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7月 01 2017

本当の信仰をすることの大事さ

11:44 AM ブログ

思ったほど怒っている人がいなかったですね。

昨日は庄内川に行ったので、その帰りなど怒っている人がたくさんいるかと思ったのですが(あんなブログを書いたものですから)大していなかったです。

怒っている人などです。(一人、二人いたような気がしたくらいです)

何人か見たんですけどね。私のブログを読んでいるであろうオジちゃんやオバちゃんをです。(笑)

どうしたんでしょう皆さん、いつもであるなら烈火のごとく怒っている人があちこちにいるはずなのにです。

もう達観されたんでしょうか?それとも諦めたんでしょうか?(もうこの辺りは少々悪いことが増えても同じだということでです)

達観されている人が増えたのなら私に布施くらいされるのでしょうが、そういう人が一人もいないのですから、もう諦めたということでしょうか?

どう思おうが、それは本人の自由なんですが、しかし、もったいない話ですね。諦めてしまうのもです。(たとえそれが年寄りであってもです)

昨日のウナッシーさんのコメントではありませんが、この教えを勉強し実践するなら次々に奇跡が起きるというのにです。(ウナッシーさんの周りでは次々に奇跡が起きているそうです)

もう時代が違うのです。これまでの考え方では通用しないのです。(表面上だけよければ心はどうでもよい)

そのような考え方では次々に災いが起きる時代になったのです。だから多死社会となっているのであり、この辺りはまた特に悪いことが起きているのです。

そのような時代になったにもかかわらず、その心を特に汚すような行いを多くの人が実践しているからです。(もちろん法を説く人に対する嫌がらせです)

それはすべてにおいていえることであり、だからどれだけ科学や医療が発達しても、宗教が増えても悪いことを止めることが出来ないのです。

すべてのことにおいて、第一である心を正さずにやっているからです。

その心を正さずにやっていては、このような時代になってはいいことは起きないのです。

しかし、法に従えば、そのようなことはありません。

だから、法を実践している人たちには、これだけ災いが起きている世の中になっても奇跡が起きるのです。

法とは、そのすべての元である心の正しい在り方を説いているからです。

その法に逆らっているから災いが起きるのです。いい加減理解されてはどうでしょう。法を理解する人が増えて来るなら、災いが止まるどころか奇跡が次々に現れて来るからです。

実際に法を実践している人には、その奇跡が現れているのです。

もう無神論のままでいたり間違った信仰をいくらしたところで、悪いことは止まらないし奇跡も起きないのです。

もうそのような考え方が通用する時代ではないからです。

本当の信仰(法)をしない限り、災いは止まらないのであり奇跡も起きて来ないのです。

では、法を知らなければ幸せになることもないということになります。

災いばかり起きて奇跡が起きない世界に幸せなどないからです。

そう考えるのならば、多くの人々は、たいして幸せではないことを幸せであると勘違いしているのです。

例えば、災いが起きたらそれは運が悪かったですまし、しかし、金があって物が多ければそれが幸せなのだと、そのような物質的に恵まれていればそれが幸せであると信じ、だから皆、金儲けを第一と考えるのです。(神などほっといてです)

だから今の人がいうことは男も女もすべて仕事、仕事なのです。(絶対神とはいいません)金があることが幸せであると勘違いしているからです。

そうしてその勘違いは宗教にまで及んでいます。(何せ、神様にまで金儲けを頼むくらいですから)

だから今の宗教のほとんどは現世利益ばかりを説くのです。

金があることが幸せであると宗教までがそう思っているからです。(神よりも金です)

だから、そういう宗教の教義がまったく通用しない現象が現れてきたのです。(それが多死社会です)

そのような考え方が間違っているからです。

今のように天変地変も激しくなり、死ぬ人もどんどん増えては、どれだけお金があっても何も幸せではないのではないですか。

それでは、いつ自分が死ぬか、天変地変が起きて、そのお金を失うかするか分からないからです。

そういう時に金があったところで一体何の幸せなのですか?

