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1月 31 2017

迷路

11:07 AM ブログ

昨日もマァ、あちこちでずいぶん怒っている人がました。(工事現場でガンガンやっている人がいましたから。それもあちこちの)

いい加減、私のいうことをきいてはどうですか。そうしないと悪いことが起きっぱなしのところもあり(どこかの会社などもちろんそうですが〔今日も朝早くから怒っていました〕どこかの運転手の人たちやどこかの小、中学校の人たち等々)凄まじいことになるかもしれないからです。(どうします、そこらじゅうで癌になる人が続出し出したら。別に脅しでもなんでもありません。本当にやばいんでしょう。泣きそうな顔をした人もいるし)

ちょっとゾッとしますが、それくらいのことが起きかねませんよ。あまりに皆さん傲慢であるからです。

傲慢でしょう。誰一人、頭を下げようとしないんですから。

謙虚に自分が悪かったと頭を下げる人など一人としていません。悪いことが起きると、皆が皆、頭から悪いのはお前(私)のせいです。

それでは神は助けてくれません。神の心は謙虚さの中にこそあるからです。

だから、そんな責任転嫁をいくらしたところで何も変わらないのに(むしろ悪くなる一方なのに)いつまでたっても同じことをし続けているのです。

結局、この辺りの多くの人たちは、迷路に入り込んで出口が分からず、同じところを堂々巡りしている人たちと同じなのです。

同じところで同じ間違いを繰り返し、同じようなところをグルグル回って出口が分からず困りはて、それで人に八つ当たりしている、それが今のこの辺りの多くの人たちなのです。

そうですよね。多くの人がそのような(心の)迷路に入り込んで、実際はもうどうしていいのか分からないのです。

しかし、今さら泣き言をいうわけにもいかないので、あれもこれもすべて私のせいにして、そうして怒りたくっているのです。

そのような迷路に入り込んだのは自分たちのせいにもかかわらずです。

この辺り怒った顔をした人が多いのですが、しかし、実際はもう恐ろしくてたまらないのです。(その恐れている顔をごまかすための怒り顔でしかないのです)

この迷路はただの迷路ではないからです。

この迷路は、それはそれは恐ろしい迷路であって、迷っているだけではなく、おかしなところに行けば災いまで起きる、そのような迷路であるからです。

だから多くの人が、その恐ろしい迷路から出たくて仕方がないのですが、しかし、出られない。

あっちへ行っても災いが起き、こっちへ行っても災いが起きる。しかし、出口は見つからない、どうしようもないので、あとは人に当たるしかない、だから、そのような災いをすべて私のせいにして怒りたくっているのですが、そのような冷静さを欠いた考えが、その迷路から出られなくしている一番の原因なのであって、もう少し冷静になり考えるのであれば、その迷路からは抜け出せる方法はあるのです。

そういう時は、自分の発想を変えるとか、または、その迷路のことをよく知っている人にきくとかしてはどうでしょう。

そういう時に同じ考えのままでいては、その迷路からは出ることは永遠に出来ないからです。

発想を変えないことには、そのような迷路から抜け出ることは出来ないのです。

では、そうしたらどうでしょう。

もう自分の力だけでは、その迷路から出ることは出来ないと分かっているからです。

一変に変えなくてもいいのです。少しは自分も悪かったのではないかと思い、その悪いことの原因にしている者のいうこともきいてみるのです。(要はもう少し視野を広げるということです)

だって、悪いことが起きたことが、その者のせいであるのなら、その者が悪いことが起きた原因を知っているはずだし(そういうことになりますよね。その者が悪いことをしているのなら、その者はその悪いことが起きている原因を知っているはずです。そういうことがまったく分からず、それほど多くの悪いことを起こせるはずがないからです)では、その悪いことをしている者のいうことをきいていみるのも、一つの手なのではないのでしょうか。

それくらいの発想の転換でもなければ、それだけの迷路から出ることもなかなか困難であると思われるからです。

ずいぶん長い間、その迷路から出ることが出来ない人も多いのです。

そうであるなら、ここは一つ、敵と思っている者の意見もきいてみるのです。

死中に活です。

どちらにしても、このままでは災いが起きるのなら、あえてその災いを起こしていると思われる者のところに行き、その災いが起きている原因をきく。

別にその者のいうことがきくに堪えないと思うのであればきかなければいいのだし、よいと思えばすればいいのだし、その者のところに行っても、行かなくても、どっちみちこのままでは災いが起きるのですから(もう、そこらじゅうで起きているようですから。今の心のままではまず起きます)そうであるなら、そういう一番評判の悪い者のいうこともきいてみる、これも一つの手であると思うのです。

もしかしたら、そのような逆転の発想の中に、この難局を打開するための(複雑な迷路から出るための)策が隠されているかもしれないからです。

どちらにせよです。同じ考えのまま、同じことを繰り返していても何も変わりません。

そのような(心の)迷路から出るためには逆転の発想は非常に大事なことであると思われます。

そろそろ変わりませんか?

自分が変わらない限り、その迷路からは抜け出ることは出来ないからです。

追伸…アメリカは大騒ぎですね。(その影響で世界もですが)

今回のアメリカの新大統領が予想以上の出足であるからです。(いきなりここまでするとは凄まじいです。〔苦笑〕)

やはり高橋先生の予言(アメリカの没落)が現実味を帯びてきましたね。こんな傲慢なことを続けていたら、アメリカは世界から総スカンを食らうからです。

しかし、アメリカの没落は世界の混乱を意味します。

その高橋先生の予言が現実味を帯びてきた時に日本の片隅で神の光が輝き始めました。

この神の光が世界に拡がるようなら、たとえアメリカが没落しても世界は平和になるよう導かれて行きます。

しかし、この神の光が拡がらないようなら、世界はこれまで以上の混乱をきたし混迷して行きます。

さて、どうなりますやら、今の状況では何ともいいようがありませんね。

(まだまだ闇の力も強くて反発が凄まじいですから)

2コメント

2 コメント to “迷路”

  1. ウナッシー2017/02/01 at 12:49 PM

    恥ずかしい話ですが、実のところ寄付(布施)をしているときの方が心は安らいでいることが反省で分かりました。それは不足のない生活ができるからです。
    例えば仕事を終え喉が渇くと、帰りに際にコンビニで飲み物を買う、会計に行くとレジの横には駄菓子があったりすると妙に小腹がすいて一緒に買う。あれもこれもとかさんでしまうのです。しかし、現実には家までは車で20分であり、子供ではないので自分をコントロールできる時間であり、帰れば夕飯が食べられるだけの食材があり私は家内がいるので準備をしてくれる。ほんの少し考えを変えて食事の支度をする家内に感謝し食事が頂けることを神に感謝し、そうして塵も積もればの例えの通り寄付するだけのものは支度できるのです。要するにイタズラに欲に翻弄されない気構えができて、腹に据えてさえおけば良い流れができるようになっていたのです。それを見て見ぬ振りをしていた自分に気付きがあり反省するところとなったのです。少し低レベルな話でスイマセンでした。

  2. gtskokor2017/02/01 at 1:42 PM

    ハハ、なるほどね。ですが、そういう部分は誰だってあります。(そういう遊びの部分があって初めて息抜きも出来るのですから)
    しかし、そういう部分を少し減らして心のレベルアップ(法に関わる行い)につなげる、それが出来るなら、またご自身の心のレベルも高まって行くでしょう。
    頑張ってください。

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