6月 13 2017
被害妄想
いやいや凄いですね。
昨日金山に行ったんですが、あの金山の辺りでもずいぶん引いている人が多いのです。(走っているバスやトラックから歩いている人までです。歩いている小学生まで引いているのには驚きました)
この辺りならともかくです。金山は相当数の人が毎日行きかっているのです。(総合駅がありますから)そういう人たちの多くが引いているということは、相当危ないことが多くの人に起きているのではないかと想像出来ますが、一体、何が起きているんでしょうか?
それだけ多くの人が引いているなどです。(ほんと、漫画や小説にも出て来ないでしょうね。こういう状況などです)
それほどのことが起きてまだ神に手を合わせる人はいないのでしょうか?
それが全部、私のせいなどといわれるのでしょうか?
もし本気でそういうことを信じている人がいるのならもうその人は病気なのです。しかも相当重症のです。
そういう人は一度精神科にかかった方がいいでしょう。だぶんその人は被害妄想といわれるからです。
そのような離れた場所に比べ、家の近くに来れば来るだけ怒っている人が増えます。
いつまでも被害妄想を演じていても(本当に被害妄想なのかもしれませんが)災いは止まりません。早く心を入れ替えた方がよいのではないですか。
多くの人が引くほどの現象がすでに現れて来ているようだからです。
しかし、こういう被害妄想の人たちは本当に共通していますね。考えていることがです。
自分はまったく悪くなくて、悪いことはみな私のせいで、私から一方的に被害を受けて苦しめられていると信じ込んでいるようだからです。(マァ、それが被害妄想という病気なんでしょうが)
しかし、自分たちがやっていることといえばです。
心を救われているくせにそれには少しも感謝しない。人の顔を見れば散々嫌がらせはする。私に起きている愛ある奇跡は認めようとしない。私のいうことをまったくきこうとしない。
それでいて悪いことが起きると、それをすべて私のせいにしている。
第三者から見たらです。
これで自分たちに起きている悪いことをすべて私のせいにされても、いや、自分たちも悪いだろうということにはならないのでしょうか?
自分たちも(自覚がないだけで)十分悪いことはしているはずだからです。
だって、自分たちの心が救われたのは事実なのですから(それを否定する人はいませんよね)それにまったく感謝しないということは悪いことですよね。
それに嫌がらせはもちろん悪いことです。(これも否定する人はいないでしょう)
そうして愛ある奇跡が起きているということは、それだけよいことをしているから私には愛ある奇跡が起きているのであって、それを認めないというのも悪いことです。(善を善として認めないのですから)
そして、そういうよいことが起きている私のいうことをまるできこうとしない。
仮に、私のいうことをきいて悪いことが起きたというのであれば、それは私のせいで悪いことが起きたといえなくもありませんが、私のいうことなどまるできこうとせずにいて、悪いことを私のせいにするのはまったくのお門違いです。
これもまた悪いことなのです。
よく考えてみればです。この被害妄想と思われている人たちは何もいいことをしていないのです。
これでは悪いことが起きて当然であるのだし、だから私はこういう人たちを『被害妄想』だといっているのです。
やっていることがそのような病気の人たちと同じであるからです。
これでもまだ悪いことは私のせいなのですか?(本当にバカらしい話です。どこをどうとっても自業自得のはずなのにです)
よく考えてみてください。
それだけ私に奇跡が起きているということは、それだけの神の業が、私には現れているということであり、それだけの神の業が現れているということは、私にはそれだけ多くの神の光が降りているということであり、では、それだけ多くの神の光が降りている私に嫌がらせをしまくっているということは、それは神に嫌がらせをしまくっていることと同じなのです。
そんなことをしていてよいことが起きると思いますか?
