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8月 14 2017

哀れな国

10:27 AM ブログ

ウナッシーさんには次々に奇跡が現れているようですね。(祈りで子供さんのひどい湿疹が治ってしまうなど、キリスト並みの癒しですね。〔笑〕)

法の実践をされる人が少ない中、特に布施の実践など誰もしていない中(このブログを読んでいる人たちはです)月に一度必ず布施をされる、そのような(多くの徳を得る)実践をされているウナッシーさんの祈りを神がきいてくれないはずがありません。

キリスト並みの祈りの奇跡も起きるでしょう。

この辺りの人たちも少しは見習えばいいのに(皆、私のブログを見ているのですから。〔苦笑〕)そういうところは頑として見習おうとはしません。(というか、逆らいまくりです)

それではモーゼ並みの災い(過越の祭り)が起されるのもまた仕方がないことでしょう。それほどの悪いことをこの辺りの人たちはし続けているからです。

さて、それはそれとしてです。

昨日北朝鮮のことを少し書きましたが、その北朝鮮が今度は潜水艦のミサイルの発射準備まで進めているとか何とか、また昨日ニュースでいっていました。(もう連日〔盆だというのに〕北朝鮮のニュースばかりです)

なんでも力ずくで解決しようという哀れな行いを、この国はし続けているようですが、そんな哀れな北朝鮮のような国にどう対処したらいいのか、ちょっと書いておきましょう。(政府が用意しているPAC3でも潜水艦からぶっ放されたらどうしようもありませんよね。どこから撃つか分からないんですから)

園頭先生が書かれていた正法誌の1979年(昭和五十四年)の九月号に次のようなことが書かれてあります。

<昭和四十九年十月であった。私は「なぜお釈迦様が二千五百年して日本に生まれることを予言されたか」ということについて、高橋信次先生にきいたことがあった。

その時に「如来は、未来のこともすべて見通す力を持つのである。日本に生まれることを予言したのは、二千五百年たった時に日本が世界に大きな影響力を持ち、正法(法)を説くにふさわしい国になることが、分かっていたからである。日本という国があって、正法が全世界にひろがっていくのであり、日本という国がだめになれば正法が説けないことになるから、日本という国は、どんなことがあっても守られるということになるのである。たとえばソ連が、日本を侵略しようと意図すれば、必ずソ連には食料飢饉が起こり、ソ連の国内に問題が起こって、日本に手を出すことが出来なくなってくるのである」といわれた。

ソ連は昨年も小麦が不作であった。今年もすでに大不作である。先般、ソ連が、アメリカの小麦を大量に買付けたことが新聞に載っていた。

ソ連がどんなに軍隊を持っていても食料がなければ軍隊を動かすことは出来ないだろうし「いよいよという時には、ソ連には国内に暴動が起こるのである。日本は米がたくさん取れることになっているのである」といわれた。

日本という国は、全世界に正法をひろめる基礎となる国なのであるから、日本という国は愛していかなければならないのである>

実際に釈尊の予言の通り、現在の日本は世界に大きな影響力を持つ国になっていますが、しかし、釈尊の教えは説かれてはいません。

この正法誌に書かれた部分の「ソ連」(現在はロシア)のところを北朝鮮に置き換えて考えてもらえれば(あるいは中国にでもいいんですが)分かると思います。

この法さえ日本に拡がるなら、このようなことが(食料飢饉や暴動が)その国の国内に起きてきて、日本にかまっていられなくなるのです。(もっというなら、米が毎年豊作なのは、日本に法を説く使命があるからです。その使命がなければ、日本人の主食である米が毎年食べきれないほど取れるということもないのです。ひどく不作の年があってもおかしくはないのです。そういうところでも日本の人々はこの法に感謝しないといけないのです)

しかし、日本にどれだけちょっかいをかけても、このような国々(北朝鮮や中国)にそのようなことは起きてきません。(実際は起きているのですが〔食料飢饉や暴動などはです〕日本にかまっていられなくなるほどのことは起きていません)

それは日本が真の使命を果たしていないからです。(釈尊が〔高橋先生が〕説かれた法を世界に拡めていないからです)

二千五百年前からすでに決められている大きな使命を(正法神理を世界に伝える)日本の多くの人々が反故(ほご)にしようとしているのです。これでは日本にいいことが起きてくるわけがありません。

だから悪いことばかりが起きているのです。(数々の天変地変や多くの災い)

そのことを分かっている人がたくさんいるにもかかわらず、それでも無視している。

本当に哀れな国とは、神から与えられた大きな使命が分かっているのに、それを無視し次々に災いを受けている、この日本であるのです。

追伸…最近、奇跡ばかりが起きている(別に災いばかりが起きている人たちへの皮肉ではありませんが。〔苦笑〕)ウナッシーさんにちょっとおききします。

去年はウナッシーさんは私に布施をされませんでした。そうして今年は毎月のように布施してくれています。

その去年と今年で(つまり私に布施をしている時としていない時で)起きてくることに何か違いはありますか?

もし、あるようならその違いを教えてください。(なければ別にいいです)

2コメント

2 コメント to “哀れな国”

  1. ウナっしー2017/08/14 at 1:54 PM

    違いですか。まず、今振り返えれば私の心が違いますかね。昨年より今年の方がかなり楽になっていまして、毎日の生活は当然色々有りますが何かに添っているような安心感がどこかにあるのです。ですから一日の始まりそして一日の終わりに神と向かい合うことに幸せ感を感じるのです。他に感じるのは気付きの大きさや周りへの波及なのかもしれません。大きいといっても比較が昨年なのでおそれ多いですが、昨年が自分へのメッセージとすれば今年はプラスαで周りにも良い影響があることになろうかと思います。気付きがある度に私の心の愛の想いや愛の実践が正しき方向に向いて行くならば、行く先の世界を救う事のできる心の構築に必ず天も協力して頂ける、そんな風に広がりをイメージできるのも今年の特徴となりましょう。

  2. gtskokor2017/08/14 at 7:56 PM

    そうですか。
    私の感じとしましては、そのような心の部分だけではなく、今年のウナッシーさんは今回の癒しの件だけではなく、仕事のスピードがずいぶんはやくなったり、気難しい上司の方ともうまくいったり、何か奇跡的なことが多く起こっているなという印象が強いのです。
    去年のウナッシーさんは、逆にあまり奇跡的なことが起きていないなという印象が強いのです。
    そういう感じがしましたので、今日のブログにあのような質問をしたのです。
    急な質問、失礼しました。(笑)

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