2月 05 2017
病と癒し
今日は朝から雨が降っています。たまには雨もいいんですが、まだまだ寒さは続いています。
早く暖かくならないかとそればかりが気になりますね。やはりあまり寒いのは体にこたえますから。(年も年ですし。〔笑〕)
その体の話ですが、聖書の中に十二年もの間、病に侵されていた女性がキリストの服をさわったとたん、病んでいた病気が癒されたという話が出てきます。
その女性はキリストの服をさわれば病は癒されると信じていたそうです。
そういう心で、その女性がキリストの服にさわると、自分が長年苦しんでいた病がたちまち癒され(ひどい痛みがとれたと聖書には書かれてあります)健康になったそうです。
キリストはその女性に対し「汝の信仰、汝を救えり」(あなたの信仰があなたを救った)といわれ、その女性の信仰心を喜ばれます。
私の母のことを少し書きますが、母も八十歳をすぎて最近は病気がちとなりました。(それでも毎日買い物に出かけていきますが)
少し前には喘息(ぜんそく)になり(軽いですけどね)またこの前、心臓が苦しくなったということで病院に行くと、心筋こうそくの一歩手前であったといわれたそうです。
それで喘息の薬と心臓の薬を飲んでいるようなのですが、喘息などの薬を飲んでいても、それでも咳が出る時は出ます。
ある時、ひどい咳が続いていたものですから、私が少々祈ったのです。
すると、とたんにその咳が止まり元気になりました。
なぜ元気になったと分かるのかといえば、母はジッとしているタイプではありません。何かしていないと気がすまないタイプなのですが、その時、私が祈ると咳が止まりました。
そうしてすぐにそこら辺を掃除し出したのです。だから、元気になったと分かったのです。
元気にならなければ掃除など始めるわけがないからです。
その後の話です。母は心臓の薬も飲んでいるものですから、その心臓の薬の副作用で、手がこんなに突っ張ったと手を見せながら私にいってきました。(そうして体もえらいとです)
その心臓の薬は朝昼晩と一日三度飲んでいるといいます。
それで私が「薬は人によって効き目も違うし強い弱いもある。医者に一日三度飲めといわれたからとちゃんと三度飲まなくてもいい。一日一回でもいいし二回でもいい。体に合わせて飲めばいい」といっておきました。
そうして、すぐその後、母の体を祈ったのです。
すると、翌日(翌々日だったかもしれませんが)「薬を夜だけにしたら調子がよくなった」と手を動かしながらいっていました。
母は薬を減らしたから手がよくなったと思っているようですが、祈ったのがずいぶん効いたのではないかと私は思っています。
こういう家でのこともあって、それで昨日、ああいうブログを書いたわけです。
どうも私が祈ると先ほどのキリストの話ではありませんが、病が癒されているようなのです。
とはいえ、母の病気がまったくよくなったわけではありませんが(年も年ですし、まず心を変えようとしません。〔母は私のいうことをあまりききませんから〕それでは病気を完全に治すことは出来ないでしょう)それでも祈るとずいぶん効き目はあるようです。
昨日、久しぶりにスーパーに買い物に行ったのですが、ああいう人の多いところに行くとあちこちで嫌がらせをされます。(みな私のことを目の敵にしていますから)
そのような嫌がらせを私にして、そうして病気になった人もいるのではないでしょうか。(マァ、凄い数の人に私は嫌がらせをされています。そういう人も中にはいるでしょう)
それで病気をしたのはあいつのせいということになるのでしょうが(もし、そういうことが起きているのだとしたら、先に嫌がらせをしてきたのは自分の方なのです。それではどう考えても自分のせいだと思うのですが…)そういうことが起きているのなら、昨日のブログではありませんが、逆のことも起きるということです。
原因結果、作用反作用の法則は必ず作用しているからです。
私が何をいいたいのかといえば、私に嫌がらせをしただけで病気になる人がいるのであれば、では、私によいことをしただけで、それで病気が治る人もいるはずであるということです。(同じことですもんね。嫌がらせをして病気になるのなら、いいことをすれば病気が治るということも考えられます)
私にいいことをする人があまりいないので(苦笑)そちらはよく分かりませんが、最初に書いたキリストの話もあります。(服をさわっただけで病が癒された)
まったく起きない話ではないということです。
しかし、それも皆さんの心次第です。(キリストの服をさわっただけで病が癒された女性も「キリストの服をさわれば病は癒される」と固く信じていたからそういう奇跡が起きたのです)
法を説ている人に対する心が変われば、今とまったく逆の現象が現れてきます。現在この辺りで起きている現象は、この辺りの多くの人々がつくりだした現象であるからです。(そうですよね。私を悪く思う人が多かったばかりに、このような〔恐ろしい〕現象が現れてきたのです)
では、逆の考えを持つ人(私をよく思う人)がたくさん現れれば、当然逆の現象が現れて来るということになります。(つまり、奇跡が次々に起きる、そういう現象がそこらじゅうで現れて来るということです)
では、そうされてはどうでしょう。私の周りでは、すでに鳥や魚などが寄ってくる奇跡ばかりでなく癒しの奇跡まで現れているからです。(では、私を正しいと信じれば、そういう奇跡も起きて来るということになります)
法を説く人をもう少し大切にされませんか?
そうすれば多くの奇跡が現れて来るからです。



人目の訪問者です。

今日の反省は自身に新たなスタートランを課せるものでした。それはこれまで自分に神よ、神よと言いきかせは感謝感謝と言い放って来たような自分に気が付いたのでした。しかし、もっと大事なことがあったのでした。それは自分を知ることでした。自分が何を思いどんな行動をとるのか、それはどういう動機で何のためにそのような行動をとるのか、ということです。自分が言う事とやっていることの確認が、この歳にして気付いたのです。自分のやっていることが言っている事と違うなんて可笑しいと思うかもしれませんが、振り返るとそうだったのです。神よと闇雲に乞う前に自分の行動を見直してからでないと、とても神よとは口にするのも恐れ大き事と思うようになっていました。
そうですね。そのような一つ一つの反省は大事なことであると思います。