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3月 11 2017

男女平等論のおかしさ

11:26 AM ブログ

南スーダンでPKOの自衛隊部隊が撤退するそうですね。

それはよかった。今の状況ではいつ戦闘に巻き込まれるか分かったものではありません。(何せ、政府が神からソッポを向かれていますから)早く帰ってきた方がいいでしょう。

南スーダンから帰って来た自衛隊には日本の守りを固めてもらいましょう。何せ、日本の隣にはミサイルをボンボン撃ち込んでくる危ない国があるからです。

その危ない国を抑えてもらわなければいけない韓国が大混乱ですね。

韓国初の女性大統領が、その大統領の弾劾裁判で罷免(ひめん)が決定して失職となってしまったからです。

これでは危ない国(北朝鮮)への備えもあったものではありませんね。(おまけに次の大統領の有力候補が反日で親北朝鮮というではないですか。もう最悪ですね。よく韓国国民はそういう人を大統領に推しますね。不安はないのでしょうか?)

それもこれも女性などを大統領にしたからです。やはり女性は向かないのです。そういう役にはです。

何度もいいますが、別に私は女性蔑視の発言をしているわけではありません。向き、不向きの話をしているだけなのです。

他の国にも女性の指導者はいるではないかといわれる人もいるのでしょうが、どこかの国の女性指導者も何か自分のところばかりがよい政策をしていますし、昔、鉄の女といわれた指導者も私は極端な政策ではなかったかと思います。

そういう観点で見るなら、やはり女性が指導者になると極端に偏るか、どっちつかずになるのかのどちらかの傾向が強いのではないかと思われます。

今回罷免された韓国の女性大統領も周りの(政府内の)人たちの意見は一切きかず、よりにもよって自分が信じ込んだ人の意見だけきき、それが民間人ということでこれだけ問題になって罷免されたのです。(私はあの大統領の代行をしていた首相の方などよかったと思いますよ。ああいう人の意見をきいてやっているのなら、こんなことにはならなかったのに本当に残念です)

こんな極端なやり方はありません。これも女性特有の態度なのではないでしょうか。(男ならいくら頑固な人でも、ここまで極端なことはしないのではないでしょうか)

マァ、あまりこんなことばかり書いていても、今の時代の人たちは男女平等がしみついています。これは女性の悪口としかとらない人も多いのかもしれませんが、そうではありません。

私たちはもっと女性の特性、男性の特性を知らないといけないといっているのです。それを知っておかないと人は(男と女は)活きないからです。(そればかりか不幸にもなるからです。異性に過度の期待をしてもその期待が外れて不幸になる人も多いからです)

それを理解しないまま、今の世界が支持している男女平等論など信じていれば、ぶつかることはあっても調和することは出来ないでしょう。

男女平等論は男の特性、女の特性をまるで無視した、足して二で割ったような単純な理論でしかないからです。

一番大事な男の特性、女の特性を無視していては、そこに真の調和は現れないからです。

そんなことはない、現に世界は男女平等でうまくやれているではないか、といわれる人もいるのでしょうが、一見それでうまくいっているように見えて、実は男女平等論などいっている国はそこかしこで揉めているのです。(いろいろな部分で揉めていますよね。〔それも男女の問題が多いです〕そういう国にデモが多いのも揉めている証拠であるのだし〔揉めているからデモが起きるんですよね〕そういっている国に限って離婚も多い〔本当に男女平等でうまくいっているのなら離婚は減らないといけません〕暴動だってよく起きているのです。〔どこの国とはいいませんが〕)

私がいう真の調和された社会とは、そういう争いがなくなり奇跡が起きる世の中をいうのです。(だからもちろん離婚も減る世界です。自分の親が離婚していますから、それがどれだけ〔親以上に〕子供にとっても不幸なことかは私は体験して知っているからです)

今のような一見よさそうな世界ではなく、真の平和な世界です。それを目指しているから、私はよく男の特性と女の特性は知っておかないといけないというのです。それが分からないと本当の男の力と女の力は出て来ないからです。

そうして男と女が真の力を出さないことには、そのような真の平和な(調和した)世界は現れてこないからです。

だから書いているのです。こういう書き方をすれば反発する人が多いと分かっていてもです。多くの人が正しいことを知ってもらわなければ真の世界平和は実現しないからです。

よく考えてみてください。男と女では体力も違えば性質も違うのです。(前回のブログにも書いたようにです)

それだけ違う男女が同じ仕事をしていていいわけがないでしょう。たとえ男同士や女同士であっても、スポーツが得意な人もいれば勉強が得意な人もいるのです。

そうしてこまごまなことが得意な人もいれば、大ざっぱな人もいて、そういう得手不得手があるから、それをうまく組み合わせれば一たす一の結果よりも、何倍ものよい結果が得られるのであって(お互いによい面を伸ばせるからです。お互いによい面を伸ばし合って足らない面を助け合えれば、それをすればするほどよい結果が現れます。だから何倍ものよい結果が得られるのです)それをうまく組合すことが出来なければ大した結果は現れないのです。

同じ男同士や女同士であってもです。(何かのチームでもチームワークがいいと悪いとで全然成績は違ってきます。それと同じです)

それが体力や性格など全然違う男と女を組み合わせて、足して二で割ったような男女平等論が正しいわけがないでしょう。

たとえ男同士や女同士であってもそれではうまくいかないのです。(先ほども書きましたが、同性であっても得手不得手があるからです)それが異性との組み合わせで同じように半々で同じことをしていたら、これだけうまくいかないことはありません。

