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8月 23 2017

愛と良心

10:58 AM ブログ

また昨日は凄いタイミングでした。

昨日夕方、帰ってきた時のことです。家に着く少し前くらいから空が真っ暗になり向こうの空では稲光がしています。

「これは一雨きそうだな」と思いながら帰ってきたのですが、何とか家に着くまでは雨が降ってきませんでした。

そうして家について私が家の中に入りドアを閉めようとしたその時でした。急に空がまた一段と暗くなって強い風が吹き始めたのです。

まるで私が家に入るのを待っていたかのように、強風が吹き始め、しばらくして雨が降り出したのです。

あまりにタイミングがよかったものですから、近所の人たちにわざわざ声をかけたくらいでした。(「凄いタイミング」とか何とかです。〔笑〕)

私はこういうことが何度もあるんですが、先週の土曜日でしたかね。あの東京の世田谷で凄まじいゲリラ雷雨が起きた時は、夕方の四~六時までの二時間で千発もの落雷があったそうですね。

千発って、どれだけ凄まじい現象を現されるのかという感じですが、完全に天を怒らせています。

そんなにカミナリが落ちてよく数人のけが人だけですみましたね。

本当に恐ろしいのですが、東京も昨日は雨が降らず長雨の記録も二十一日で止まったようですが、それにしても天が味方についていないということがよく分かる出来事です。(そのような長雨にせよ、カミナリにせよです)

天が味方についているか、いないかでずいぶん起きることが違うようです。

しかし、それはこちらも同じで、その昨日の雷雨で七千発もの落雷が愛知県で起きたそうです。(東京の七倍ですか。そのせいで何件も火事が出たそうですが、本当にこちらはこちらで終わっています)

しかし、昨日のウナッシーさんのコメントにも書きましたが、何で少しくらいの愛が出せないのでしょう。

心を救われているにもかかわらず、少しの愛も出そうとしない。

このブログを読んでいる人が少しの愛でも出してくれるのなら(ずいぶんいますからね。こちらだけでもこのブログを見ている人はです)そういう人が多ければその愛は大きなものとなり(少しの布施でも多くの人がしてもらえるのならよい金額になりますから)それだけでもこんなひどい天気にはならず、天も味方になってくれるのに、多くの人が、その愛を少しも出そうとしないばかりに、これだけの災いが現されているのです。

それだけ法を伝えてもらっている人に、報恩の行為をしないということは悪いことであるからです。

こちらの人たちなど、自分たちが悪いことを全部、法を伝えてもらっている人のせいにしているというのですから目も当てられません。

昨日など「何で人のブログを読んで心が救われているくせに嫌がらせなどしたのか」と歩いてくる人にきいていたのですが(もう、その歩いてくる人のほぼ全員が私のブログを読んでいるようでした)私からそう声をかけられると、ほとんどの人がいやらしそうな顔をして下を向いて足早に歩いていくだけです。(大人から子供までです)

何でそんなバカなことを皆が皆したのでしょう。

心を救ってくれた者に嫌がらせなどしていれば(そんな恩を仇で返すような行いをしていれば)悪いことが起きてくるのが当たり前なのです。

そんなことを多くの人がしたばかりに、凄まじい現象が現されているのです。(数々のサイレンなど)

それをずっと私のせいにし続けていれば、そういう人たちにいいことが起きるわけがありません。

最近、この辺りに怒っている人が(引いている人が)多いというのも分かります。そんなデタラメな(無反省な)態度を続けていれば、もっと凄まじい現象が現れるのは道理であるからです。

どこかの会社もひどいものです。

どうも、どこかの会社の連中に起きていることが、こちらが想像していた以上に凄まじいようです。

昨日でもよく電話がかかってきて、それで怒っている連中までいるので、昨日はこちらからいろいろ声をかけていたのです。(何が起きているのか探っていました)

「それだけ電話がかかってくるんだ。起きているのはお前らだけじゃないよな」とか「家族まで広がっているんだろう」とか「親戚までいってるんじゃないのか」とかです。

すると、どうも自分たちの家族だけではなく、親戚くらいまで起きている現象が広がっているようなのです。(「親戚まで広がっているのか」ときくとシーンとしていましたから)

親戚までって、ほんとムチャクチャですね。

この連中が、法の流布のじゃまをし続けているばかりに(家族だけではなく)親戚にまで血尿が出るような人たちが出ているというのです。(それでよく電話がかかってくるようなのです。「今度はあの人が病気なった」とかいう電話なのではないでしょうか)

なんてことをしているんでしょう。この連中が、天に逆らい続けているばかりに恐ろしい現象がドンドン広がっているのです。

自分の縁ある人たちにです。

つまり、この連中が法の流布のじゃまをすればするだけ、起きる恐ろしい現象は(自分だけではなく)自分に縁ある人々にまで広がっていくということです。

なぜ、こんなことが起きるのか?

