6月 01 2017
怒りより気づき(今までにない稀な体験)
相も変わらず皆さんお怒りなんですが(どこかの会社など本当にやばそうですが…大丈夫ですか?)最近のパターンとしましては家や会社の中からガンとかゴンとかする人も多いんですが、私が歩いている先で待っていて、私が通りかかると嫌がらせをするという人も結構います。
だからもうそういう人は遠目から見ても分かるのです。何気なく立っているようですが、その立っている姿が何か不自然で異様に見えるからです。
それを分かりやすく例えるなら、私が歩いているその先に地獄霊が一体立っている、そんな感じですかね。(よけい分かりにくいですかね。〔笑〕)
だからそういう人を見かけるとこちらは辻説法をしながら、そちらに向かって歩いて行くのです。すると、その立っている人たちは私が近くに行く前にだいたいどこかに行ってしまうのです。
その辻説法で自分の間違いに気づくからです。
こういうところも地獄霊とそっくりです。地獄霊は自分の間違いが分かると天上界に帰って行くからです。
だから地獄霊にお経など、どれだけ上げてもその地獄霊は救えないのです。(そのお経の意味を地獄霊は知らないからです)
もし迷っている霊がいるようなら神理をコンコンと説いてやることです。そうして正しい祈りをしてあげるなら(神よ、この霊に光をお与えください、安らぎをお与えください。どうぞ正しくお導きください)その地獄霊は自分の間違いに自分で気づいて反省して天上界に帰って行きます。
そのようなやり方こそ地獄霊を救える唯一の正しいやり方であるのです。
だから人も地獄霊も同じであるということです。(それはそうでしょう。人と霊の違いは肉体があるのかないのか、それだけですから)
マァ、地獄霊の話はいいんですが(とりあえず、生きている人を救わないといけませんから)この辺りの人たちは早く気づいた方がいいでしょう。
自分たちの間違いにです。
自分たちが間違えているから自分たちに災いが起きているのあり、人のせいではありません。(もうそれをどれだけいったか分かりませんが。〔苦笑〕)
この辺りの多くの人たちは私に心を救われているのです。それにこのブログを読んでいる人も多いのです。(ということは心を救われたことプラス、多くの〔神や心の〕ことを知ったということになります)
では、感謝されてはどうですか?
これだけ神の奇跡が現れ、神の心が分かることも、自分たちの永い輪廻転生の過程であってもそうは体験出来ることではないからです。
大変稀で貴重な人生であると思うからです。(こういう体験は普通出来ません。それは爺ちゃん婆ちゃんにでもきけば分かります。どれだけの年寄りでも、これほどの現象〔神の業〕を見た、あるいは体験したなどという人はいないはずだからです。では、これだけ稀な人生もないということになります)
では、感謝されるのが当然でしょう。私にです。私と同じ時代に生まれたからこれだけ稀な体験も出来ているからです。
一回の人生でこれだけ知らない体験をすることもそうはないのです。
それだけ多くの知らない体験をしたということは(善い悪いは別にして)それだけ多くのことを知ったということに他ならないのです。(知らない体験をしたということは知らないことを知ったということですから)
では、ずいぶん中身の濃い人生を送っているということになります。これだけ神や心のことを知ることが出来る人生もそうはないからです。
そうして、その神や心のことを知ることこそが、私たちがこの世に出て来た本当の意味であるからです。
私たちがこの世に出て来たのは何も金や地位や名誉を得るためではありません。それは、そのようなものは、すべてこの世に置いて行かなければいけないということでもその事実が分かるのです。(そういうものをあの世に持って帰った人など一人もませんから)
では、あの世に持って帰れるものは一体なにか?ということになりますが、それが心なのです。
私たちは自分の心を磨くためにこの世に出てきているのです。その心だけはあの世に持って帰れる唯一のものであるからです。(肉体が死んでいるのに心だけは残っていた、などという人はいませんから)
だから、その心を磨くために、この世の様々な体験が大事なのであり、この世の金も地位も名誉も、その自分の心の磨くための一つのアイテムにすぎないのです。
それなのに、その心を磨くための一つのアイテムにすぎないものを得るために血眼になっている、本当に哀れですね。
この世のものだけしか目に入らない人たちはです。
そのような考え方に一石を投じたのが私の起こした現象であり、そういう奇跡が起きたから、この世は物だけではないということも分かったのです。
多くの唯物無神論であった人たちがです。
私が祈って様々な現象を現さなかったら、その(この世がすべてという)唯物無神論を変える人はいなかったはずです。
では、私は皆さんの心にとって(心だけに絞った場合です)大変よいことをしたということになります。