だから、いま世界でいっている男女平等論ではうまくいかないのです。

やれることとやれないことをごっちゃにして無理やりやらしている、無理、むら、無駄の三拍子そろった間違った思想が男女平等論であるからです。

そういう何でも平等ではなく男と女の特性を活かすなら、もっとよい結果が現れるということです。

その特性を活かすとは昔から連綿と伝わって来た男は外に働きに行き、女は家で家事をする、そういう思想であり、その思想が一番正しかったから、私たちは連綿と続いて来ているのでありますが、ただ、昔はそのような思想の強制力が強かったのです。(絶対こうでないといけないとです)

それが強すぎたため、その反発から最近はずいぶん多様性ということがいわれだして、そうして男女平等、男も女もすべてやることは半々でよい、何でも平等、同権とこれまた極端な論に傾いているのですが、何度もいいますが、この男女平等論は男と女の特性を無視した極論であり間違っているのです。

基本はやはり男は外に働きに行き、女は家庭に入って家事育児を行う、これなのです。(この基本があったからこそ、これまで人類は続いてきているのです。この基本は外せません)

しかし、最近は女で外に働きに行くのが好きな人もいれば、男で家でご飯をつくるのが好きな人もいる、女で体力のある人もいれば男で体力がない人もいるので、それは各個人の特性を活かし、各家庭の好きにしてもらえればいいのですが(だからそういう家庭は妻が外に働きに行き、夫が家事を行う)そういう一部の人を全部にまで広げて、こういう家庭がよいというのは間違いなのであり、そういう家庭もあって私たちは適材適所でやっていますと、そういういい方なら構わないのです。

そうしてまず基本を大事にして(男は外で働く女は家事育児)しかし、こういう家庭もありますと両方を認めればいいのであって、そういう心の広い社会こそ大事なのであり、こうでないといけないという頑なな思想こそいけないのであり、男のよさと女のよさをもっと認めないといけないのです。(だから男に生まれたことに感謝、女に生まれたことに感謝するということです。男でしかできない仕事、女でしかできない仕事が出来るからです。男女平等などといって男と女が張り合おうとするからいけないのです)

そういう意味では多様性といういい方をすれば出来ますが、その多様性もです。

同性愛から何から何まで認めてしまっては(例えば、結婚前に子供をつくってもそれもOKなどとです)それもまた極論なのであって、そいう同性愛が広がるなら世界は滅びてしまいますし、結婚という大きな約束をする前に(キリストは結婚は神が合わせたもうものとまでいわれているのですから)子供をつくってしまっては(子供は夫婦だけに許された愛の結晶でありますから)それもまたいけない、秩序のある行いをしないといけないのであり、多様性ということもやはり中道でないといけないのです。

このようなことを考えますと、男女は平等で同権、そうして何でもいいという過ぎた多様性を認めることのおかしさもよく分かると思います。

そうような中道の多様性を認め、そうして男の特性、女の特性を活かした適材適所の社会、そういう社会が出来るなら、先ほど私が書きました真の平和な世界が実現することになり、こういう行いをする人が増えれば、そこには神の光が現れますから(そのような行いは法ですから)奇跡もまた起きるということです。

少しは男女平等のおかしさがお分かりいただけるでしょうか。

別に私は女性蔑視の発言をしているのではなく、男と女の特性をもっと活かしましょうといっているだけなのです。

そうして、その男と女の特性を活かすのであれば男女平等論はじゃまでしかなく、男女平等を叫ぶ暇があるなら「男と女は自分たちの特性を活かした行いをせよ。そうすれば奇跡が起きる」とでも叫んだ方がよほどいいことが起きますよ、といっているだけなのです。

どちらがいいのかはこのブログを読んでいる人が決めればいいのですが、世界中で(男と女が)これだけ揉めているのは(何か最近もデモかなんかしていましたよね。女の権利を守れとかなんとかいって)男女平等論がまかり通っているからです。

そうであるなら、その男女平等論を潰しませんか。

そうすれば調和された奇跡が起きる世界が現れるからです。

(男女平等をいくら叫んでも何の奇跡も起きません。それはその男女平等論が間違っているからです)

2コメント

2 コメント to “男女平等論のおかしさ”

  1. ウナっシー2017/03/11 at 12:29 PM

    今日は休みで朝から家で日頃の感謝と思い外回りを掃除しました。家の屋根では雀たちが親子か夫婦か、さえずりを聞かせてくれ賑わいを見せてくれてました。
    寒さも和らぎ少しずつ季節は変わって来ていますね。話は変わって家では少し認知症の父が私のところへ来て、自分の妻が自転車は危ないからと言って鍵を隠したんだと、自転車で出掛けたい気持ちを共感して欲しいらしく言い寄って来ました。確かに気遣う母の気持ちも分かるし、少し暖かい日に出掛けたい父の気持ちも分かる。実は父はもう自動車の免許を自主返納したものだから、手軽に出掛けるられる自転車は大事なアイテムなのです。さて母をとるか父をとるか。それは難しい話なので笑顔でその場を過ごしました。親の老いと共に変化する夫婦関係も人生を見つめる良い機会となります。

  2. gtskokor2017/03/11 at 1:28 PM

    私の父など、どれだけボケても自転車は乗っていました。
    それで二回ほど帰ってこなかったことがあったんですが(警察から電話がかかってきました。〔苦笑〕)うちの父は自転車のカギなど隠したら怒りまくりますので好きにやらしていましたが、今はもうそれもいい思い出です。(笑)
    愛を持って出来るだけ親の心に負担がかからないような、そのようなやり方をすることが大事なことでしょう。

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