11月 20 2016
無神論の呪縛(じゅばく)
しかし、折れませんね。
私がどれだけ危ないブログを書いても、皆さん意地になって怒っているだけです。(特に運転手連中などそうです)
名古屋の人たちの我の強さには呆れるばかりです。
昨日も怒っている人がたくさんいました。今日などすでに(どこかのマンションですが)バシバシやって怒っています。(何か起きて怒っているのか、それとも昨日のブログを読んで怒っているのか、それは知りませんが)
そういうことをやればやるほど危なくなるのです。いい加減理解されてはどうでしょう。今がどれだけ危ない状況であるのかということをです。
よほどのことが起きていなければ、あちこちの人が烈火のごとく怒っているのはおかしいですし、前の会社が急に静かになるのもおかしいのです。
中途半端な災いの起き方であるなら、前の会社はキレて怒っているだけであるはずだからです。
しかし今回は、その何年にもわたり同じような態度を取り続けていたところが、急に静かになったのです。
では、よほどのことが起きてきたと想像できます。そうでなければ、もう開き直っているこの会社が静かにするなどおかしいからです。
これまで以上の災いが起き出している、そう考えなければ、あの連中が静かにするわけがないからです。
では、よほどの危ない現象が現れているということになります。(…どんな現象でしょう。〔汗〕)
河村市長、名古屋に非常事態宣言でも出してくれないでしょうか?そうしないと、この辺りの人たちは今がどれだけ危ないのか、その危なさがいつまでたっても分からないようだからです。
これも無神論の呪縛ですね。
その無神論の呪縛が解けない限り、この辺りの人たちが神の業を恐れることはないのです。存在しないものが力を現すはずがないと思っているからです。(だから、悪いことが起きているのはお前のせいとなるようです)
しかし、いい加減分かりませんかね。(神の力がです)これだけの奇跡も災いも起きているのです。
こういうことが一個人の力で出来るとでも思うのでしょうか?
何か無理やりそう思おうとしているとしか思えませんが(今さら神を肯定できないからです)それは特別この辺りの人たちだけではないでしょう。
他の人も似たり寄ったりであると思うからです。
だからほとんどの人がまだ無神論の呪縛が解けていないということです。そうではないでしょうか。
このように意地でも自分たちが悪いと認めない人たちもそうですが、心を救われ奇跡まで起きているのに、布施一つしようとしない、そのような態度の人たちもまた無神論の呪縛が解けていないのです。
無神論でない人たちなど(つまりこの法を少しでも知っている人たちは)すぐにでも寄付してくれるからです。(私に寄付してくれた人はすべて、すでに法を知っていた人たちばかりでした)
法を教えてくれた人に対しては、そうすることが当たり前のことであるからです。
つまり神の心を教えてくれた人に対しては、何かのお礼をするのが当たり前と無神論でない人たちは知っているのです。
それが、そのまま神へのお礼になると知っているからです。
しかし、無神論の呪縛が解けていないとこれが分からない、存在していないものにお礼をいう必要などないと思ってしまうからです。
だから、布施すること(神へのお礼)がどれだけ価値あることなのか、それも分からないのです。
存在しないものにお礼をいっても意味がないと思うからです。
しかし、その間違いはいずれ分かるのです。そのような思いが間違いであると様々な現象を現し、神は気づかせてくれるからです。(この辺りで起きている災いも、その一つの現象です)
だからこのブログを読んでいて(奇跡まで起きたのに)私に一切布施しようとしない人たちも、いずれその自分たちがしている間違いは分かるのです。
そのような態度は間違いであると分かる現象が、何らかの形で必ず現れて来るからです。
例えば、この前のリオオリンピックで日本はいい成績を収めました。
そのリオオリンピックに出た日本選手の中でです。私は、このブログを読んで(心を変えて)よい成績を残した選手もいると思っていますが、しかし、オリンピック選手の中で誰一人、私に寄付した選手はいません。
オリンピック選手がお前のブログを読んで心を変え、それでいい成績を残した?寝言は寝ていえと、お前のブログなどオリンピック選手が読んでいるわけがないだろうと、そのようにいう人もいるでしょう。(そういう人が大半なんでしょうが。〔苦笑〕)
では予言しておきます。
