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11月 24 2016

年寄りの使命、役割

11:18 AM ブログ

東京は五十四年ぶりに十一月に初雪が降ったそうですね。

そうして、東北ではまた地震が起こり(福島、茨木で震度4)朝からいろいろ起きて騒がしいことです。

こちらも似たようなものなんですが(どこかのバカ会社が朝から騒がしいものですから…マァ、ずいぶんこちらはスケールが小さい)そういう正常ではないことが次々に起きるということは、やはりどこか正常ではないところがあるからでしょう。(その地域に住む人々の心にです)

だから、正常ではないことが起きて(起こされて)いるのです。その異常なところ(間違った部分)を直せということでです。

それはこちらも同じでしょう。正常でない部分が(間違った部分が)多いからこれだけ異常なことが起きているのです。

昨日私が歩いていると、またバスやトラックの連中がブシュブシュやってきたのですが、私はそういう人たちの顔も知らないのです。

しかし、このような人たちは、私が顔も知らなくて祈ったこともないような人たちに何か悪いことが起きても、それも私のせいにして怒っているのです。

私が全然知らない人を病気にして、それが一体何になるのでしょう。そんなことをしたところで人から恨みを買うだけで何もよいことはないのです。

何で、自分にとって一つもよいことがないようなことを(それは自分だけではなく誰に対しても悪いことでしかないようなことを)私が行うのでしょう。

そういうことを本気で信じて、怒って私に嫌がらせなどしている、その異常さがこの辺りに異常な現象を現しているのです。

この辺りの人たちは、そのような異常さがいつ分かるのでしょうか?

そうして歩いている人もそうです。

特に年寄りはそうなんですが、私の顔を見ると色をなして怒っている人がいます。(年寄りはそういう人が多いです。年を取ると頑固になり思い込みも激しくなりますから)

それで私は、そういうムッとして私の顔を見ている年寄りに向かっていうのです。

「爺ちゃん(あるいは婆ちゃん)あの世があるって分かってよかったな。心も救われただろう」とです。

そうするとビクッとする人が多いのです。(特に年寄りは救われているはずですから)

続けて「あんた因果応報という法則を知らないのか。もし俺が人を病気にしているというのなら、なんで俺は病気をしないんだ。俺は、ずいぶん多くの人を病気にしているんだろう」とききますと、ハッとする顔の人が多いです。

そうして「俺は人を一人も病気になどしていないからだよ。だから病気などしないんだ。それも因果応報」「何で俺には、すずめが寄ってくるような愛ある現象が次々に現れているんだ。それはそれだけ多くの人の心を救っているからだ。あんたも救われただろう。人の心を救うくらい愛ある行いはない、そういう愛ある行いを毎日のように行っているから、これだけ愛ある行為が毎日のように返ってきているんだ。これも因果応報」「じゃあ、なぜあんたらは病気になる人が多いんだ?それは、その心を救われている者に感謝もせず、ガセネタ真に受けて嫌がらせをしている人が多いからだよ。それだけ恩を仇で返す、罰当たりな行いはないからな。だから罰が当たっているんだ。これも因果応報。すべて法則通りのことしか起きていないんだけどな」と立て続けにいいます。

そうすると、さすがに頑固な年寄りたちも顔色を変える人が多いのです。

とたんに態度を変える人(頭を下げる人までいます)エッ、何の話をしているの、あなたは誰、みたいにとぼける人もいますが、中にはそれでもまだお前が悪いという態度を崩さない人がいます。(さすがにそういう人は少ないですけどね。年寄りはわりと正しい話をきくとそれを認める人が多いからです)

そういう人には続けて「あんたら年寄りが使命を果たさないからこういうことになっているんだぜ。そういうことが分かっているのか。そうじゃないのか。因果応報などという法則はあんたら年寄りなら誰でも知っていることだろう。その因果応報をよく知っている年寄りなら、俺の噂の間違いはすぐに分かるはずじゃないか。それなのにあんたらは若い者と同じようにそんな嘘話を真に受けて若い者以上に怒っている。それはどいうことだ。それでは年寄りがいる意味がないだろう。こういう時こそ年寄りは年寄りの知恵を働かせて、そうしてそういう噂の間違いを見破り、若い者たちに正しいことを教える、それがあなたたちの使命、役割だろう。あなたたちがそういう使命を果たさないから若い者たちが間違うんだ。あなたたち年寄りが、しっかり自分の使命、役割を果たしていたなら名古屋はこんなに混乱していなかったんだ。そういう責任をあんたらは分かっているのか」と、ここまでいうとさすがに下を向く年寄りばかりになります。

自分たち(年寄り)の使命、役割に、そこで初めて気がつくからです。

実際そうなのではないでしょうか。

昔は、亀の甲より年の劫(こう)とか、年寄りが亡くなると辞書三冊分の知恵がなくなったとかいわれて、年寄りが長年生きてきた、その貴重な経験を貴ぶことがよくありました。

昔は、そういう長年の経験(知恵)をよく年寄りは教えてくれたからです。

しかし、最近はそういうこともいわれなくなりました。なぜでしょうか?

年寄りがあまり若い者にそういうことを(自分たちの長年の経験を)いわなくなったからです。

若い者がそういう話をきかなくなった、パソコンが普及して、分からないことはすぐに自分で調べられるようになった、そういう時代の流れは確かにあるのでしょうが、こういう神の業が現れてきた時にはです。

年寄りの知恵が必要なのです。このような現象はパソコンで調べることが出来ないからです。

こういう神の業が次々に現れ出して、どうしたらいいのか分からない、そう多くの人が思っている時こそ(本音は皆そうだと思いますよ。この辺りの多くの人は実際どうしていいのか分からないのです。こういう経験をしたことがないからです)長年生きてきた自分たちの経験が生きるのであって、こういう時に年寄りが自分たちの経験を生かさないで、一体いつ生かすのでしょう。

年寄りは、他の人たちより生きている期間が長いのですから、こういうこれまで起たことがないことが起きて来た時こそ冷静になり、自分が長年生きて来た知恵を生かし、そうして冷静さを欠きバタバタしている若い者たちに正しい指導を行う、それが年寄りの使命、役割なのであって、先ほどもいいましたように、年寄りが少し自分の知恵を働かすのであれば、今いわれている私の噂の間違いはすぐに分かるのであるし、それが分かるのであれば、あの人(私)のいうことをきいた方がいいと、その方が絶対にうまくいくと、そう適切なアドバイスも送ることが出来、そういうアドバイスをきく人が多かったのなら、これだけこの地域が混乱することもなかったのです。

そういう意見こそ正しい意見であったからです。

ですから、そういう知恵を働かせる年寄りがもしあちこちにいたのであれば、この地域もこれだけ混乱することはなかったのです。

多くの人が、その年寄りの知恵で冷静さを取り戻し、正しい行いをすることは十分できたからです。

しかし、そういう自分の使命、役割に気づき、それを果たす年寄りがいなかった、それがここまで混乱を大きくしている一つの大きな原因でもあるのです。

この世に無用な人はいません。必ずそれぞれに果たすべき使命、役割があるのです。(しかも大事なです)

年寄りには年寄りでしか果たせない使命、役割があります。(長年生きてきた経験は年寄りにしかありませんから)それを果たしてください。

その使命を、それぞれの人がしっかり果たすのであれば、この地域に起きている混乱は次第に収まって行くからです。

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