11月 15 2016
民意より神意
しかし、韓国は凄いですね。百万人規模のデモです。ニュースで見ていても迫力ありますね。
とはいえ、高橋先生はデモなどしてはいけないといわれていました。では、韓国の人たちは百万人規模で間違ったことをしているということになります。
いくら韓国の伝統とはいえ(伝統みたいですね。韓国は昔からデモばかりしていたようで、それで韓国の歴史まで変わってしまったそうです)間違ったことは早くやめた方がいいでしょう。
そんな、間違ったことばかりしていてはよいことが起きないからです。(日本のようにです。〔苦笑〕)
別に韓国にケチをつけるわけではありませんが、私はただいけないものはいけないといっているだけです。
そのようなやり方は間違っているからです。
なぜ、デモがいけないのか?
結局それは、力ずくということには変わりがないからです。
そうではないでしょうか。権力者は権力を使って何かを変えれば力ずくといわれます。
しかし、それは民衆も同じであり、数の力で何かを変えようとするなら、それは力ずくで物事を変えているのであって、ただ権力者と権力を持たない民衆ではやり方が違うだけで同じことをしているのです。
別にデモは韓国だけではなく(日本も含めた)どこの国でもしていることで、力のない民主はデモでも起こさないと世の中を変えることは出来ない、デモは戦争をするわけではないので、平和的でよいなどと思っている人が多そうなので(それでも民衆の力に任せて物を投げたり壊したりしてますけどね)このように分かりやすく書いているのですが、はっきりいうならデモもやってはいけないのです。
何度もいいますが、そのやり方が違うだけで力ずくで物事を変えることには変わりがないからです。
力ずくで物事を変えることは正しことではありませんよね。よく皆さんそういわれますが、それは正しいことであって、ではデモもいけないということになります。
デモも力ずくであるからです。(デモは民衆の数を頼った力です。だから高橋先生はデモなどしていてはいけないといわれたのです)
ではどうすればいいのか?ということになりますが、簡単な話です。話し合いをすればいいのです。
それは、話し合いで解決出来ないものはないと皆さん方がいわれている通りであると思うからです。
その話を権力者が聞かないから、デモをしているんだろうといわれますが、それは熱意が足りないのではないですか?
もっと強い気持ちを持って多くの人が声を上げるなら、その熱意は権力者にも届きます。では、どんなえらい人とも話し合いが出来るのではないでしょうか。
民主主義の世の中であるからです。
お前はアホかと、そんな話し合いだけで何でも解決出来れば世話はないと(いつもは、話し合い、話し合いとばかりいうくせにね。特に共産党などです。〔笑〕)たとえ民主主義の国であれ(では、民主主義でない国はもっとひどいのでしょうが)どうやっても私たち(民衆)の話を権力者がきいてくれないから、デモをしているのであり、戦争をしているわけではないのだからデモはいいのだと、デモくらいしなければ世の中は変わらないのだと、そう言い張る人もいるでしょう。(だから共産党などやっていることが矛盾しているのです。一方で話し合えといいながら、一方でデモを先導しているのです。話し合いとデモ〔力ずく〕ではやっていることが対極にあります。矛盾もはなはだしいですね。この一点を見ても共産党の間違いがよく分かります)
他に平和的な(?)解決方法がないからです。
しかし、本当に他に方法がないのでしょうか?話し合いがどうしても通じない相手にはです。
そんなことありません。他に方法はありますよね。それも一番平和的な方法がです。(これだから法を知らない人は困ります。そう思わないでしょうか?このブログを読んでいる皆さんはです。〔苦笑〕)
そうではないでしょうか。そういうことをいう人たちは祈るということを知らないのです。(私が祈りでこれほどの成果〔?〕を上げていることを知らないのでしょうか?〔多分、知らないでしょう・笑〕)
だからデモなどせず祈ればいいのです。その祈りが正しければ、必ず天はきいてくださるからです。
例えば、今回の韓国大統領の機密漏えい、職権乱用事件などもそうです。
大統領に直接話が出来ないというのであれば、なぜ祈らないのでしょう。
あれだけ多くの人が(何せ百万人規模ですから)あそこでデモなどせずに全員で静かに天に祈りを捧げたなら、なんと韓国の人は神を思い、大統領を思っているのかと世界の人は感動したはずです。
そのような真摯な祈りは見ている人の感動を呼ぶからです。
違いますか?多くの人が「神よ、大統領を正しくお導きください」と心静かに祈るのです。これほど感動を呼ぶシーンはないのではないでしょうか。
その祈りが「大統領が獄につながれますように」などという祈りでは、もちろんいけませんが、もし、百万規模の人があそこで正しい祈りを行ったなら、そこに即座に神の光が降り(しかもたくさんのです)それこそ、その場所に奇跡が現れたかもしれないのです。
多くの人の正しい祈りは天をも即座に動かすからです。
だから私はいっているのです。デモをするなど間違いであるとです。
それほどの人が、その場に集まってデモなどする暇があるなら、祈りをした方がよほどいいのです。(というか、祈りが正解です)
祈りは力ずくではないからです。天の(正しい)導きを得る行為でしかないからです。
人がすることは間違いがあります。しかし、天がされることに間違いはありません。だから祈らないといけないのです。正しい祈りが出来るなら、その後、天が正しい導きをしてくれるからです。
その導きに従い、行うなら、その行いは正しいものであるからです。
今の韓国だけではありませんが、どこの国の人もです。「デモは正しい」このような思想は捨てた方がいいでしょう。
デモも力ずくであることには変わりがないからです。
こういう時は祈ることが正しいのです。では(今デモなどしている韓国も)デモなどやめて、みなで正しい祈りをしませんか?
そうすれば、その祈りだけでも大きく世の中を変えることが出来るからです。
(どこかの会社の人たちも相変わらず大変そうです。それだけ起きていて〔もうパニック状態ですね〕それでも嫌がらせだけはやめない。本当におみそれします。しかし、そのままでは起きる現象は激しくなるばかりです。いつまで進歩のないことを続けるのですか?本当に滅ぼされますよ)



人目の訪問者です。

本日は指導を仰ぎたく宜しくお願いします。日常では間一髪のヒヤリ・ハットの場面に出くわす時があります。このような時は、被害に遭わなくて良かったのか何か促されている、もっと気を引き締めるべきなか。分かれるところですが、どのように反省をする事が良いものでしょうか?
もちろん、そういうことは起きない方がいいのですが、こういうことが起きる時は、だいたいは何か気づきを与えられている時です。
こういうことが起きた時は、何かまずいことをしていないか反省することが大事なことでしょう。