7月 02 2011
天の作用②
前の晩に、ある報道番組のキャスターにあらかさまに皮肉を言われた私は、翌日の朝起きても気分は悪く、昨夜の言葉を思い出すと腹が立ってきました。「何か腹立つな」と思い朝のニュース番組を見ていました。
すると急に地震のニュースが流れたのです。岩手沖で震度五の地震が起きたとのことでした。
「震度五?(一昨日に長野で震度五の余震が起きましたが、こんな大きな余震はここ最近ではこの時だけでした。それまでも、それからも、ずっと余震は震度三が続いていましたから)ずいぶん大きな余震だな」と思った私はすぐピンときました。
「これは天も怒っているな」
そう思った私は、昨日のことは一言ブログに書いておいた方がいいだろうと思っていたのですが…天の怒りはこれくらいでは収まりませんでした。
その大きな余震があった日、長野が豪雨になり、県道と国道に大規模な土砂崩れが起こり、上高地に千二百人の人が取り残される羽目になったのです。そればかりではありませんでした。その翌日はもっとおかしな現象が起きたのです。
大雨が降ったり猛暑となることは、最近はよくある話ですが、震度五の余震と長野に大雨が降り、多くの人が上高地に取り残されたことが起きた翌日、またおかしな現象が起きました。
その日、何があったか覚えていますか?覚えている人も多いと思いますが、その日は、なんと東北の秋田(この日一日の雨量が観測史上最大を記録したところがいくつも出ました)と山形で大雨が降り、その梅雨前線がかかっていない関東、東海地方では、異常な猛暑となって、埼玉の熊谷市で39.8度という六月の気温としては観測史上最高の気温を記録したのです。
つまり一日で、観測史上最大の雨と観測史上最高の気温を記録してしまったのです。
一日のうちにどちらかの記録が出るということは、これまでもあったでしょう。(特に最近は頻繁に)しかし、このような記録が一日に同時に二つも出るということは、これまでなかったのではないでしょうか?ちゃんと記録を調べたわけではないのでハッキリしたことは分かりませんが、どちらにしても普通では起きないようなことが起きたのです。
天は私以上に怒っていたのです。それはそうでしょう。ただでさえ法を理解しないため様々な災いを起こしているのです。それにもかかわらず誰もそれに気づきません。肝心なことに気づきもしないくせに、それを何とか気づかせようとしている私に、自分と意見が違うからとはいえ皮肉まで言ってしまうのですから、天の怒りはそうとうなものだったのでしょう。それが一日で観測史上最大と最高という二つの異常現象を出させたのです。
天がここまでの現象を起こしているのです。これはしっかり言っておかなければいけないと思い、それで、私に皮肉など言ってはいけない、ということをブログに書いたのです。
多くの人は正しさの基準をどこに求めているのでしょうか?法律に求めている人もいるでしょうし、あるいは科学に求めている人もいるでしょう。自分の考えを基準に求めている人もいます。もちろん法律は守らなければならないし、科学も正しい部分もあります。自分の考えも、それは自分で体験し経験してきたことで、よい悪いが分かっていますので、必ずしも間違っているとはいえないでしょう。
しかし、それは正しさの基準を人に求めているに過ぎないのです。これではただ自分が正しいと思っているだけで本当に正しいのかどうかは分からないのです。
では、本当に正しいと知るにはどうしたらいいのか?ということですが、正しさの基準を天に求めるという方法もあるのです。
正しさの基準を天に求めるとはどういう意味なのか?ということですが、それが私がいつも言っている大自然から学ぶということなのです。
法律にせよ、科学にせよ、自分の経験から学んだことにせよ大事なことであり、それを踏まえた上で正しさの基準を判断することは間違ってはいませんが、だからといってそれだけで判断してしまうと分からないことも出てくるのです。(今のような異常現象がなぜ連続して起きているのか、などということはまるで分かりません)
大自然に起きてきたことをまるで無視してしまっては、本当に正しいことは分からないのです。
正しさの基準を人に求めるのか、それとも天に求めるのか、私は天に求めます。(だからといって法律や科学や自分たちの経験を、一切無視するという意味ではもちろんありません)だから私は多くの人がこちらが正しいといっても、天が正しくないといえば(たとえば今回の福島の事故を見て、脱原発を多くの人が言いだし節電をし出した途端、異常な猛暑となったということは極端な脱原発は間違いだと天が教えているのです)それは正しくないと主張するのです。
正しさの基準は人に求めるより天に求めた方が正しいのです。(人の基準は正しいこともあればそうでないこともあるからです)天に求めているのであれば常に天は何が正しいのか教えてくれます。(だから私の書くブログに異を唱えればたちまち天が現象を起こすのです。先のキャスターだけではありません。それ以外の人にも現象は起きていると思いますが……)しかし、これは特別私にだけ起きる現象ではありません。常に天に正しさの基準を求めるのであれば誰にでも起きてくる現象なのです。
正しさの基準を天に求める、それが具体的に分かってきた時、私がここに書いている法の大事さがよく分かり、天が私たちの生活の中にどれだけ影響を与え導いて下さっているのか、それも分かります。
天の作用を無視してしまっては何一つうまくいきません。(現在の日本がそうです)
法を知るということは天の心を知るということにもなるのです。法とはそれほど偉大で権威あるものなのです。であるからこそ、それを説いている私に皮肉など言えば即座に現象が現れるのです。それは私が偉大で権威があるということではなく、ブッダの法とはそれほど偉大で権威があるということなのです。
その偉大で権威がある法を、一人でも多くの人が学び実践されることを願うばかりです。



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