9月 21 2017
現実を見ない不幸
本当にあちこちでお怒りのようですが、知りませんよ、無理してやせ我慢していてもです。(癌になる人が増えるだけなんじゃないですか。罰当たりな人が多いですから)
どこかの会社など凄いですね。(何か次々に出ていそうですが)昨日も夕方帰って来ると、どえらい怒りようでしたが、どれだけ怒っても災いが止まらないのはもう分かりきったことです。
私のいうことをきいてはどうでしょう。それ以外で救われる道はないからです。
この辺りの人たちはずいぶんやせ我慢しているんでしょう。正味な話です。
だって、この辺りで何が起きているのかは、この辺りの人たちが一番よく知っています。(私などよりです)では(実際のところは)怖くて仕方がないんじゃないですか。
これだけ怒っている人が多いということは、それだけ恐ろしいことが起きているという何よりの証拠であるからです。
では、それをよく知っているこの辺りの人たちは(表面上はともかく)心の中では、もういつ自分にもそのような恐ろしい現象が起きるのかと、恐ろしくて仕方がないはずです。
そのビビっているのを周りの人たちに見せないでいるだけなのです。
自分たちは神など信じない、この科学の世に、神とか、霊とかに怖がるなど、バカげたこと以外の何ものでもないという、わけの分からない(単に神のことを知らないだけの)プライドがあるからです。
要は格好をつけているだけなのです。
神や霊を怖がるなど、無神論のこの日本でこれ以上の格好悪い話はないからです。
だから私の顔を見ると怒るのです。怖がるわけにはいかないからです。
私の顔を見て怖がるなど、自分のプライドが許さないからです。
しかし、まぁくだらない話です。
起きている現象を無視して、格好をつけているなどこれ以上の愚かな態度もないからです。(現実無視です)
もう少し素直になってはどうでしょう。そうすれば正しいことに気がつくからです。
もっと現実を見てください。
実際に神の業が目の前に現われているのです。(それも次から次にです)
そうしてその神の業にしてもです。自分の心のあり方一つでよい方にも悪い方にもいくらでも変わるのです。(ほんとよく見てください。皆さんの目は節穴〔ふしあな〕ですか?)
実際そうではないでしょうか。私やウナッシーさんのような心の人には、その神の業の奇跡が次々に現れているのです。
そうして、その私たちと反対の心の人たちには災いが次々に現れているのです。(この辺りの人たち)
それが現実なのです。なぜそのような事実をしっかり見ようとしないのですか?
その事実さえ自分がしっかり理解するならいくらでも幸せになれるのにです。
私に感謝して布施しているウナッシーさんには次々に奇跡が起きているのです。それに対し、この辺りで私に嫌がらせをしている人たちには次々に災いが起きているのです。
では、何をすれば幸せになれるのかは(奇跡が起きるのかは)すぐに分かるはずです。
その幸せになれることを、この辺りの人たちはいつまでもしようとしないから不幸になるのです。
この辺りで、私に感謝して布施してくれた人が一人でもいるのでしょうか?
一人もいません。嫌がらせした人はたくさんいてもです。
その結果どうなっているのか?
そういうこと(嫌がらせ)をしている人たちには、次々に災いが起きているのです。(大人、子供に関係なくです)
実際にそういうことが目の前で起きているではないですか。何でそういう事実を無視しているのですか?
