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11月 21 2016

深まる正法の世

11:13 AM ブログ

静かそうで、大きな音や小さな音が時々聞こえてくる、そのような何か異様な雰囲気の中、今日もブログを書いています。(苦笑)

本当にここら辺の異様な雰囲気、このブログを読んでいる皆さん方にも味わってほしいものです。(味わっている人もいますが)こういうおかしな雰囲気もです。この辺りの人たちがもっと神を思い、神に許しを請うのであれば、一変に解消するのです。(一変に災いは止まるということです)

いつまでも神を思わず、突っ張っているから、悪いことばかり起きるのです。

いい加減、偉大なる神を認められ、これまで神を思おうとしなかったことを神に詫び、そうして救いを求められたらどうでしょう。

そうすれば、必ず奇跡は起きるからです。

ここに奇跡が起きている者がいるにもかかわらず、その異常なまでの嫌いよう、異様な無視の仕方、まさに悪魔のなせる業です。

いつまで悪魔の虜となっているのですか?

それでは災いしか起きないのです。

本当に哀れですね。この辺りの人たちは、いつまでたっても悪魔のいうことしかきこうとしないからです。

そうして、その悪魔のいうことをきいて、神の側の私に対し悪いことばかりしている、だからそれだけ天罰を食らっているのです。

神の子の人間として、それ以上の悪い態度はないからです。

法を説いて多くの人の心を救っている私は、物をつくり与えている人たちより(だから、そこらの仕事をしている人たちより)もっと大事なことをしているのです。

この世で心を救うことほど大事なことはないからです。

その一番大事なことをしている私に毎日のように嫌がらせをし続けているのです。どうしてそれでよいことが起きるのでしょう。

その私に感謝して布施などしているというのであれば、それはよいことも起きて来るのでしょうが、その逆の行いを毎日続けている、それでは毎日のように悪いことが起きてきても仕方ありません。

それだけの(天罰を受けても仕方ないほどの)悪いことを、この辺りの人たちはし続けているからです。

だから、逆のことをしてはどうですかといっているのです。そうすれば(当たり前のことですが)逆のことが起きて来るからです。

災いの逆は誰でも分かると思いますが奇跡です。その奇跡が毎日のように起きて来るのです。よいことをされてはどうでしょう。

そのようなことが(奇跡も災いも)すぐに起きる(現れる)そういう時代にすでになっているからです。

これだけ災いが起きていて、それが急に奇跡が起き出す、そんなバカなと、そんなことが簡単に起きるわけがないだろうと、私のいうことを信じませんか?

逆でしょう。逆にこの辺りの人たちは、それが信じられるのではないでしょうか。

これほどの災いが毎日のように起きているのです。では、その逆もまたあるのではないかと想像できるはずであるからです。

奇跡も災いも、同じ神が現す業にはかわりがないのです。

しかし、この辺りの人たちは、誰一人私にいいことをしないのです。(私に布施した人、ゼロです)

だから奇跡が起きないのです。奇跡が起きている者によいことをしないからです。

奇跡が起きている者に、嫌がらせばかりしているからです。

だから、その行いを変えればいいのです。そうすれば、いいことが起きて来るからです。

布施されてはどうですか?この辺りの人たちの災いを止める方法で、一番早いのが、この私に対する布施であるからです。(よいことの実践、これが一番災いを止めるのには早いのです)

特にこの辺りの人たちはされた方がいいでしょう。この辺りの人たちは、あまりに悪い実践をやりすぎているからです。

いくら騙されている人が多いとはいえです。その聞いている噂が間違いだということは誰でも気がつくことが出来るからです。

鳥が寄ってくるような愛ある奇跡が私には毎日のように起きているのです。そういう奇跡が起きている者に悪い者はいないと、誰でも分かるのです。

それが分かるはずなのに分からない、では、この辺りの人たちは百パーセントと自分が悪いということになります。

私がそんな悪い者ではないといつでも気づけたはずなのに、それに気づこうとせず(それを認めようとせず)いつまでもたっても、こいつは悪者と、実際は善人である私に嫌がらせをし続けているからです。(その私に心まで救われているにもかかわらずです)