起きるわけがないでしょう。だから悪いことばかりが起きているのです。神の業が次々に現れている者に平気で嫌がらせをしているからです。(本当にこれ以上の罰当たりな行いはありません。神の心を理解しないにもほどがあります)
この辺りに次々に災いが起きるのも道理なのではないでしょうか。それだけ多くの人が、それだけ(神の心を無視し)傲慢不遜な態度を取っているからです。
自分たちの考えが間違っていたのです。
間違っているからいいことが起きないのであって、私のいっていることが正しいのです。
正しいから(そういう私に嫌がらせをしている人たちでも)私のブログを読む人が多いのであって、しかも私のブログは正しいだけではなく、そこに神の心が書かれてあるのです。
そうしてこのブログからは神の光まで出ています。(私に神の光が降りているのなら、その私が書いた文章からは神の光が出ています。もちろん高橋先生や園頭先生の文章も同じで、園頭先生もそのように書いていられます。〔私が書く文章からは神の光が出ているとです〕)だから私に対し怒ったり、恨んだりしている人までこのブログを読んでいるのです。
そういう人も皆、神の子であり、神の心は知りたいし神の光もいただきたいからです。
普通であるならです。それだけ多くの人から嫌われ恨まれている者が書くものなど、そういう嫌い恨んでいる人たちは絶対に読まないのです。
しかし、私のブログは違います。私のことを嫌い憎んでいる人たちがたくさん読んでいるのです。
なぜでしょうか?
その意味がお分かりいただけたと思います。
このブログには神の心が書かれてあり、神の光が出ているからです。だからそのような人たちまで私のブログを読んでいるのです。
また、そのような人たちまでがこのブログを読んでいるということが、このブログには神の心が書かれてあり、神の光が出ているといったことの何よりの証拠なのです。
そうでなければ(単に人が考え書いているだけでは)そのような人たちは絶対にこのブログを読むことはないからです。
だから、このブログを読んでいて読むのをやめてしまった人もいるのでしょうが、そういう人はまだしっかり神の心が分からず神の光も感じない人であるということです。
しかし、そういう人も心が成長すればまたこのブログに帰って来るのです。だから、このブログを何年も読み続けている人は、それなりに心が成長している人であるということです。(それはこの世の肉体年齢に関係なくです。大人であろうと子供であろうと心が成長している人はしているし、していない人はしていないからです)
だからこのブログを何年も前から読んでいる人はずいぶん心が軽くなったのではないですか。(このブログを知る前と比べてです)
なっていなければそれだけ長くこのブログを読むこともないでしょう。それはここに書かれた神の心を知ったことと、このブログから出る神の光が心を浄化しているからです。
だから、心が軽くなっているのです。
そう考えるならです。このブログを書くことをじゃましたり、私に対して嫌がらせをしていることの罪の重さはお分かりいただけるはずです。(今日もじゃましています。どれだけ罪をつくっているか分からないくらいですね。どこかの会社はです。だから毎日のように災いが起きるのです。また何か起きたんですか?本当に哀れです)
だから私はいっているのです。早く反省して布施くらいしなさいとです。
そうしないとその大きな罪は消えないし、それ以上に私から受けた恩を返しようがないからです。(法を毎日のように教えられ心が浄化されているなどどれだけの恩でしょう。このブログをただで見ている皆さん、その大きな恩をどうやって返すつもりですか?)
法を教えてもらえるくらいの深く高い恩はありません。
いつまでも被害妄想を演じていてよいのですか?そのような(被害妄想のような)心が災いを呼んでいるのです。
(あまりにやっていることが違いすぎますね。私とそのような人たちとはです。だから起きて来ることが天と地ほど違うのです)
追伸…梅雨なのに雨が降りませんね。
関東などまた水不足で(去年もそんなこといってませんでしたっけ?)農家が大変で夏野菜がすでに値上がりしているとか。
法が拡がるならこういうことは起きないのに本当に残念です。
梅雨前線は沖縄辺りで停滞しているようですね。私が祈れば一発なんでしょうが(一変に上がってきますね。この辺りまでです)関東の人たちが誰も協力してくれなくては(この法にです)下手に祈ってもまたうまくいきません。
やめておきましょう。また別な場所に大雨でも降ったら私が憎まれるだけだからです。(それにその大雨が降るところも迷惑でしょうし…それもその場所に住んでいる人の心次第なんですが…すべて私が悪いとなりますから)
この辺りの人たち同様、早く関東の人たちも心を入れ替え、この法を真剣に学んでくれる人が増えて来ることを願ってやみません。
そうなればこのような異常気象の多くは防ぐことが出来るからです。



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