このブログを読み(心が救われたと)私に感謝して布施している人には、次から次に奇跡が起き、その反対にこのブログを読んでいるにもかかわらず(私に心を救われているにもかかわらず)感謝するどころか、ねたみやひがみなどの心から怒りや憎しみしか持たず、嫌がらせをしている人たちには、次から次に災いが起きているのです。
こういう結果がもう何度も何度も現われているのです。一度や二度こういう結果が現われた、ということではないのです。
私によいことをすれば奇跡が、悪いことをすれば災いが、必ず現われるのです。(必ずです)
では、これだけ分かりやすい話もないのではないでしょうか。同じ結果が繰り返し現われているということは、これだけ正し結果はないということであるからです。(ということは、私に布施するなら幸せになれるということになります。本当に分かりやすいです)
心と行いの違いで(それだけのことで)これだけはっきり幸、不幸が分かれているのです。
なぜ、こういう現実を知ろうとしないのですか?(いつまでもです)
そうして悪いことを私のせいにしているのでしょう。
それは違うということを、このような事実が物語っているのです。
人が人を不幸するのではなく、すべて自分の幸、不幸は自分自身がつくっているということをです。
そうではないでしょうか。今このような状況を見ればそれは分かるはずです。自分はいくらでも幸福にでも不幸にでもなれるということがです。
この法に従っている人は(私やウナッシーさん)次々に奇跡が起きているのです。そうして、この法に逆らっている人たち(この辺りの人たち)には次々に不幸が起きているのです。
これだけ分かりやすく起きてくる現象が違うのですから、では、人など何の関係もないのではないでしょうか。
自分がこの法に従うなら幸せになれるし、逆らえば不幸になると、はっきり結果に出ているからです。(では、人は関係ありません。自分がこの法を行えば幸せになるのです)
そういう事実が何度も何度も目の前に現われているにもかかわらず、それを一切無視して、自分たちの行いを少しも変えようとせず、悪いことはお前のせいだの何だの、何をわけのわからないことをほざいているのでしょう。(そういう言い方もしたくなります。本当は小学生までこのブログを見ているのでそういう言い方はまずいんですが、あまりにバカなことを繰り返している人たちにはきつい言い方も時には必要なのです)
少し自分の(心と)行いを変えればすむだけの話ではないですか。
なんでそれをいつまでもしようとしないのですか?
同じ間違いをいつまでも繰り返しているのでしょう。
いい加減理解してください。救われる道は目の前にあるということをです。それを私たちは何度も示しているのです。(このブログに書いたり、コメントに書いたり、あるいは動画で見せたりしてです)
本当の神の教えを説いている者のいうことをきかずにいて、一体誰のいうことをきくというのでしょう。
それ以外の人のいうことをいくらきいたところで、そこに救われる道があるわけがないではないですか。
本当の神の教えを知らない人に本当の救いの道が分かるはずがないからです。
だから、みな救われないのです。
私のいうことを誰も真剣に(心から)きこうとしないからです。
同じ間違いをいつまで繰り返すのですか?
その間違いを繰り返している間は決して幸せにはなれないのです。
追伸…早く気づいてください。
手っ取り早くいうなら、この辺りの人たちは、私に布施すれば幸せになるということです。そうして嫌がらせなどしていれば不幸になるということです。
ブログ内にも書きましたが、必ずそのような結果が現われるのです。(そうではないですか?それはこの辺りの人たちが一番知っているはずです)
実際、私に嫌がらせをして病気になった人がたくさんこの辺りにはいるはずです。しかし、その人は、私が祈って病気になったわけではなく、自分が私に嫌がらせなどしたから病気に(不幸に)なったのです。
この辺りで私に感謝して布施した人は一人もいないのです。
しかし、この辺りの多くの人は私のブログを読み心が救われているのです。
心を救われている人に何の感謝もせず、嫌がらせなどしているようではいいことが起きるわけがありません。
自分たちが不幸になったすべての原因は、自分たちの行いにあったのです。
それに気づいて、その行いの間違いを直すのならすぐにでも自分たちは幸せになることが出来るのです。
すぐに行ってください。そうすれば不幸は起きなくなり奇跡が起きてくるからです。
(必ずそうなります。そういう〔正しい〕結果が何度も出ているからです)



人目の訪問者です。

もしかしたら私も慣れた生活にルーティーン化を拠り所に日々の生活を送っていたような気がします。会社では第一線を次世代に委ね、指示のもと決められたノルマを消化させ何事もない事が有難いとしていたような気がします。されど一旦心に眼を向けると人としてそんな生活に反省の念が湧いて来るのでした。毎日がマンネリ化したものであった錯覚に気付くのです。思考停止状態で大事な日々を送ってしまったことに反省するほかないとです。そんな日々を過ごしていた時であっても神は常に背中を押してくださっていた事を思うと心から感謝するしかないのです。大いなる変わらない愛と慈悲で辛抱強くいつまでも守ってくだすっていることにです。今の自分にそんな大きな愛があるだろうか、他人を許し愛を与えられる自信があるのだろうか。そんな事を考えながら神の偉大さを感じながら今日も一日を過ごしています。
日々勉強ですね。