1月 29 2017
なぜ自分の悪を認めないのか
この辺りの学区の人たち、何か知りませんがメチャクチャ怒っていますね。
小学生、中学生に何かありました?そうしてそれはみな私のせいなんでしょうか?
というのも、昨日など(一昨日もそうだったんですが)私が歩いていると、この辺りで外にいる人たちが皆やたら怒っていて必ず何かして来るのです。(わざとらしくドンとか、ガンとかでかい音を立てるのです)
そうかと思うと、その学区内にある公園で遊んでいた小学生たちが、私の顔を見たとたん逃げ出していったり、一昨日など夕方歩いているといつも見かける中学生を一人も見ませんでした。
怒っている人たちがいるのはともかく、そういう態度の小、中学生は解(げ)せません。(公園で遊んでいた小学生がこちらに向かって来るというのなら話も分かりますが〔嫌がらせしたくてです〕集団で逃げて行くということなどこれまでありませんでしたから)
だから、この学区の人たち(小、中学生)に何かあったのか?と書いたのです。
しかし、こういう小、中学生に仮にです。集団で(あるいは次々に)悪いことが起きていたとしても自業自得でしょう。
なぜなら私は、この辺りの小、中学生にどれだけ嫌がらせをされているのか分からないくらいだからです。
いってはいけませんが、私のようなことをもしされているのなら、まずそういう人たちはキレて、その小、中学生に手を出しているはずです。
それだけのひどいことをこの辺りの多くの小、中学生たちは私にしているのです。(きつい言い方をするなら、私に殺されても仕方ないようなことまでしていますよ。この辺りの小、中学生はね)
だから、それに比することが、そのような小、中学生たちに起きているのです。それも因果応報であるからです。
集団でヘラヘラ笑いながら私をバカにする、歩きながらわざとでかい音を立てていく、遠くにいるのに私の方まで走って来て嫌がらせしていく「バカ、アホ、ハゲ」とまで暴言を吐かれたこともあり、石まで投げられたこともあります。
そういうことを日常茶飯事にしていたのです。この辺りの小、中学生はです。
そういうことは悪いことではないのですか?
そういうことをし続けていて悪いことは起きませんか?
何で、そういうことをまったく問題にせず、私ばかりを悪いというのですか?
それはおかしいでしょう。
そういう一方的な見方ばかりしているから、そちらに(私を敵視している人たちに)一方的に悪いことばかりが起きているのです。
そんな偏った見方はないからです。
何でこの辺りの多くの人たちは私と話そうともしないのですか。一方的に怒って嫌がらせをしていくだけなんでしょう。
そういうやり方がすでに間違っていると思われないのでしょうか?
何で私と堂々と話す人が一人もいないんでしょう。よく話してみないと分からないでしょう。どちらがいいか悪いかなどです。
私は最近は辻説法でも対話を呼びかけています。私はいくらでも話をするとです。そちらが納得がいくまで話しましょうとです。しかし、一人としてその呼びかけに答えてくれる人はいないのです。
なんで一人も話そうとはしないのですか。自分たちがいい負けるのが怖いのでしょうか?
しかし、それは自分たちが間違っていると分かるということですから、よいことなのではないのですか?
どちらにしても、そのような大人たちの無責任な態度が子供たちに伝染して、そうして子供たちも無責任な態度を取ってしまうのではないでしょうか。
子供が無責任な態度を取るなら、その子供たちはどれだけ悪いことをするのか分からないのです。
子供は大人ほど分別がないからです。だから、どれだけ深い罪を負うか分からないということです。
子供が自分たちに責任があるような言い方をすると思いますか?絶対にしません。(そういう正直な子もいるのかもしれませんが少ないです)いろいろな嘘をついて自分がよいようにしかいわないのです。
そういうところでもまた子供は多くの罪をつくってしまうのです。平気で嘘をついて責任逃れをしてしまうからです。(それは大人も同じですが、子供ほど分別なく責任逃れをする人は少ないでしょう)
また、そのような(悪い)ことをしている子たちであるから、私が祈ると病気などするのであって、正直な子であるなら、そういう子に悪い現象は現れないのです。
私が祈って現れる現象はすべて天が行っているからです。天は悪いことをしていない人たちに悪い現象を現すことなど絶対にないからです。
そのような悪い現象が現れていることが、その子が悪いことをしているという何よりの証拠なのであり、その子が悪いことをしていないのであれば、その子に悪い現象は現れないのです。
申し訳ありませんが、もし私が祈り悪い現象が現れた子供がいるのであれば、その子が悪いことをしているのであり、もっというのなら親が悪かったということです。
なぜなら、その子に親の愛が満ちているのなら悪いことなど起きなかったからです。
その親の愛が、その子を守ったからです。(だから「子供に悪いことが起きた」などといっている親は「自分は子供に対し愛がありませんでした」といっているのと同じなのです)
また、親がその子に愛を注ぎ、しっかり愛が入った正しい教育をしていたのなら、その子は私に対し悪いことなどしなかったでしょう。
どちらにせよ、親の愛がもっと深ければその子は災いから守られたということです。
親の愛が深ければ、災いを現す原因を子供自らつくらなかったからです。
このように考えるのであれば、何から何まで自分たちが原因をつくっているのであり、正しい原因しか自分たちがつくっていないのなら、自分たちに悪いことが起きることはないのです。
すでに時代は変わっています。
これまでのように高橋先生、園頭先生のような如来が優しく法を説いて教えていられた時とは違い、間違ったことをすれば、次々に天罰がくだる、もうそのような時代になったのです。(多死社会)
もう甘い考えは捨てませんか?すでに、そういう厳しい時代になっているからです。
そういう厳しい時代になったということが自覚できれば、この法がどれだけ大事なものであるのかということも分かるはずです。
この法を実践することが、その災いから守られる一番の方法であるからです。
その証明はすでに私がしています。(多くの奇跡を現してです)
もうどれだけ責任転嫁して自分の悪を認めなくても、悪い人には次々に天罰がくだる、そういう時代になったのですから、その悪を認めようが認めまいが、そのような天罰を食らっている人こそ悪人であると目に見えて分かるのです。
その自分が悪いのを認めたくなくて、未だ多くの人は悪いことを責任転嫁していますが、そのような口だけでは通用しない時代にすでになっています。
では、心を正しませんか?
その心を正すことこそ、災いから逃れられる唯一の方法であるからです。
追伸…もう嘘は通用しません。嘘などついても次々に天罰がくだるだけだからです。
悪いことをしていたことを正直にいって自分が悪かったと反省されませんか?
そうすれば奇跡は起きるからです。



人目の訪問者です。