今のように天変地変がドンドン激しくなり、死ぬ人もドンドン増えていては、金がどれだけあっても不安で仕方ないのです。

金で命が買えるものではないし、金で天変地変を抑えることも出来ないからです。では、金などいくらあってもこの時代、幸せにはならないのではないですか。

また自分が信じている宗教でも、その信者の人たちが次々に病気になっていったのなら、その宗教をしていることが不安にならないのでしょうか?

自分たちがしている宗教は間違っているのではないかと疑問に思ってです。(実際にそういうことが起きているようですが…)

そうしてそれは科学や医療も同じなのです。

ある程度は、そのような不安を取り除くことは出来ても(ある程度でしょう。科学も医療も天変地変は止めることが出来ないし、人の命もある程度は救えるだけで完全に救えるわけではないのですから)そのような不安をすべて取り除くことは出来ないのです。

だから、いま起きている現象にはどれも通用しないと私はいっているのです。

では、いま起きている現象に通用するものがあるのかといえばです。

それはあるということであり、それが法(正法神理)であるということです。

法であるなら、激しい天変地変や多死社会にも通用するのです。

激しい天変地変は、法を実践している人たち皆で祈れば抑えることが出来ますし(本当にやれるんですけどね。やる気がない人たちばかりだからやれないだけでです)多死社会もそうです。

法を実践する人が増えれば、次々に奇跡が起き、寿命をまっとう出来る人が増えるのです。

そうなれば多死社会は自然に解消されて行きます。(解消されますよね。皆がいま以上に長生きするようになるのですから)

その寿命でもです。聖書など見れば二百歳とか三百歳とか生きた人が書かれてありますが、実際にそのように長生きした人は過去にいたのです。

法を実践をするなら、そういう人が増えて来るのです。(これは事実です。心がよくなると今以上に長生きする人が増えるのです。〔だから聖書にもそのようなことが書かれてあるのです〕心がよい方に変われば肉体もまたよい方に変わって行くからです。そういう話を園頭先生もされていました)

そうして本当の信仰をする人が増えれば天啓なども頻繁にもらえるようになります。

するとどうなるか?

それはもうお分かりであると思います。科学や経済、医療など飛躍的に発展するということです。

天上界にはこの世以上に科学が発達した世界(菩薩界)があるからです。

そこに住む菩薩たちが次々にこの世の人々に天啓を与えてくれるなら、この世の発展は想像を絶するほどになるということです。(分かりやすくいえば、いま騒がれている将棋の藤井四段のような人が、あちこちから出て来るということです。それこそ、科学や経済、医療の分野からもです)

法を多くの人が実践するなら、そのような奇跡が次々に起きて、この世は飛躍的に発展するのです。

では、この世のすべてのことは解決するということにならないのでしょうか?

しかも法ほど平和なものはありません。

では、いま戦争などしている国も、法が広まれば次々に奇跡が起きて、平和になって行くということになります。(もうそれは何度も書いていますが)

そのような不可能なことがすべて可能になるのが法の実践なのであり、だから私はくどいくらい早くやらないといけないといっているのです。

嘘ではありません。本当ですよね。現にそれに伴う現象がもうそこら中で起きているではありませんか。(法に伴う奇跡や災いがです)

それを目の敵にしている人も多いのですが、よく考えてみてください。

このような現象は世界を救うのです。

だから、いい加減、この教えの大事さを理解しないといけないと私はいっているのです。

この教えを世界に拡げるなら文化文明は想像を絶するほど発展し、真の平和な世界がつくられて行くからです。(そこかしこに神の力が現れる本当のユートピアがです)

しかし、この教えを拡げるには私一人では無理なのです。

このブログを読んでいる人たちが立ち上がってもらわねばそれは出来ないのです。(だからいっているのです。私も一人で出来るものならやるんですが〔一々人に頼むのもめんどくさいですから〕出来ないものはどうしようもないですから)

そろそろ立ち上がってもらえませんか?

多くの人がそれを行うなら、その先には素晴らしい未来が待っているからです。

(また自分も幸せになると思うんですが…本当の幸せにです)

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