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4月 28 2017

罰当たりな態度

11:28 AM ブログ

珍しいですね。どこかの会社が普通の日に休むなんてです。(今日休みです。どこかの会社がです)

珍しいというより初めてですね。普通の日に休んでいるのを見たのはです。(今日はまだ普通の日でしょう。GWは明日からですもんね)

ずいぶん引いていましたんで(それでも嫌がらせは少しずつでもやり続けていました…鬼ですね。〔苦笑〕)神に潰されたんじゃないですか。

この会社のすべての従業員が癌にでもなってです。(苦笑)

マァ、よく分かりませんがこちらは静かで助かります。一週間でも十日でも好きに休んでください。(苦笑)

しかし、この会社同様、最近はずいぶん引いている人が多いですね。歩いているとそれがよく分かります。(最近は怒っている人を逆転しましたね。引いている人の方がです)

もう罰当たりな態度はやめたらどうでしょう。罰当たりな態度を取っている人が多いから罰が当たるのです。

罰当たりな態度以外の何ものでもないですよね。

だって、心を救われている人に嫌がらせなどしているんですから。

そういう態度を皆が皆、取り続ければ当然罰は当たります。それがこの辺りで起きている災いなのです。(本当にたくさんの人が当たっているようですが、大丈夫ですか?)

それを私のせいにしていますが、そういう災いを私が起こしているわけではないから私に災いが起きないのです。(因果応報)

私に奇跡しか起きていないのがその何よりの証拠であるのだし、私に奇跡しか起きていないということは、私はよいことしかしていない何よりの証拠であるのだし(何度もいいますが因果応報です)そういう自分たちの(悪い)行いが次々に現れているだけなのです。

そういう時代となったからです。

いい加減、それに気づいて自分の行いをよく反省してよいことをされてはどうでしょう。

そうすれば、その起きている悪いことは起きなくなるからです。

それをまったくしようとせず、悪いことを私のせいにし続けたところで悪いことは起き続けるのであるし、では、どうしたら悪いことは止まるのか、どうしたら奇跡が起き出すのか、それを本当に知りたいのであれば、私のところにききに来るしかないのです。

実際に奇跡が起きているのは私だけであるからです。

分かりやすくいうのならです。奇跡が起きている人は善人なのです。(釈尊やキリストがそうです)そうして災いが起きている人は悪人なのです。(極端で分かりやすい言い方をすればです)

だから災いが起きている人のいうことをいくらきいてもいいことが起きないのです。その人は悪人でしかないからです。

悪人のいうことをきいていていいことが起きると思いますか?起きるわけがないのです。

その悪人は悪いこと(間違ったこと)を教えているからです。

だから悪いことが起きているのであり、だから善人のいうことをきかないといけないのです。善人は正しいことを教えるからです。

正しいことを教えてもらい正しいことを行うのなら災いは起きません。奇跡が起きます。

だから私には奇跡が起きているのです。私が善人で正しいことをしているからです。

他のどのような人も(それがたとえ自分の親や学校の先生であろうと、またどれだけ地位や名誉がある人であろうとです)その人に奇跡が起きていないのなら、その人は悪人でしかないのです。

しかし、誤解しないでください。私がここでいっている悪人とは正しい心の法則(正法神理)を知らない人という意味であり、本当の悪人という意味ではありません。

日本は長い間、唯物無神論が主流でした。そうして間違った宗教がまかり通っていました。

そういう事情があり、真の心の時代(正法の世)となって本当の神の力が現れ出した時、それに対しての正しい対処の仕方が分からない人が多いのです。

だから、そういう心の時代に対して、正しい対処の仕方を知らない人たちを悪人といっているのであり、分かりやすいからそう書いているだけなのです。

そこは誤解のないようにしていただきたいのですが、では何で私は心の時代になって正しい対処の仕方を知っているのか?ということになりますが、それは学んだ師が正法神理を説いていられる方であったからです。

