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2月 26 2017

恥ずべきこと

11:01 AM ブログ

最近は堀川にいる(来る)カモメたちもずいぶん減りました。

二、三年前までは数百羽のカモメたちが来ていたのですが(十一、十二月くらいまではです)ここ一、二年は百羽来るか来ないかくらいで、年が明けるともう数十羽くらいしかいません。

昨日も堀川に行くとずいぶんカメモは少なかったです。

しかし、少ないながらも私が行くと嬉しそうに何羽もこちらに飛んで来ます。昨日書いたイルカではありませんが、そういうカモメはカモメで可愛いものです。

堀川でカモメを見ていると、数十羽かたまって堀川にいる時など、その多くのカモメたちが急に飛び上がって、私のすぐ近くまで飛んで来て、私の前にある手すりにずらっと止まったり、地面におりて私の近くをウロウロしたりしています。(餌をやっているわけでもなんでもないのにです)

そうやってカモメたちが騒ぎだすと、カラスやすずめ、その他の鳥たちも騒ぎだし、大騒ぎになる時もあります。

そうして、それだけカモメなどが飛んでいるにもかかわらず、なんと、水面では魚が跳ねる時もあり、私がそれを見て「お前らはまだ出て来るのが早いぞ」と注意しているくらいで、魚たちも跳ねたくてうずうずしているようです。(笑)

そういう微笑ましい場面(奇跡的な場面)をもう何回も動画に収めているのですが、本当に可愛いものです。

そのような動物たちは、私が近くにいるのが嬉しくて仕方がないようで、何かしたくておられないようです。(笑)

それとは対照的に、人間たちも同じように私が歩いているとジッとしていられないようで(そこは同じなんですが)嫌がらせをしたくて仕方がないようです。(苦笑)

同じ私に何かするにしても、動物たちと人間たちとでは天と地ほどの差があります。

その心と行いの違いが起きて来ることの違いとなって現れているのでしょう。

昨日もずいぶん怒っている人たちがいました。(本当に動物たちとえらい違いです)

しかし、その怒っている人たちは、私に散々嫌がらせをしている人たちなのです。しかも、この人たちは私のブログまで読んでいる人たちなのです。(いくつかの会社の人たちですので、そこはもう分かっています)

私に散々嫌がらせをしているのに、それを謝りもしない、ブログまで読んで知らないことを知り、心まで救われているはずなのに、それには少しも感謝しない、そういう態度を取り続けていて悪いことが起きたら私のせいです。

この人たち一体どういう神経しているんでしょうか?

バカじゃないですよね?

バカじゃないなら分かるはずです。そういう態度を取り続けているのであれば、悪いことは起きて当たり前だということがです。

そうではないでしょうか?そういう態度を取っていれば悪いことは起きて当然なのです。

自分たちの態度が悪いからです。

そんな自分勝手な子供のような態度はないからです。

そのような子供のような人たちは、その悪いことを止める方法がお分かりでないようですのでここに書いておきます。

そうしないと、そのままでは(そのままの態度では)その災いは止まることはないからです。激しくなる一方であるからです。(実際にそうなっていますよね。だから怒ったり静かになったり情緒不安定なことをあちこちでしているのです)

いろいろ知らないことを教えてもらい心まで救われている人には、まず感謝することです。

その感謝するとは、感謝の心と報恩の行為、それが揃って初めて感謝したといえるのですから、その人には感謝の心だけではなく何か報恩の行為もされることです。

そこまで出来て初めて、その人に感謝したといえるからです。

そうして、その人に対する嫌がらせはやめて、その嫌がらせしたことを詫びることです。なぜなら人に対する嫌がらせは悪いことであるからです。

その悪いことをした部分はしっかり反省しないといけないからです。(その反省をするためには一度しっかり、その嫌がらせした人に詫びを入れないといけないのです。それがないと反省したことになりません。だから、ただ嫌がらせをやめただけでは災いは止まらないのです。その嫌がらせをした人に対する謝罪の心がないからです)