もし、このまま、この前のリオオリンピックに出た選手が誰も私にお礼もいわず、寄付もしないというのであれば、次回の東京オリンピックは日本は惨憺(さんたん)たる結果に終わることになります。
今のままなら必ずそうなると、そう予言しておきましょう。そのような気づきの現象は当然現れると思うからです。
少なくとも私は、このブログを読んで心を変え、そうしてよい成績を残した選手もいると思います。
そういう選手が私に何もしないというのであれば、それは即ち神へのお礼もないということになりますから、それだけ不誠実なことはありません。
そういう不遜な態度の選手ばかりであるなら、当然、次の東京オリンピックは(もし、その選手が出られればという話ですが)その選手はよい成績を残すことはないでしょう。
今度は神は、その選手に力を貸すことはないからです。(むしろマイナスの力が働きます。それが、その選手のためになるからです。それが神を無視してはいけないという気づきの現象であるからです)
今回リオで日本選手はよい成績を残しました。(なにせ史上最多のメダルですから)
だから次回の東京オリンピックではもっとよい成績を残そうと、ずいぶん盛り上がっていますが(別な面でも盛り上がっていますが。新都知事のせいでです。〔笑〕)残念ではありますが、このままいくなら、次回の東京オリンピックは日本勢は散々な結果に終わるでしょう。(それはどれだけトレーニングを積んでも同じです)
このままなら次回の東京オリンピックは日本の選手に神が協力しないからです。
この前オリンピックに出た選手は、四年後の東京オリンピックまで神を信じようとせず、今のままの態度を続けるというのであれば、そうされるとよいでしょう。
そうであるなら、神の力は今度は逆の面に作用するからです。
早く無神論の呪縛から抜け出すことです。そうすれば、私に布施することなど当たり前のことであると思えるようになるからです。
神の心を教えてもらうくらい有難いことはないのです。その本当の神の心を教えてもらい続けているのです。
無神論でなければ、逆に何かしたくていられなくなります。それが神の子の人間として当たり前の思いであるからです。
神の心を知るなら、神の子である私たちは心から嬉しさがこみ上げてきます。だからこのブログを読むと嬉しい人がいるのです。本当の神の心がここに書かれてあるからです。(それを心は知っています。だから心の奥から嬉しさがこみ上げてくるのです)
そうして書かないと怒っている人もいます。同じ理由ですね。また読めると思っていた神の心が読めないと、それだけ面白くないことはありません。(この世で一番面白くないことでしょう。神の子の人間が読めると思っていた神の心を読むことが出来ないということはです)
だから怒りがこみ上げてくるのです。
だから、少しも布施しない人がブログを書かないと怒っている、本当に勝手なものだと私は思うのですが、そのような人たちの心を思えば、そのような態度も仕方がないかとも思えるのです。
神の子の人間として、これ以上がっくり来ることはこの世にないからです。(苦笑)
そういう心では、すでに神の心を知りたくて仕方がないという人も出てきています。しかし、そういう人でも未だ私に布施しようとはしないのです。
なぜでしょうか?
それはまだ完全に無神論の呪縛が解けていないからです。まだ心の隅に「神などいない」そのような心があるからです。
だから私に布施出来ないのです。存在しないものに布施などしようと思わないからです。
だから本当の価値あるものも分からないということになりますが、早くその無神論の呪縛から抜け出すことです。
そうすれば、本当の価値あるものが何かよく分かるからです。
神の心ほど価値のあるものはこの世にないのです。
その本当に価値あるもの(神の心)が分かった時、そこから初めて本当の幸福な人生が始まるのです。



人目の訪問者です。

昨日は認知症の母を連れ買い物に出掛けました。マイカーで出掛けたのですが、途中でふと園頭先生のことが脳裏をかすめ、そーだこの機会だから母に先生の講話を聞いてもらおうと思い付きました。そして買い物の道中を暫く先生の講話の中で過ごすことができました。今は便利になったもので聞こうと思う意思さえあればいつでもどこでも聞くことが出来るし、私が第三者に聞かせる意思を持てばいつでもそうすることが可能な時代であると再認識しました。これからも機会を捉え、善いものを広めていきたいと思うのでした。
それはよいことをされました。
お母様の(表面上はともかく)心ではしっかり園頭先生のお話を聞いていられたと思います。
その調子で頑張ってください。