2月 11 2017
お経や仏典、聖書と同じ
日本海側は大雪で荒れた天気のところが多いようですが、こちらも相変わらず荒れています。(こちらは天気ではなく人心ですけどね)
ご近所の皆さん、どれだけ怒ろうが、わめこうが、静かにしようが、その災いは止まりません。
ブログ代くらい払われたらどうですか?(実際は布施ですけどね)そうすれば起きている災いもピタリと止まるからです。(…マァ、心次第ですが)
かないませんね。毎日毎日、やたら怒ったり、陰険に怒ったり、急に引いたりされる人が多いからです。(ほんとこの辺りの人たち毎日のように態度が変わります。情緒不安定丸出しです)
ご近所の皆さんはこのブログを読んでいますよね。せっかくこのブログを読んでいるのであればです。
このブログに書いてあることを少しくらい実践されてはどうでしょう。そうすれば起きて来ることも変わって来るからです。
このブログを読むだけ読んで、書いてあることを無視し続けていては何も変わりません。
このブログは、釈尊の説法が書かれてある般若心経などのお経や仏典、聖書などと同じであるからです。
だから読んでるだけではダメなのです。
実践しないと意味がないのです。
お経の中に書かれてある釈尊の説法が説かれた時代も、モーゼ、キリストが奇跡を起こされた時代も、今の時代も同じなのです。
同じように法が説かれているからです。だから同じようなことが起きているのです。
同じようなことが起きていませんか?この辺りで起きていることと聖書や仏典に書かれてあることとです。
多くのサイレンや私が祈って起きた大雨や地震など、モーゼが起こされた数々の奇跡(例えば天変地変や過ぎ越しの祭のようなこと)と同じですし、やはり祈って起きた病気の癒しなどもキリストがされた多くの人への癒しと同じです。
そうして、説いていることも(ここに書いていることも)釈尊やキリストが説かれた正法や福音と同じなのです。(よく釈尊やキリストの言葉をここに引用しますから)
そればかりか、私に起きていることまで(鳥や魚が寄ってくる奇跡)これまた釈尊やキリストと同じだというのですから、何から何まで聖書や仏典、お経に書かれてあることと同じことが起きているといっても過言ではないでしょう。
それにもかかわらずです。
その(釈尊やキリスト、モーゼと)同じような奇跡をじかに見て、法(正法、福音)まできいている人たちの態度がまことによろしくない。
だから、よろしくないことがこれだけ起きているのです。
普通であるなら、そういう奇跡を見て、法まで教えてもらい心を救われたというのなら、驚くか恐れ入るかして平身低頭くらいするか、または少なくとも控えめな態度を取り、その(法を説き奇跡を起こしている)人のいうことくらいはきくものですが(そのくらいの態度は取るでしょう。自分たちに現れない奇跡が現れ、知らないことを教えてもらって心まで救われているのですから)しかし、この辺りの人たちは、そのような態度などまったく取ろうとせず、奇跡を一切認めず、法を説いている私に逆に横柄な態度を取り(何せ、小、中学生までタメ口きいて来ますから)そのくせ法だけはきいて心が救われているくせに、それには感謝一つせず、嫌がらせをし続けているのです。(これだけ多くの人が〔しかも大人から子供までです〕法を説いて奇跡を現している者にこれだけ横柄な態度を取るのは、たぶん歴史上初のことではないでしょうか。それだけこれまでにないような態度を名古屋及び、その近県の人たちは取っているということです。過去の人たちは、そういう〔奇跡を起こす〕者に横柄な態度を取る人は少なかったですから。みな神を信じ、預言者を信じていましたから)
このような態度を取り続けている人たちに、はたしてよいことが起きるでしょうか?
どこをどうとっても、そのような態度を取る人たちによいことが起きるわけがないと思うのですが(それは聖書を読んでも分かります。預言者に横柄な態度を取る者にいいことは起きません。へりくだった態度を取っている人たちに奇跡が起きているのです)逆に他の地域の人たちにききたいのですが、こういう態度を取り続けている人たちによいことが起きると思いますか?(この横柄さ、本当に呆れますね。自分たちは一つの奇跡も起きないくせにです)
この辺りの人たちはともかく、この地域以外の人たちなら分かるはずです。なぜ、この辺りに災いが多いのかということがです。
この辺りに起きている多くの災いは、すべて(すべてです)この辺りの人たちの行いが悪いから起きていることなのです。
それは、この辺り以外の人たちなら(第三者の立場に立てば)分かるはずです。
感謝もしなければ謙虚さのかけらもない、起きて来る悪いことをすべて責任転嫁、こんな(非常に悪い)ことをしていてよいことが起きるわけがないのです。
しかし、この辺りの人たちは、それがいつまでたっても分からないのです。いつまでたっても、そのような災いをすべて私のせいにしているのです。
災いの原因はすべて私以外の人たちにあるというのにです。その災いは天罰以外の何ものでもないのにです。
しかしそれを、この辺りの多くの人たちはどれだけいっても認めようとしないのです。
それならそれで結構ですが、残念ではありますが自分たちの罪を認めない間は、その怒っている災いが止まることはありません。
それは自覚しないといけないでしょう。すべて、自分たちの周りに起きることは自分たちに責任があるからです。
それは聖書を見ても仏典を見ても、そう書かれてあるのですから、間違いないでしょう。
この辺りで起きていることは聖書や仏典、お経に書かれてあることと同じことが起きているのです。
そのことを、このブログの中に書いているのですから、では、このブログを読む時は聖書や仏典、お経を読む時と同じ心になって、反省しながら読まれてはどうでしょう。
聖書や仏典など読んで自分たちの心と行いを反省される人はたくさんいるからです。(お経も同じでしょうけどね。上げるだけではなく写経などしながら反省される人も多いと思います)
このブログを敵意むき出しで読んでいたところで何もいいことは起きません。(むしろ悪いことが起きます。聖書や仏典を敵意むき出しで読んでいることと同じですから)
せっかくこのブログを読むのであれば、ここに書かれてあることを実践してはどうでしょう。実際にこのブログの中に書かれてあることを実践し、奇跡が起きた人はたくさんいるからです。(実際にいますよね。そういう人がです。ウナッシーさんもそうだし)
ここに書いていることを無視している(または逆らっている)から悪いことが起きるのです。
それもまた事実なのではないでしょうか。
せっかく、実践すれば奇跡が起きる教えがここに存在するのです。ではなぜ、それをしようとしないのですか?
本当にもったいない話です。
我が強いと事実が見えなくなります。実際起きていることをもっとよく見てください。
そうすれば、このブログに書かれてあることを実践した方がいいのか、それとも無視した方がいいのかはよく分かるからです。



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