説明すればもうお分かりでしょう。(それともまだ分かりませんか?そういう人はよほどの無知です)
これだけの天罰が次々にくだるような恐ろしく重い罪を、あなたたちは(自分だけでなく)多くの人に科してしまったのです。
その罪は凄まじいものになっているのです。(あなたたちが知らないだけでです)
この世の基準と心の基準は違います。その心の基準を基準としないといけないのです。(とはいえ、では、この世の法律を守らなくてもいいのか、といえばそうではありません。この世の法律も当然心の基準の中に入っています)
この世の基準を知っていても心の基準(法)を知らない人は多いのです。
しかし、心の基準を知らないと、知らず知らずのうちに大きな悪を犯してしまい、天罰を受けるということは往々にしてあるのです。
これからは特に、この心の基準を知らないと、どこでどんな天罰を食らうか(どこでどんな罪をつくるのか)分からない時代となっています。
いい加減反省されてはどうでしょう。
悪いのは、その心の基準をそっちのけにして自分のことばかりしていた多くの人々であるからです。
追伸…本当にどこかの会社の様子が変ですね。(よく電話がかかって来てバタバタしています。それでもたまにキレていますが)
昨日書いたブログのようなことが起きてきたのではないでしょうね。(次々に病気になる人が出だしたとか)だとしたら、もう怒っている場合ではありません。
怒れば怒るほど病人(天罰)が増えていくからです。
私が祈れば、その現象も止まるかもしれませんが…どこかの運転手より先に来られたらどうでしょう。
あなたたちを救えるのは(もちろん私などではなく)この法しかないからです。



人目の訪問者です。

何か自分に失敗等の不運がある、その都度、よし明日から気持ちを切り替えて頑張るか。そんな過去を通してみると幾度も同じ様な過ちがあったことが分かる。やっとその理由が反省を通して分かったのです。心で分かるというのは反省という行いを実践することでしか会得できなのですね。分かった様な気がする。頭では分かる。知ってる。どれ程自分を主張しても実践しないことには前へ進むことすら出来ない厳しいものなのですね。最近気になるニュースでは自殺が多いなと思います。老若男女問わずです。先日ではお祭りで満面の笑みで写真を撮って楽しそうな娘さんが2週間後に自殺したとの事でした。自分で思い詰めてしまうなど、本当にこの正しき教えに縁がないものなのか?と疑問に思ってしまいます。
この教えに縁を受けて実践され多くの方がより有意義な人生を送ることが出来ればと思って止みません。
そうですね。行即光です。
実践しないと光は現れてこないのです。
本当に、早くこの教えを多くの人に伝えないといけないとつくづく思います。
ずいぶんこの辺りも様子が変わってきたからです。
今日は海に行っていました。行くたびに愛が現れてきます。
またそのことは書きます。