8月 13 2011
肉体と意識
人には肉体と意識があります。これは誰もが認めるところでありますが、では、肉体と意識とはどのような関係なのでしょう?意識とはどこから来ているものなのでしょうか?現在の医学がいう人の意識とはすべて脳からきているものなのでしょうか?その点を法の見地から書いてみましょう。
現在の肉体だけを見ている医学では、意識は脳がつくりだしているものであり、その脳細胞が考え覚えるのであると説明されています。だから、その脳が壊れてしまうと意識もなくなってしまうと説明されますが、高橋先生は肉体と意識のことを、肉体とは車であって、意識とはそれを運転している人間を言うのである、と言われていました。
つまり脳とは、たとえて言えば車のハンドルのようなもので、ハンドル(脳)が壊れれば確かにその車は制御不能になるが、運転している中の人までおかしくなった訳ではない、肉体的に見て意識がなくなったように見えても、実際は意識はあるのである、と言われていたのです。(つまり、例えば事故などで頭などを大怪我をして、意識をなくしているような人が、肉体的には物を認識したり、考えたりまったくできなくなっているように見えるが、実際はできているのである、と高橋先生は言われているのです)
現実に、それを裏付けるような話が臨死体験の本などにはたくさん出てきます。
病院で入院していた患者の意識がなくなり、それを周りが大騒ぎして手当てしているところを(医者がその患者の蘇生を行っていたり、看護師が注射を打ったりしているところなどを)その患者が上から見ていて、医者や看護師の話していることや考えていることまで全部分かった、と言う話はよく聞くところでありますが(このような話はいくらでもありますので、臨死体験者の本を読んでご確認ください)やはり私も、肉体の脳がものを考えたり覚えたりするということは、どう考えてもおかしい、ということを再確認するような出来事がつい先日ありました。
その出来事とは、やはりスズメの話なのですが、私は白鳥公園に行くと、よくスズメが集まってくるようになってから、スズメに声をかけるのがクセになってしまいました。(笑)声をかけると喜ぶスズメが多いからです。
それは白鳥公園だけでなく、他の場所にいても近くにすずめが寄ってくると、ついつい声をかけてしまいます。(ちょっと危ない人のようですが…笑)しかし、やはり、他の場所にいるスズメでも声をかけると、驚いたような顔でこちらを見ているスズメもあり(無視するスズメもいますが、大半のスズメは何か興味を示してくれます)中には嬉しそうに寄ってくるスズメもあって、スズメの反応が面白いので人がいなければ(さすがに周りに人がいる時はそんなことしませんが)「オイ、オイ」とか「元気か」とか言って声をかけます。
先日金山駅の北側出口にあるアスナル金山(飲む所や服やら靴やらケーキやらの店もたくさんあり、ステージもあって、芸能人やら来てショーをやってる時もあります。日に数百人位の人は出入りしているのではないでしょうか)に行って、座っていたときのことです。一羽のスズメが私の近くに下りてきて、下に落ちている誰かがこぼしたお菓子のカスのようなものをついばんでいました。
周りに誰もいなかったので、私はそのスズメに声をかけました。「オイ、元気か」と、するとそのスズメは驚いたようにこちらを見ていました。こりゃ反応ありそうだなと思った私は「オイ、オイ」とそのスズメに声をかけていると、チョンチョン飛び跳ねながらこちらにスズメが寄ってきました。しかし、私から一メートルくらいのところまで来ると、サッと飛び上がりどこかに飛んでいってしまいました。
「なんだ」と思ってしばらくその場で座っていると、そのスズメがまた戻ってきて私の近くに下りました。少し私の顔を見ていたスズメは、またチョンチョン飛び跳ねながら、こちらに寄ってきます。しかし、一メートルくらいのところまで近づくとまたサッとどこかに飛んでいってしまいました。そのようなことがもう一度あり、その後私は帰ったのですが、それから十日位したときのことです。