多くの人が唯物無神論から唯心有神論に目覚めたからです。(まだ完全に目覚めている人はいませんが)
だからそれに気づかないといけないといっているのです。
それに気づかず上辺の起きていることだけを見て、怒っていても悪いことしか起きないのです。
そういう判断が間違っているからです。
上辺で悪いことが起きているのは、その人の心が悪いから起きているのであり、人のせいで起きているのではないのです。
その人の心がよければ悪いことは起きないからです。(こういうところがまだ完全に唯心有神論に目覚めていない証拠なのです。責任転嫁など唯物無神論の最たるものであるからです。すべての原因は自分の心にある、完全に唯心有神論になればそれが分かるからです)
だから、悪いことが起きた人は自分が悪かったと割り切り、自分の悪いところを反省することです。
実際にそのような人たちには反省すべき点が多々あると思うからです。そういう点があるから悪いことが起きたからです。
すべてのことにおいて、自分がよいのならよいこと(奇跡)しか現れないし、自分に悪いところがあるのなら、その悪いところは現象(災い)として現れるのであるのだし、そのような心に思っていることが分かりやすく現れる時代になったということです。
怒ってばかりいるより気づかないといけないのです。
自分の悪かった点をです。
今回の人生はずいぶん神の業が現れる大変稀な人生であるのです。
では、その幸運を活かし大いに心を磨いてください。(これだけ幸運な人生はありませんから。心から観たらです)
それだけ悪い現象が現れる時(最大のピンチ)は、それだけよい現象も現れる時(最大のチャンス)であるからです。
泣き言(責任転嫁)をいっていても何も変わりません。
いま起きていることを変えたいのであれば、正しいことに気づくことです。
自分で気づいて自分で変える、それ以外で救われる道はないのです。
(それは先ほど書いた地獄霊たちと同じです)
追伸…この辺りの人たちばかりでなく、北朝鮮もまたずいぶん怒っているようです。
日本への攻撃対象を(アメリカ軍の基地から)拡大するとかなんとかいっているようでが、勝手に日本のEEZ内にミサイルを撃ち込んでいるのはそちらなのです。
それで怒っているのはおかしいでしょう。怒らないといけないのはこちらの方(日本)であるからです。(どう考えても逆です。だらしがないことに、こちらは一方的にミサイルを撃ち込まれているだけであるからです)
そういうひどいことをされているにもかかわらず、そんな勢いで日本のEEZ内にミサイルを撃ち込めば(最悪の)不測の事態も起きかねませんよと教えてあげてもいるのです。
もし、そんな勢いで何発もミサイルを撃ち込んで、アメリカ軍機や軍艦にミサイルが命中でもしたら、どうなると思いますか?(それは自衛隊機であろうと日本の漁師の船であろうと同じなのです。そんなことになったら日本人はみな怒るのです。もちろん私もです)
そんなことにでもなったら、そちらもただでは済まないのです。(もしかしたらさすがの北朝鮮といえども最悪の事態に陥るかもしれません。アメリカ軍が武力行使を行うかもしれないからです。マァ、誤差が七メートルくらいの正確さでミサイルが撃てるのですから、いらぬ心配かもしれませんが)
そういう最悪の事態になってもいけないから、そこまでされない方がよいのではないですか?といっているのです。
ミサイルもほどほどにされてはどうでしょう。この勢いでミサイルを撃たれてはどの国も対話どころではなくなるからです。(そうなれば当然、圧力一辺倒にもなりますし)
マァ、北朝鮮も怒っているばかりでなく、少しは感謝されてはどうでしょう。そうすればいいことも起きて来るからです。
なんなら神の心を教えましょうか?神の心を知るならば北朝鮮にも奇跡が起きて来るからです。
神の心を北朝鮮の多くの人が知るならば、今のような状況も段々変わって行きます。
勉強されてはどうでしょう。
北朝鮮もこの神の心(正法神理)をです。



人目の訪問者です。

ようやく分かりました。朝晩の反省や感謝の祈りが何故こんなにもストレスなく毎日実践できるのかをです。三日坊主にもならず、しかも実践すれば更に意欲が湧いてくるのえすから。それは私達がもつ本質的な事であるからと分かったのです。世の中の仕組みでなく自然の理であるからなのでしょうね。そういう当たり前を当たり前にやって行くことが心の修行でもありますし、自分の体験を通し周りに影響を与えながら自分を更に高めて行くそれを心身をもって知ることができたのです。さて後は如何に世に知らせるか、ですよね。
その通りですね。
しかし、この法を勉強しないと悪いことばかりが起きる、そのようなことが現に起き始めています。(私の周りではです。明日のブログでそのことはまた書きます)
多死社会にもなっておりますし、そのうち嫌でもこの教えは世の中に知れ渡ることになるでしょう。