だから、この辺りの多くの人が(運転手も含めてですが)天罰を食らっているのです。

もう自分が悪いと分かっている人も多いはずなのに、それを認めるのが嫌で、未だに私一人を悪者にし続け、嫌がらせを続けているからです。

しかもそのようなことを法を説いている者にしている。これは最悪ですね。多くの人の心を救っている人は、それだけ大事な人であるからです。(それは、釈尊しかり、キリストしかりです)

その者をこれだけ悪人に仕立て上げ、毎日のように嫌がらせを続けている、これだけ悪い行いもありません。

それをもう何年も続けて来たのです。

では、ちょっとやそっとでその災いが止まるわけがありません。だから、私に布施されてはどうですかといっているのです。

そういう(法を説いている者に対し)よい実践を直接行う以外で、そのような悪いことをしている人たちの災いを止める手立てはもうないからです。

他の方法では、この辺りで起きている天罰はそう簡単には止まらないからです。(それだけ法を説いている人への布施は善いことであるということです)

試しに有名なパワースポットとか、お寺とか行って祈られてはどうですか?

あるいは名僧、高僧といわれている坊さんに祈ってもらってもよいのですが、それでこの起きている天罰が止まりますか?(先ほどキリスト教の人が訪ねてきました。その人たちより奇跡が起きている私にキリスト教をいわれても、逆に私がその人たちに〔本当のキリストの教えを〕教えてあげたいくらいです〔笑〕)

そんなことでは止まらないと、この辺りの人たちはすでに知っているのではないでしょうか。もうこの辺りで天罰がくだりだしてずいぶんたつからです。

そういうことをすでにやっている人などたくさんいると思うからです。(いろんな宗教団体の人もこの辺りにはたくさんいますから)

しかし、何も変わらないのです。むしろ起きる現象が激しくなっているのです。

それが何よりの証拠です。そういうことをしても何の効果がないというです。

それはそうです。この私が説いている法こそ、唯一無二の本当の神の教えであるからです。

他のものはどれも偽物であるのです。だから効き目がないのです。

本物の神の教えの前には、どんな偽物が現れようと太刀打ち出来ないからです。偽物など所詮は無力でしかないからです。(マァ、偽物にも悪魔の力は作用しますけどね)

本物しか神の力は現れないのです。だから現れているのです。次々に神の業がです。

私の説く教えこそ本物であるからです。

このブログを書いている間だけでも、何か起きているのではないですか?雰囲気が変わっているところもあるからです。(完全にまた何か起きましたね。〔もちろんどこかの会社です〕いじけてキレていますから)

もう次々に神の業が現れています。それは、この教えを伝えている私こそ本物の如来の系列であるからです。(如来の系列とは釈尊、モーゼ、キリスト、そうして高橋先生、園頭先生とつながる法の継承者という意味です)

だから私の周りにこれだけの神の業が現れているのであり、だから私に布施するなら、その災いは止まりますよといっているのです。

私に布施するということは、釈尊やキリストに布施するのと同じことであるからです。(ということは同じ功徳を得られるということです)

急がれてはどうでしょう。これ以降、いま起きている神の業は、激しくはなっても収まることはないからです。

このブログを書いている間だけでも次々に神の業は現れています。(どこかの会社がいい例です)

もう神の業が止まることはありません。

これからは正法の世が深まっては行っても浅くなることはないからです。

(神の業は、奇跡も災いも両方いうのです。正法の世が深まるということは、皆さん方の心次第で奇跡も災いもこれからはドンドン起きるということです。いつまで小さな心でいるのですか?そんなに怒っていても危ないだけなのです。〔本当にもう災いが起きまくりますよ。そのままでは〕あなたたちは許しを請う以外、もう救われる道はないのです)

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