12月 04 2016
聖地
昨日昭和橋の辺りを歩いていた時のことです。
その昭和橋にある生コンの会社のトラックが数台、横の一号線を走って行ったんですが、もうどのトラックの運転手も、怒り心頭といった感じで私の顔を見るとブシュブシュやっていきます。
みなずいぶん怒っています。
それで、その中のトラックの一台がちょうど信号で止まったものですから「オイオイ、そんなに怒っていたってその災いは止まらんぜ。早く反省して詫びを入れなよ。そうしない限り、その災いは止まらないからな」と声をかけました。
しかし、そのトラックの運転手はジッと前を見据えたままピクリともしません。
信号が変わると私のことなど無視して走って行きましたが、途中で、てんかんでも起こすのではないかと心配になりました。(苦笑)
それくらい体も硬直して顔も引きつっていたからです。
大丈夫ですかね。ずいぶん怒っているところが多いんですが。
そうかと思うと嫌がらせをピタリとやめてしまったところもあります。
両極端な人がずいぶん多いように感じます。
やたら怒るか、まったく何もしてこないか、中には私の顔を見ると逃げだすような態度を取る小、中学生もいます。
そういう小、中学生が最近は増えました。嫌がらせして来る連中もまだいますが、そういう連中でもです。何か顔が引きつっているように感じますが大丈夫なんでしょうか?
この辺りの小、中学生はずいぶん私に嫌がらせをしているからです。
大人、子供に関係なく悪いことをするなら天罰はくだります。心を救われている者に対する嫌がらせは当然天罰の対象となります。(いくらガセネタに騙されているとはいえです。騙される人も悪いからです)
もし、悪いことをしていると思ったら早めに謝ってはどうでしょう。何かあってからでは遅いからです。(悪いことをしているから悪いことが起きる、すべて因果応報です。私のせいではありません)
私は昨日は堀川に行ったんですが、今年はカメモも少ないですね。数十羽くらいしか来ていません。
毎年この時期は数百羽くらい来ていたはずですが、去年辺りからでしょうか、ずいぶん少なくなりました。(それでも去年はもう少し来ていたと思いますが)
カモメが少ないせいでしょうか。私が堀川に行くとこの時期でも平気で魚が跳ねています。(マァ、たくさんではありませんが。それでもカモメがいなくなったとたん、数匹の魚が一変に跳ねたこともありました。何かあそこの魚たちは跳ねたくてうずうずしているようです。〔笑〕)
カモメに「元気か」と声をかけていると、そのすぐ横の水面で、平気でガボガボやっている魚たちがいるというのですから驚きますが、そういう魚たちにも「お前ら危ないことはやめなさい」と声をかけながら、こちらに飛んで来るカモメたちとたわむれていました。(すずめやらムクドリやらカラスやら他の鳥たちも飛んで来ますし)
そういう天上界のような場面もあれば、多くの災いが起きて、いきり立っている人たちに嫌がらせを受ける地獄のような場面もあり、この辺りは地獄と極楽が同居しているかのようです。
正しいことをいつまでも理解できず、悪いことをし続ければ当然天罰はくだります。
よいことをしているとよいことが、悪いことをしていると悪いことが、これだけ分かりやすく現れている場所は他にはないのです。
そういう点でいうなら、まさにこの辺りは聖地といってもよいのではないでしょうか。(映画などの聖地ではなく本物のです)
聖地であるから、よいことをしている人には愛ある奇跡が、悪いことをしている人には天罰が、次々に現れているのです。
他の場所では悪いことは起きても、よいこと(愛ある奇跡)など起きていないのです。
では、なぜこの場所にだけこれだけ愛ある奇跡が現れているのですか?
それは法を説いている人がいるからです。(それは釈尊しかり、キリストしかりです。釈尊やキリストがいられる場所には常に奇跡が現れていました)
では、そのことに感謝して(そんな奇跡は他では見られないのですから)いい加減、私に頭を下げられたらどうですか?
こんな天上界で起きるような愛ある奇跡など、どこにも起きていないからです。しかし、地獄界で起きるような災い(天変地変や多死社会)はどこでも起きているからです。
くだらないプライドなどいらないのです。
そういうプライドが高い人に限って悪いことが起きるのです。そのようなプライドが高いという心も間違っているからです。(素直さ、謙虚さ、そのような心こそ正しいのです)
私に怒っている人たちに何の奇跡が現れているのでしょう。そういう人たちには一つの奇跡も現れていないのです。
これだけ起きることが違うのです。では、もう少し謙虚になり、この法を勉強されてはどうでしょう。
そうすれば、その自分たちが住んでいる場所まで環境が変わるからです。
この法を勉強し実践するなら、人だけではなく、そこにいる動物たちまで変わるのです。(それは私が証明しています)
もちろん、植物、鉱物も変わります。そこにいる人々の心がよくなるなら、植物はよく育ってよい実や花をつけ天変地変も起きなくなるのです。
法を勉強し実践する人が増えれば増えるだけ、その地は聖地化するからです。
本当の聖地をこの世に実現しませんか?
それには、心を入れ替え、この法を勉強するしかないのです。



人目の訪問者です。

幸せなりたい。そう思っている人は少ないのではないかと思うのです。それは観察していると、単に自分の思い通りにしたいとか自分には関係ないからと社交性を優先にしているのが分かるからです。その中で幸いにも家族や職場では祈りの成果なのか議論の機会が増えているのです。議論しても私の心は晴れやかであるのだから、決して後退ではないと自負出来るのです。私達は永遠の命を持っているのでありそれは神を一として感謝できる心があれば、決して今を見て心がぶれる事はないと思えるような気がしてきました。幸せになるには何のために今を生きるのかそれを知らなければ、又は知ろうとしなければ前には進めない厳しいものであると思えるのです。駆け出しの私ですが、過去の私が通ってきた道を少しずつ振り返り知恵に変えて行けたら自分の道も見えて来るかも知れないとも考えています。
そうですね。視野の狭い人は増えていると思います。
しかし、そのような狭量さも法を知れば変わってきます。少しずつでも法を伝える努力をお続けください。