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7月 02 2017

昨日怒っていた皆様へ

10:27 AM ブログ

昨日は笑ってしまいましたね。(笑)一昨日行った庄内川側とはまったく違っていたからです。

何が違っていたのかといえば、オジちゃんたちやオバちゃんたちの態度がです。

昨日は堀川に行ってきたんですが、その帰りのことです。

もうあちこちの家からオジちゃん、オバちゃんが出てきて怒っています。

でしょうね。そうじゃないとおかしいですよね。あんなブログを書いたのですから。(大事なお知らせ)

庄内川の辺りの人たちは一体何だったんでしょう。(多少は愛のある人が多いのかもしれません。こちらの事情など考えてです)しかし、こうじゃないといけません。こうでないとこちらもギャーギャーいえないからです。(笑)

ここのオジちゃんも、この家のオバちゃんも、私のブログを見ていたのかという感じです。

もうそういう人たちに片っ端から「オジちゃん、オバちゃん、ブログ代払って」とか「なんだなんだ、散々人のブログを読んで心が救われているくせに少しのブログ代くらい払えないのか」とか「こちらの都合は一切関係なしか、本当に愛がないな」とか、いいたい放題いってやりました。(笑)

ところがです。普通であるなら、そういうことをいわれたら、下を向くかいやらしそうな顔をするはずですが、この人たちはそういうことを散々いっても、いやらしがるどころか怒っている人がほとんどだというのですから呆れます。

本当に昨日怒っていた人たちは感謝の心もなければ愛の心もない、怒りの心しかないようです。(私が祈って自分たちに何か起きたらどうするのかというです。人のことより自分のことしか頭にないようです)

この人たちは長年、私のブログを黙って見ていたのです。(黙ってどころか私に嫌がらせをしたことがある人たちばかりでした)その私のブログを読み、心が救われたこともあったでしょう。知らないことを知ったということもあったでしょう。

では、少しくらいの感謝の心があっても不思議ではありませんし、私はブログの中で「少しで結構です。布施してください」ということを何度も書いているのですから「少しの布施くらいしてやるか」くらいは思ってもいいはずです。(いい家に住んでいる人もいましたから。私のぼろい家とはえらい違いです)

しかし、そういう考えなど一切持とうとせず、平気でブログを何年にもわたり読んでいたにもかかわらず、そのことを指摘されても、少しも悪いとも気まずいとも思わず、自分に何か起きたらどうするのかと、自分のことばかり考え怒っているというのですから、いやはやなんという面の皮の厚さでしょう。

これくらい自分本位な人たちも珍しいですね。(子供並の心です。こういう低レベルの人がよく私のブログを見ていますね。ちょっと驚きです)

こういう人たちにはまともに出るでしょうね。私が最後の祈りをすればです。

この人たちがなぜこれまで残されていたのか、いま分かりました。

この最後の祈りをするためです。この祈りを成就するためこの人たちはこの世に残されているのです。

そうでなければとっくに何か起きています。この人たちはもう何度も私に嫌がらせをしている人たちばかりであるからです。(しかもブログを見ていながら、まったく感謝も布施もしないという不遜な態度まで取っているのですから)

これだけ罪深い人たちもないのですから(ご本人たちはまるっきりそれに気づいていないようですが)普通であればこういう人たちに何も起きないわけがないのです。

しかし、これまで何も起きなかったのは、この最後の祈りをした時にこのような人たちに一斉に現象を現すためであったのです。

そのようなことが起きれば、この人たちの周りにいる人たちの多くはこのブログに対する態度を改めるからです。(さすがに怖いでしょう。それだけ多くの人に一変に災いが現れたらです)