その日また私はアスナル金山にいました。(そのスズメがいたのは三階で座っていたときのことで、その日は二階に座っていたのですが)すると一羽のスズメが私の近くに下りてきて、やはり下に落ちている食べカスか何かをついばんでいます。
そのスズメが餌をついばみながら私の方に寄ってきました。なんとなく、こちらを意識しているようですが、といって私の方を露骨に見る風でもありません。下に落ちている餌を私のすぐ近くまで来てついばんでいます。最初私はさほどそのスズメを意識していなかったのですが(その時は周りに人もたくさんいたので、あまりスズメに興味を示すと危ない人ではないかと思われてもいけませんので〔笑〕)私の近くに来ても全然逃げません。
少しするとどこかに飛んでいってしまいましたが、しばらくするとまた戻ってきて私の近くに来て餌をついばんでいます。何かこのスズメ、私を意識しているようなのですが、私は何でこのスズメが、私の近くに来て餌をついばんでいるのかよく分かりません。するとまた、どこかにスズメは飛んでいったのですが、今度はすぐ戻ってきて近くの手すりにとまり、私の方を覗き込むように見ています。
「何だこのスズメ、周りに一杯人がいるのに何でこっちばっか見てんだろ?」
私はそのスズメを見て不思議に思いましたが、フッと十日前のことを思い出しました。
「アッ、あの時のスズメか」
私はすっかり十日前の出来事など忘れていましたが、そのスズメは覚えていたのです。「お前あの時のスズメか…」私がフッとそのような顔をしてそのスズメを見ると、そのスズメは、やっと分かったかという顔はしませんでしたが(笑)何か気づいたような風でまたこちらに寄ってきました。その時、私ははっきり分かりました、あの十日前のスズメなのだなということが。
しかし、このアスナル金山は日に何百人という人が出入りしているのです。それなのに十日前の出来事をスズメが覚えているのでしょうか?しかも私の顔まで…?スズメの脳みそなど微々たるものです。脳が覚えるということであれば、そんなスズメのような小さな脳みそで、十日も前の出来事を覚えているということは、不可能なのではないかと私には思えるのですが、それだけではありません。このスズメは日に何百という人が出入りしている、このアスナル金山で私の顔まで覚えていたのです。とても、そんな小さな脳では覚えられないと思うのですが…。(私はスズメなどよりはるかに大きな脳を持っているというのに、そのことをすっかり忘れていました。ということは私はスズメよりバカだということになります〔笑〕)
私は、そのスズメの脳が覚えていたというより、やはりそのスズメの意識が覚えていたのであり、意識が何かを考え意識が覚えていると言う方が私には正しく思えました。私の意識もスズメの意識も、神の超巨大な意識からつくられたものであり、意識の最深部の心の一番深いところは皆神と繋がっているのであり、その神に繋がっている意識がものを考え覚え、その意識をすべてのものが持っているから、すべてのものは尊いのであって、その尊さを私たちは皆知っているのです。
だから人や、他の生き物にに対する哀れみや慈悲の心が私たちには出てくるのであり(同じ神の意識であるということを心の奥では認識しているからです)その意識の深さ、心の不思議さを私たちは知らなくてはならないのです。
その神に繋がる意識と言うものがどれほど偉大なものであるのか、それを私たちはこれから知ることになるのです。
(ここんところやたら暑いのですが…〔おまけに福島は震度五の地震が起きるし…私が祈って大雨と地震が起きたことを思い出します、あの時も震度五の地震が起きました…マァ今回は違うのでしょうが…〕京都も陸前高田市の薪の問題で不評を買っているようですが、いろいろ悪いことも起きていますのでお気をつけください。祈っても暑いだけでなかなか現象らしい現象が出ません。賛助会員もやっと二人くらいの人がなってくれただけで、これでは賛助会員のページも作れません。最低十人くらいは賛助会員になっていただけますよう、もっと死ぬ気で祈ります)



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