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9月 22 2017

宗教というよりもはや科学

10:27 AM ブログ

勝手なものです。

自分たちが散々嫌がらせをしているくせに、何か起きると私のせいにして怒りまくっています。

昨日の夜のどこかの会社がそうでした。(夜に怒りまくっていました。昼間、好きなだけ嫌がらせをしているくせにです…その怒りが朝まで続いています。あまりに起き過ぎているのでしょうか。今はずいぶん引いていますが。〔それでもちょこちょこやっています〕)

では、嫌がらせなどやめておけばいいのです。昨日散々そのことを書いたのにです。(私に嫌がらせをすれば必ず災いが起きると)

そのブログを一切無視して、嫌がらせをやりたくっておいて悪いことが起きたら私のせいです。

こんなことをしていて災いが止まるわけがありません。

本当に哀れなものです。嫌がらせをすれば悪いことが起きると分かりきっていても、嫌がらせをやめることが出来ない。いま嫌がらせをやめたら、自分が悪いのを認めたことになるので、今さらやめられないのでしょう。

ここで自分が悪いと認めたら、これまで癌になった人たちはみな自分たちのせいでそうなったということになってしまうからです。(実際そうなんですけどね)

だから、この連中、どれだけ癌になる人が出ても嫌がらせをやめるにやめられないのでしょう。

自分たちのせいで癌が出ているなど、死んでも認めたくないからです。(というか、それを認めてしまうと自分の立場がなくなるからです)

しかし、そんな自分の都合だけで嫌がらせをし続けるのなら、これからもこの連中に癌が出続けるということになります。

この先、自分も周りの人たちもどうなってもいいとこの連中は思っているのでしょうか?

だとしたら、本当に愛のない、無慈悲の塊(かたまり)のような人たちです。

そういう心ではよい事が起きるわけがないのです。(その無慈悲な心が自分たちに返ってくるからです)

しかし、この無慈悲の塊のような人たちはこの連中だけではなさそうです。この辺りの人たちもさしてかわりがない人が多いようだからです。

これまでの自分たちの行いは無視して(心を救われているのに一切感謝しない)今さら自分が悪いなど認められない、そのような無慈悲な人は、どれだけ自分が悪いと分かっても私に対して嫌がらせをやめることが出来ないのです。

しかし、それでは災いは、そういう無慈悲な人たちが一人もいなくなるまで止まらないということになります。(その起きている災いは、そういう人たちの無慈悲な心を気づかせるための気づきの現象であるからです)

どこかで、誰かが、自分たちがしていた悪を反省し、勇気を持って私に詫びを入れに来るしかないのです。そういう人が出てこない限り、起きている災いは止まらないからです。

どうですか。歩いている人たちはずいぶん態度が変わった人が多いように感じます。(私に頭を下げる人も出てきたようですし…まだ全然少ないんですけどね。そういう人もです)

このブログをよく読んでいる人は(そういう人はずいぶん私に救われているんですから)私と道で会ったのなら、頭を下げて少々の布施くらいされたらどうでしょう。

そのようなよい行いをするのなら、その人に悪いことが起きることはないでしょうし、そういう人が増えてくれば、この辺りに今度は奇跡が起きだすからです。(それは別に特別な行為ではありません。〔坊さんに対してでもそういう行為はするでしょう〕法を説いている人に対して感謝の布施をするなど昔は普通にしていたのです)

昨日も書きましたが、何度やっても同じ結果が出る。

このような再現性のあるものは宗教とはいわないのです。科学というのです。

だからこの教えはもはや科学といってもさしつかえないと思いますから(だから、そこらの教祖が説いているわけの分からない宗教とは一線を画さないといけません)この教えを実践するのになんのためらいがありましょう。(科学を行うのですから、何も問題ないと思います)

その最新の科学をぜひ実践してみてください。(最新の科学でしょう。その通りにやれば奇跡が、それに逆らえば災いが必ず起きるのです。そうして祈れば次々に現象が現われる。これまでの科学にはなかったことです。しかし、必ずそうなるのですから、最新の科学とはこういうものといっても間違いではありません。この世の考えや力だけではなく、この世とあの世との考えと力の融合なのです。なんでもそうですが、こうでなくてはいけないのです)

そうすれば、そのよさが(有難さが)自分自身にもよく分かるからです。(高橋先生は科学と宗教は一致するといわれていましたが〔また、そのような宗教こそ本物といわれていましたが〕まさにその通りです)

もう結果は分かりきっているのです。この教えに逆らい続けている人たちは次々に不幸になっています。

しかし、この教えに従っている人には次々に奇跡が起きているのです。

数ではなく、その起きていることが大事なのです。

一人一人が、この教えの偉大さを理解して、実践するのならその人には必ず奇跡が起こります。

逆にそれは、逆らっている人たちにこれだけの災いが起きていることで証明できるのです。

これだけの現象が現われる。それは奇跡も災いも同じなのです。

実践すれば必ず奇跡が現れます。それなのになぜいつまでもやろうとしないのですか?

これだけもったいない話もないのです。

(特に年寄りはもったいないですよ。〔時間が限られていますし〕そのままこのブログを読むだけ読んで死んでいくのと、実践して死んでいくのとでは、あの世に帰ってから雲泥の差になるからです。行即光〔ぎょうそくひかり〕です。実践すればそれが即、光に変わるのです。その光がなければ天上界には行けません。実践されてはどうでしょう。それが唯一の本当の救われる道であるからです)

追伸…中日ドラゴンズの森野選手が引退するとのことですね。

もう少し神を信じて法を実践されるなら、もっと出来たはずですが(奇跡が起きてです)そこは本当に残念です。

しかし、まだ人生が終わったわけではありません。(そんな歳ではありませんね。〔苦笑〕)

少しでもこの法に興味を持ってもらえることを願ってやみません。

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