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9月 07 2017

布施の大事さ

10:37 AM ブログ

朝から凄まじい怒りようです。(少年、少女合唱団です)

今日も朝一で電話がかかってきたようですが、それから次から次に電話がかかってきています。もしかして凄まじい現象が現れ始めたのかもしれません。(今日中に滅ぼされませんように)

悪いことをすべてこちらのせいにして怒りまくっています。本当に子供のようですね。(だから最近は少年、少女合唱団と、どこかの会社のことを書いているのです)

そうして、そのような行いをすることでこちらがどれだけ困ろうが、それはまったく関係ないのです。(私だけでなく周りじゅう迷惑でしょうが)

マァ、はっきりいうならこの連中は子供以下といっても間違いではないでしょう。相手のことなど(周りのことなど)まるで考えていないからです。

今日は日本海側など、激しい雷雨となるところがあるそうですが(すでに九州〔福岡、大分〕など激しい雨が降っているようですが)このようなことが次々に起きているのも、なぜだかこのブログを読んでいる人たちならお分かりでしょう。

それだけ天が怒っているということです。

ウナッシーさん、このブログを見ている人たちはどうあっても(自分たちに何が起ころうが、日本に何が起ころうが)神に協力する気はないようです。

参りましたね。これだけ法に協力する気がない人たちばかりがこのブログを読んでいてはです。(もう天を怒らせるばかりです)

癌がどれだけ現れても、天変地変がどれだけ現れても、そうしてミサイルまで飛ばされても、それでも頑として神を思わないというのですから、これではどうにもなりません。

天もお手上げでしょうね。

これではもうやりようがないからです。死んでも(癌になっても)布施など出来るかという人たちから布施をもらうことなど出来ないからです。

しかし、凄まじいまでの自分本位さです。これでは天も頭が痛いでしょう。

こういう人たちも含めてです。いま現在日本に出てきている人たちは、皆この法を世界に拡めてきますといさんで出てきた人たちばかりであるからです。(そうでなければ日本に生まれて、このブログを読む縁などもてないのです。この世で法に巡り合うだけでも、これまでの〔過去世からの〕法との深い縁があるからです)

それがこの世に出てきてしまうと、死んでも法の流布などに協力できるかです。

本当に笑うしかありません。(苦笑)

これだからこの世の修行は難しいのですが、そういう泣き言をいっていても仕方ありません。

無駄とは思いつつも布施の大事さを書くだけ書きましょう。そのうちに心を入れかえる(自分の本当の使命に気づく)人も出てくると思うからです。

本当に布施が出来ないのであれば(それほど生活が苦しいのであれば)それはしなくていいです。やはり自分の生活が第一であるからです。(この世の生活が出来なくなってしまっては、法の流布も何もありませんから)

しかし、例えば毎月布施してくださるウナッシーさんでも、決して楽な生活をしていられるとは思えないのです。

ご自身で、ご家族も養わなければいけないでしょうし(子供さんとご両親もご健在のようですし)自分でやりたいこともあるでしょう。

しかし、ウナッシーさんは、その自分のしたいことを少しずつ我慢され、そうして、その我慢されたお金を、毎月、毎月、私に布施されているのです。

我慢するというより自分がしたいことに金を使うより、私に布施した方がよいと(法の流布に協力した方がよいと)そういう思いからそのお金を布施されているのです。

そのような心を当然天は知っています。だからウナッシーさんには次々に奇跡が起きているのです。

そのような心と行いが何より尊いからです。そのようなよい行いは当然自分自身に返ってくるからです。

布施とはそういう尊い行いなのであり、だからやった方がいいですよと、また、やらなければいけませんよと、私は(くどいくらい)いっているのです。

別に布施はやった方がいいから、やらなければいけないと私はいっているわけではありません。

なぜ布施をしなければいけないのか、これもまたちゃんとした理由があるからです。

例えば、良い話をきかせてもらっている人などに何のお返しもしないということは、それを別の例に例えるなら、おいしいものを自分が食べるだけ食べて、一切、大小便を出さないということと同じなのです。

どれだけおいしくて体にいいものでも、それを食べるだけ食べて、一切出さなかったらどうなるでしょう。

食べている最初のうちはいいのですが、そのうちに腹が満杯になり、苦しくなって体を壊してしまいます。

よい話をきくだけきき、一切、布施しようとしない人はこれと同じことをしているのです。

だから私は「布施をしないといけない」といっているのです。そのままではそのような人たちは、最後には体を壊してしまうからです。(最後には罰が当たるということです)

当然しなければいけない順序を(よいことをしてもらったことに対する報恩の行為)そのような人たちはしていないからです。(だから私は何度もいっているのです。このブログをただで見ている人たちは最後には不幸になりますよとです。すでにそういう不幸は起きているでしょう。天気などが悪くなってです)

布施は自分が出来る範囲でやってもらえればいいのです。

法を伝えてもらい、その伝えてもらった人たちが、法を伝えてくれた人に布施する行為は当たり前のことなのです。(それはもう数百年も数千年も、もっと前の人たちからしている当たり前の行為です。釈尊やキリストから名もない坊さんにいたるまで、よい話をきかせてもらった人たちには、その当時の人たちは必ず布施していたからです。それを考えるなら、このブログを見ている人たちの態度は前代未聞の異常な態度なのです)

しかし、それを頑なに拒むのであれば、そのような人たちは最後には不幸になるのです。

もう何年も前からこのブログを読んでいる人たちは布施してください。

それは私のためではなく、自分自身のためであるからです。

(実際にそれを頑なに拒否し、逆の行い〔法の流布のじゃま〕ばかりしている人たちがこの辺りにはたくさんいます。その人たちの悲惨さは本当に目も当てられません。〔今日の少年、少女合唱団など朝から凄まじい電話の数です。これは本当にレベルが違ってきましたね〕このようになってはいけないと、天はこのような人たちを通して多くの人たちに教えているのです。そのようなことも理解しないといけないのです)

2コメント

2 コメント to “布施の大事さ”

  1. ウナっしー2017/09/07 at 12:49 PM

    現在の日本の生活環境は心の自由度がかなり高いと思います。昨日も書きましたが元禄の時代に幕政の迷走により日常生活に自ずと不満が溜まっていくものであったり、明治維新などに置いては時代環境が突然変わり、といっても時代が変われどそれまでの想いを馳せてきた現実との葛藤にどれ程の心痛であったか。そして時代は戦争に突入しやがて終戦を迎える事になった時は国民は皆が心の拠り所に困ったものか。そいった時代に比べれば心は自由度は高いと思う。今生きているのはそいった時代に心を痛めてきた先人の苦労があってのことと言い換えることも出来ましょう。是非その方々への感謝も込めて皆さんと共に生かされた心の生活を送って行きたいと思います。

  2. gtskokor2017/09/07 at 1:35 PM

    そうですね。生活環境が自由すぎて、みな自分のことしか考えなくなってしまったのかもしれませんね。(最近の政治家や芸能人の不倫などもそうです。もうルールなどあってないようなものです。周りのことなど考えもせず自分のやりたいようにやっています)
    多くの人の心の頽廃はひどいものです。だから、天がこれほど怒っているのでしょう。
    そのことを一つ一つ知らせていく以外ありませんね。

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