それは、どれだけ法の流布のじゃまをしてもです。我の強い人にはなかなか現象が(天罰が)現れないからです。(その我の強さが自分を守るのです)

しかし、そうなると、その者が反省することはまずありません。そういう我の強い者は自分に何か現象が現れない限り、反省することはないからです。

すると、法の流布のじゃまなどを我の強い者が反省せぬまま続けていれば、どれだけその者は大きな罪をつくるか分からないのです。(この世で一番の大罪ですからね。法の流布のじゃまはです)

だから、その者にそれ以上罪を犯させないため、その者を反省させるため、天は恐ろしい現象を家族の誰かに現すのです。(あまり我の強くない人にです。例えば子供とかにです)しかし、それでも本人が分からない場合(反省しない場合)今度は親戚の誰かに現すのです。

そのような縁のある人々に段々恐ろしい現象が広がれば、その法の流布のじゃまをしている者は、嫌でもしていることの悪の大きさを知り反省せざるを得ないからです。

そのような方法しか、もうその我の強い者に、自分のしていることがどれだけ悪いことなのかを知らせる方法はないからです。

だから、そのような順序がつくのですが(だから、その者が法の流布のじゃまをすればするだけ縁ある者に恐ろしい現象が現れ、その者が、それをやめない限り、縁ある人々に現れる恐ろしい現象は止まらないということです)それでもこの連中は、それほどの悪を(法の流布のじゃまを)やめようとはしないのです。

これもまた恐ろしいことです。起きている現象の意味をまったく理解しようとしないからです。

しかし、我の強い者が大きな罪をつくっているばかりに、その罪が、その者の縁ある者たちに次々に現われてくる。

そういうものなのです。そういう(我の強い)者と縁があるということは、その縁が深ければ深いほど、それなりの責任がその縁ある人たちには出てくるからです。(例えば、その人が親であれば子供に対する教育の責任、子であっても親に対する何らかの責任はあり、それは親戚であっても同じなのです)

だから愛がないといけないのです。

愛があるなら、そういう縁ある人たちを不幸にしたのは自分の責任と、自分の態度を改めるからです。

しかし、愛がないと、どこかの会社のように縁ある人々の誰に何が起きても、自分の責任とは考えず(認めず)そんな病気になる方が悪いと電話がかかってくると怒っているような者まで出てくるのです。(あまりの冷たさに呆れます)

すべて自分たちの責任であるのに、自分たちが大罪を犯し続けているばかりに、縁ある人々が次々に病気になっているにもかかわらず、それでも反省しようとしない、本当に愚かで薄情な者たちです。

自分たちはその縁ある人たちにお世話になったことはないのでしょうか?

自分のおじやおばなら、小さい時にお年玉でももらった記憶はあるでしょう。またどこかに遊びにつれて行ってもらった記憶があるかもしれない。

家に呼ばれて食事をご馳走されたことがあるかもしれない、そんなことは誰だってあるはずです。

甥や姪なら、それこそ小さい時に遊んでやった記憶があるかも知れない、お年玉でもやった記憶があるかもしれない、服なども買ってやった記憶があるかもしれない、自分の家族でなくても親戚は、やはり小さな時から世話になったり遊んだりして楽しかった記憶があるはずです。

そういうおじやおば、甥や姪まで、自分たちの愚かな行為が元で苦しんで死ななければいけなくなるかもしれないのです。

どこかの会社の人たちは、そのような縁ある人々を苦しめているのが分かっているのに、それでも自分たちの態度を改めようとはしないのです。

私にはともかくです。少しくらいの愛をそのような身内にはかけてあげてはどうでしょう。自分たちが苦しんで死ぬのは仕方ないにせよです。(それだけ法の流布をじゃましているんですから、自分たちが苦しんで死ぬのは仕方ありません)

今のままの行いを続けるのなら、身内にまで迷惑がかかるのです。では、せめて身内に迷惑をかけるのだけはやめようと、その態度を改めてはどうでしょう。

いま態度を改めるなら、少なくとも親戚にまで広がっている災いは止まると思うからです。

せめて、そのくらいの愛は持つべきでしょう。

それさえもなくしてしまっては、何のためにこの世に生まれてきたのか、この世に生まれてきた意味がないからです。(この世に出てきた意味は愛を実践するためです)

あまりに愛がない人が多いため、このような災いは起されています。

このブログを見ている人たちは、愛だけではなく良心までなくしてしまっているのですか?

少しでもよいので、自分の良心にいま自分がしている行いをきいてみてください。

そうすればその分、気づくことも増えてくるからです。

愛の実践を行わなければよいことは起きてきません。良心に恥じないような行いをされてはどうでしょう。

それが人として神の子の人間として当たり前の行為であるからです。

(そういう当たり前の行為さえしていない人が多いと思うんですが…〔だからこんなに災いが起きているんでしょう〕そのような態度は恥ずかしくありませんか?もう少し人として、神の子の人間として恥ずかしくない態度を取られてはどうでしょうか)

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