だから、そのような(超がつくほど)自分本位な人たちはまだ残されているのですが、そのような人たちにいっておきます。

昨日、わざわざ私の帰りを待っていて嫌がらせをした人たちは、私が最後の祈りをするならば、必ず何か自分の体に現象が現れるでしょう。

だから自分たちに何か起きたくないのであれば、少なくともあなたたちはこれまでの行いを反省し、ブログ代くらい払うべきです。

それを払うだけの罪と価値を、あなたたちはすでにつくりもらっているからです。

もし、それを無視するならば、今度こそ本当にあなたたちには現象が現れます。

それをはっきりここに書いておきます。

マァ、いうだけ無駄かもしれませんが(それだけ業が強い人たちですから)しかし、そのままでいて急に何か起きてもいけません。(心の準備も必要でしょう)

やり残したことがあるなら、やっておいた方がいいでしょう。もうやれなくなるかもしれないからです。

神の心を教えてくれた者にまったく感謝せず、怒りばかり持っていればそういうことになるのです。出来るものなら反省してほしいものです。

しかし、それも本人次第であるということです。

このような人たちがまだ他にもいるようですが、そういう人たちも同じなのです。(どこかのマンションの連中も今日もバシバシやっていますから。この連中も〔もちろんどこかの会社などもその最たる人たちですが〕怒りばかり持ってまったく反省しない人たちなのです)

私が最後の祈りをするのなら、遅かれ早かれどこかで現象は現れます。(そのような心は大いに間違っているからです)もう時間も限られています。

早く反省されることを望むばかりです。

その最後の祈りは月曜日の夜から始めることにします。(だから明日の夜からです)

しかし、もし、多くの人から布施をもらうことが出来たのなら(月曜の夜までにです)この祈りはしないことにしますが(マァ、それもいうだけ無駄かもしれませんが)まだ私のいうことを皆が無視し、一人も布施する人がいないということであるなら、月曜の夜から毎日その最後の祈りはしたいと思っています。(もちろん今現在すでに布施をしてくれている人たちは数に入りません)

昨日の深夜から今日の未明にかけ、北海道と熊本で震度5の地震が相次ぎました。

このクラスの地震が起きる時は、天が怒っている時ですと先週書いたのですが(先週の日曜日の朝にも長野で震度5の地震がありましたから)今週もまたそのクラスの地震が起きたのです。

ということは、天は相当怒っているということになります。(しかも今回は二回連続ですから)

こういう現象が次々に起きるということでも、神の存在が明らかなのはもうお分かりいただけると思います。(これ以外の現象も特にこの辺りは数えきれないくらい起きていますから)

これ以上、神を怒らせるなら、今度は震度5クラスではすみません。(だからこれ以上、私のいうことを無視すれば今度はそれ以上の地震が起きるということです)

もう傲慢不遜な態度はおやめください。(神の心を無視するようなです)

そうしないと日本にどれだけ悪いことが起きるか分からないからです。

追伸…ブログを再開して七年、その間、この法の大事さを訴え続けてきましたが(そうして様々な現象も現してきたつもりですが)未だ協力してくれる人は少なく、ほとんど布施も集まりません。(嫌がらせは数多くいただきましたが。〔苦笑〕)

これでは法を説き続けることは遅かれ早かれ出来なくなります。

それがどれだけいけないことなのか、どれだけ書いても、どれだけ現象が現れても分からないということであるなら、もはややるしかありません。

では、最後の祈りをするしかないということになります。

マァ、大丈夫でしょう。

少々祈ったところで、私に何かかにか協力している人たちにそれほどひどい現象が現れるとは思えないし、多くの人にそんなに一変に現象が現れるとも思えないからです。(というか、実際は分からないんですけどね。地震まで〔震度5クラスの〕起き出しましたからね)

どちらにしてもこちらは命懸けなのですから、どうしても法のために動いてもらえないということであれば、こちらは命を懸けてでも動かすしかないということになります。

しかし、よく考えてみてください。

たかだか、布施をくれるか、くれないか、それだけの問題なのです。

何でこの程度の問題に命まで懸けないといけないのか、そこは本当に疑問ですね。(苦笑)

しかし、法の流布を行うか、行わないかという問題は、それほど大きな意味があるということです。

法の問題をあまり軽くは見ない方がよいと思います。

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