高橋先生と園頭先生は、この心の時代にピタリと合った本当の正法神理を説いていられた方々であったのです。

それは、釈尊やキリストが説かれた真の正法神理であり、それを現代風に説かれたのが高橋先生であり、園頭先生であったのです。

真の正法神理であるのなら、その教えを忠実に守るのであれば真の正法の世となれば、次々に奇跡が起こります。

本当の正しい教えを正しく行っている、だから私には次々に奇跡が起きているのです。

他の宗教団体も釈尊やキリストの教えを説いてはいるのですが、ほんの一部なのです。

一部は正しくても他の部分が間違っていては、この時代、奇跡は起きません。むしろ災いが起こります。

奇跡も災いも極端に現れる時代となっているからです。その時代に間違った部分が多ければ当然、災いの方が強く現れるのです。

だからこういう真の心の時代となったら、他の宗教ではダメなのであるし(この時代には通用しません)また宗教から離れている人たちでは(どれだけ地位や名誉があっても)もっとダメなのであるし(そういう人たちは神や心のことをもっと知りませんから)真の正法神理を説いている人でないとダメなのであるし、その真の正法神理をただ知っているだけでもダメなのであるし(高橋先生や園頭先生の教えを知っているという人はたくさんいますから)その真の正法神理を正しく知っている人でないとダメなのです。(ここで私しかいないということになります。他の高橋先生や園頭先生の弟子たちは正しく正法神理を知らないからです。他の宗教家と同じように高橋先生や園頭先生の教えの一部しか知らないからです。だから奇跡が起きないのです)

だから他の誰もが災いが起きている時に私だけに奇跡が起きているのです。

私だけが真の正法神理を知っているからです。(だから高橋先生と園頭先生がこの時代に肉体を持っていられたら、私以上の奇跡が起きていたということです。しかし、残念ではありますが、お二方とも末法の世に亡くなられました。高橋先生は1976年に、園頭先生は1999年に亡くなられたのです。2000年から正法の世になったといわれていますから、そう考えるなら、お二方とも〔園頭先生などギリギリの1999年に亡くなられていますから〕末法の世に法を説かれる使命を持たれた方であったということです)

時代が違うと起きる現象も違います。

園頭先生がもう十年長生きされていたら一体どれほどの奇跡が現れていたのか、それを考えると大変残念ですが、その真の正法神理の教えを継いでいるのは私であるということです。

だからこれだけ奇跡が次々に現れるのです。逆に奇跡が次々に現れていることが、私が真の正法神理を継いでいる何よりの証拠であるということです。

その(真の正法神理を説いている)私を大悪人に仕立て上げ、嫌がらせをし続けている人たちがたくさんいますが、そういう人たちに次々に災いが起きているのです。(本当に大丈夫でしょうか?どこかの会社の連中はです。こんなこと初めてだからです)

しかし、実際、そのような悪いことが起きている人たちでさえこのブログを読んでいる人が多いのです。(どこかの会社の連中もそうですが)ということは、私はそういう人たちの心さえ救っているということになります。

ここには本当の正法神理が書かれてあるからです。

だから、ここに書いてあることを行う人には奇跡が、逆らう人には災いが起きているのです。

そのような起きる現象がここに書かれている正法神理の正しさを教えています。

いつまで悪人のいうことをきいて私に嫌がらせなど繰り返しているのなら、災いは起き続けます。

その災いが並ではないくらい起き出しているようです。(どこかの会社のおかしな休み方もそうですし、周りの人たちの態度もそうです。かなり態度がおかしいのです)

真の正法神理を説いている者に嫌がらせなどし続けていれば当然そうなります。

もう反省されてはどうでしょう。そうしてよいことをされてはどうですか私にです。

私に心を救われていることは間違いないからです。

罰当たりな態度をやめ、正しい態度取って下さい。

そうしなければ、どれだけの天罰がくだるのか分からない、もうそういう時期に来ているように思うからです

(なんか非常にやばいような気がしますが…それでも布施などしようという気にはなりませんか?この辺りの人たちはです)

追伸…マァ、それは東京や大阪の人たちも同じだと思いますよ。

もし東京や大阪にこのブログをただで読む人が多ければ、たとえカジノ法案が廃案になっても(昨日のブログではありませんが)それでもミサイルは飛んでくるかもしれません。

真の正法神理を教えてもらっているのに感謝もせず平気でいるからです。

これ以上罰当たりな態度もないからです。(苦笑)

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