11月 26 2016
正しい祈りの大切さ
ここに相撲のことを書いていたら稀勢の里も豪栄道も負けました。
大関が強いと面白いと書いたとたんに負けるのですから、嫌がらせかと思いました。(笑)
しかし、ここで負けますかね。
逆にいえばやはり横綱陣は強いということになるんでしょうが、こういうよい場面でよい結果が出ない(特にどこかの大関などそうなんですが。〔苦笑〕)これはやはり正しい祈りをしていないからでしょう。
前にも書きましたが、元々相撲は神事なのですから、力士は勝負の前に正しい祈りくらいやらないといけないのです。(面白くないんで、なんか無理やりこじつけています。〔苦笑〕)
それはともかく、例えばこのような時にどういう祈りをするといいのか?せっかくですから書いておきましょう。(それはどんな時にもいえることですから)
何度も書いていますが、こういう時に「自分が勝ちますように」という祈りは絶対に禁物です。
これは「相手が負けますように」と祈っていることと同じなのですから、相手が負けるように祈るのであれば、その思いが自分に返って来て自分が負けるからです。(だから、そういう祈りを強くすればするほど自分がやばいということです。強く念ずれば念ずるほど自分に返って来る念も強くなるからです)
こういう時は「自分にとって最もよい相撲が取れますように」というベストを尽くすことが出来る祈りが正しいのです。
こういう祈りであるなら、それが自分に返ってきても悪いどころかよい結果しか現れないからです。
または、昨日のウナッシーさんのコメントにあったような「このことを通し神の御力を証明せしめたまえ」という祈りがいいのです。
そういう祈りをするなら、そのことを通して神が多くの人の前で神の力を証明してくださるからです。(昨日のウナッシーさんのコメントのようにです。こんなことは普通起きないだろうというような不思議なことが起きるのです。それが神の力の現れです)
そういう祈りをするなら、まずいいところで悪い結果が出るということはありません。
仮に悪いと思うような結果が出ても、結果的にそれがよかったという結果に最後はなるのです。
神は不幸な結果など絶対に現さないからです。
神は、その人が正しい祈りをするなら必ず幸せの道に導いてくださるからです。
これは何もそういう勝負ごとに限ったことではありません。すべてのことにいえるのです。
例えば今回ずいぶん揉めている(農協とです)自民党の農業改革案でもそうです。
あれだけ多くの人がかかわることを、人の考えだけで改革しようとしたところでうまくいくはずがないのです。
多くの人が、かかわればかかわるだけ多くの人の立場や事情があり、そういう人たちすべてが満足する改革など出来るわけがないからです。
しかし、このような時にも神に祈るのであれば(こういう時は「神よ、どうぞ今回の改革ですべての人にもっともよい結果が現れますようお導きください」と祈ることが正しいのです)すべての人が百パーセントの満足はしないものの「マァ、この改革なら仕方がないか」と多くの人が思えるような、そんな改革案が必ず出て来るのです。
その会議の前に正しい祈りをするなら、神が力を貸してくださり、人の考えの足りないところを足してくださるからです。
しかし、今回の会議はそういう祈りをされた人はいなかったでしょう。それは決まった内容を見るなら分かるからです。(あのような改革の内容で誰が納得するでしょう。また農協にやられているとしか有権者は思わないでしょう)
だから、何かをする時はです。必ず正しい祈りをした方がいいのです。そうすればより以上に神が正しい方向に導いてくださるからです。
正しく祈ることの大切さが少しはお分かりいただけるでしょうか。
神から遠い人たちは、こういう祈りの大切さも分からないのです。ただ、自分によい結果が出ますようにという短絡的な祈りしかしません。
しかし、そのような祈りは間違っているのです。(間違った祈りなど続けていたらかえって自分のマイナスになります。それは気をつけた方がいいでしょう)
多くの人が正しい祈りをするなら、世の中がこれだけ揉めることはありませんし不幸な人が出ることもないのです。
正しい祈りさえしていれば(神が力を貸してくださり)よい結果しか現れてこないからです。
正しい祈りの大切さをもっと知ってください。



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