感謝と反省、それが出来るのであれば、その起きている災いは止まります。

では、すぐにでも実行されてはどうでしょう。そうしないと、その災いは命に関わることまで起きるかもしれないからです。(もう起きているのでしょうか?では、なおさら急がれてはどうでしょう。そうであるならもう我を張っている場合ではないからです)

勘違いしないでください。その災いが起きている人たちは私とケンカしているわけではないのです。

神とケンカしているのです。

だから、それほどの災いが次々に起きているのであり、人とケンカしているだけで、それだけの災いが起きてくるわけがないのです。

人にそんな力があるはずがないからです。神が関わっていなければ、そんなことが起きるわけがないからです。

いま次々に災いが起きている人たちは神に(神の心に)逆らっているから、それだけ悪いことが続いているであり、私にではありません。

そこは勘違いされないようにしてください。(私に逆らっていると思うから腹が立つのです。神に逆らっていると思ったら腹が立ちますか?そこはよく考えてください)

その神の心に従う方法が先ほど書いた方法であり(感謝と反省)私はその神の心に叶う方法を実践しているから、神の愛が体現され、最初に書いたようにたくさんの動物たちに愛される、そのような愛ある現象が次々に現れるのです。

その反対に、次々に災いが現れている人たちは、その神の心に逆らう行いばかりをしているから、その逆の現象が次々に現れて来るのであり、その行いの違いが、起きて来る現象の違いなのです。

それだけです。

どうですか?よく考えてみればそれほどの違いはないのではないですか?

心と行いを「怒りと無反省」から「感謝と反省」に変えるだけのことであるからです。

それが頑なな人たちには難しいのかもしれませんが、やらなければ、その災いは止まりません。

その災いが止まらなくてもいいのなら(もっと激しくなってもいいのなら)今まで通りの心と行いをし続ければいいのだし、止めたいのであれば、私のいうことをきいてください。

私は(皆さんと違って)口だけではないからです。

ちゃんと愛ある奇跡を体現しているからです。(そういうことまで起きているのですから、もう信じるしかないのではないですか?どれだけ悔しくてもです。事実は事実であるからです)

しかし、どちらにしても、鳥が寄って来ないような心では全然ダメだ(愛がなさすぎだ)といわれる時代がやがて来ることになります。(正確にはもう来ていますけどね。そういう現象が私には現れているからです)

それなのに、愛ある現象が起きないだけではなく災いまで起きているというのですから、そういう人たちはずいぶん心の進歩が遅れているのですね。

そのような現象が心の進み具合を教えているからです。

愛ある現象が起きないだけでもダメなのに、災いが起きている(しかもそれを人にせいにして怒っている)本当に話になりませんね。(ずいぶん恥ずかしいことです)

もう自分の心の悪さが現象として現れる時代になりました。

あまり悪いことが起きていると声高にいわない方がいいのではないでしょうか?

そういうことは人として本当に恥ずべきことであるからです。

もう愛ある現象が次々に起きている人もいます。

いつまでもたもたしているのですか?そういう人たちの行く末はもう地獄しかないのです。

2コメント

2 コメント to “恥ずべきこと”

  1. ウナッシー2017/02/27 at 12:43 PM

    最近になり少し家族に対する感謝が向上しました。(自己満足かもしれませんが・・)これまでの感謝は家族を通して夫としての勉強ができる家内に対する感謝、親としての勉強ができることへの子供にたいする感謝等がこれまでのものでした。しかし反省を通して、子供を通して幸せを祈る勉強ができることへの感謝、家内を通して幸せを祈る勉強ができることへの感謝。それはこれまで自分が頂く感謝をしていたことに対して、反省を通し相手の祝福をする方向へと変わっていたのでした。順序というものはやはり在るのであって、例えばいきなり世界の平和等と言葉では言えても、心から発することは段階を踏まない限り不可能と言えましょう。その辺りもしっかり地盤を固めブレのない心が構築できるよう自己管理に徹したいと思い今日も仕事をしています。

  2. gtskokor2017/02/27 at 1:43 PM

    そうですね。そのように正しい順序で段々祈りを広げていくことはよいことであると思います。
    その調子で頑張ってください。

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