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11月 27 2017

本当の正しさの基準

11:02 AM ブログ

今日も朝からお怒りのようです。(どこかの会社だけではなくあちこちでです)

しかし、毎日怒っている人はともかく、そうでない人たちはもう自分たちの小さな常識など捨てませんか。

唯物論であった人たちなど、どれだけ小さな常識しか持っていなかったかしれないからです。(だって、物質界以外の世界〔意識界〕の方がはるかに広いのですから)

この世の常識だけで生活しているから、多くの人が間違った判断ばかりして、これだけ多くの不幸が起きているのです。

誰も意識界の正しさの基準を知らないからです。

しかし、意識界の正しさの基準を知らないと(それが神の心ですから)悪いことばかりが起されます。(その基準に合わないと気づきの現象が現れますから)だからこそ本当の正しい基準をしっかり知っておかないといけないのです。

もう、そういう時代になっているからです。(正しいことを知らないと次々に悪いことが起きる)

意識界の正しさの基準はこの世にある法律ではないのです。意識界の正しさの基準とは良心なのです。

それをよく知っておかないといけないのです。その良心が基準ということを誰も知らないから、これだけ悪いことが起きているからです。

よく考えてみてください。良心が基準なら人の悪口はいけないし、嘘をつくこともいけない、いじめや嫌がらせなどもちろんいけないし、だますこともいけない、その他、法律には触れなくても、良心に照らしてみればいけないことはたくさんあるはずです。(だから最近はやり〔?〕の不倫などもそうですが。〔苦笑〕)

そのようないけないことを、多くの人がたくさんしているからこれだけの災いが起きているのです。

正法の世となり、その反動が(気づきの現象が)より早く現れるようになったからです。

だから、最近になり(特に2000年以降は)これだけ多くの災いが現れるようになったのです。

そのような(良心に照らしてみれば)悪いことをしている人が多いからです。

そのことに気づかせるために、天上界は次々に不思議な現象を現します。その解説を私がしているだけなのです。

だから、このブログに書いたことが比較的よく起きるのです。このブログは神の心の解説ブログであるからです。

それをこの辺りの人たちは、ここに書いていることがよく起きるものですから、それはお前がやっていると、よく神の心を理解もせず私に嫌がらせなどして来るから、即、災いが現れているのであって、一歩下がって冷静に考えるのなら、私が悪いことをしているのではなく、自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きていると分かるはずなのです。

それをいつまでも認めようとせず、災いを私のせいにし続けているから、その災いが止まらないのです。

しかし、そういう正しい基準を知って、では、良心に照らし合わせて考えてみて、自分たちは本当によいことをしているのでしょうか?

普段の行いからしてです。

自分は悪いことをしていないというのであれば、普段から人の悪口もいわないし、嘘をついたこともない、もちろんいじめや嫌がらせなどしたことはないし、困った人がいれば手助けする、とにかく自分はよいことはしても悪いことなどするどころか、考えたこともない、そういう人であるなら、たしかにその人はいい人でしょう。

そういう人に私が祈って何か起きたというのであれば、それは私のせいになるのでしょうが(だいたいそういう人を私は祈ったりしませんから。何で私に何もしない人を私がわざわざ祈らないといけないのでしょう)しかし、私のせいで何か起きたという人たちは、それほどの善人ではないのではないですか?

何がしかの悪いことをしている人たちばかりなのではないでしょうか。

良心に照らしてみればです。(だいたい、そこまでのいい人たちばかりであるなら、私がどんなに祈っても悪いことなど起きませんから。その人たちは神に守られてです)

だから悪いことが起きているのです。自分たちが悪いことをしているからです。

自分たちは悪いことをしてない、ではなく単に悪いことの基準が違っているだけなのです。本当の正しさの基準を自分たちが知らないだけなのです。

だから自分たちに悪いことが起きているのです。自分たちは悪いことをしていないと勝手に思っているだけで、実は多くの悪いことをすでにしているからです。

だから私には悪いことが起きずに奇跡が起きているのです。そのような本当の正しさの基準を知っていて、それを守っているからです。

何でもそうですが、どのようなことでも自分が知っていると思っているだけで、実はそれが間違っていたということはよくある話です。

正しさも同じです。これは別に悪いことではないと自分がいくら思っていても、そうではなくそれは悪いことである、ということはいくらでもあります。

そういう(自分たちが悪いと思っていないだけで本当は)悪いことを自分たちはしているのです。だから、自分たちに悪いことが起きているのです。

いい加減くどいんで、これくらいで同じことを書くのをやめますが、これくらい書いてもまだこの辺りの人たちは自分たちが悪いと自覚する人は少ないでしょう。

それだけ我の強い人が多いからです。(大人から子供までです。〔苦笑〕)

このように考えてみればです。

こういう神や心の部分の大事なことをです。何度も(くどいくらいです…というか、私が書いているものはくどいといわれたことがよくありますが。〔苦笑〕)教え続けている私に少しも感謝しないということはよいことなのですか?

良心に照らして考えてみてです。

ここに書いたことを実践して奇跡が起きた人もいるでしょう。心が救われた人もいるはずです。知らないことを知ったという人もいるでしょう。

それに対し、少しも感謝せず嫌がらせなどしていることがよいことなのですか?

自分たちの良心に照らしてみれば、自分たちがしていることが本当に正しいことなのかどうなのかは、人に頼らずとも自分で判断できるはずです。

本当の正しさの基準は良心なのです。

その基準に沿って自分が正しい生活をしていくのなら不幸が起きることはありません。しかし、それに反しているなら当たり前のように悪いことは起きるのです。(善因善果、悪因悪果)

本当の正しさの基準をよく知ってください。

(どこかの会社がアホみたいに怒っています。〔物を投げたくってです〕いつまで責任転嫁しているのでしょう。自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。そのままでは滅ぼされます。早くそのことに気づいてほしいものです。もうあまり時間もなさそうだからです)

追伸…ブログ内にも少し書きましたが、この正しさの基準(良心)はこの世だけの基準ではありません。

あの世の基準でもあるのです。

高橋先生がいわれるには、自分たちが死んだ時、みな三途の川を渡って(本当に三途の川ってあるそうです)あの世に行くのですが、その前に、あの世の収容所のようなところで自分の生前の行いを反省させられるそうです。

その時に自分の前に菩薩が一人現れ、その菩薩にいろいろ質問され(例えば「あなたは生前、何をしてきましたか?」とかです…これで仕事や遊びばかりと答えているようでは失格です。菩薩はどれだけ愛を与えてきたかをきいているからです)反省していくのですが、この世で悪いことばかりしてきた人は、その菩薩の顔が鬼のようにも閻魔大王のようにも見えて怖くて仕方がないそうです。(こういうところから、閻魔大王の話は出てきたようです)

しかし、生前によいことを(人に愛を施すようなです)たくさんしてきた人は、その菩薩の顔が、ニコニコ笑っている神か光の天使のように見えて嬉しくて仕方がないそうです。

だからといって、その菩薩がその人を裁くのではなく、その菩薩はあくまで立会人なだけなのです。

その菩薩の前で自分が生前の行いを反省し、自分で天上界に行くのか、それとも地獄界に行くのかを自分で決めるそうです。(もちろんずるは許されません。そのために立会人である菩薩がいるのです)

その反省する時の基準が良心だそうです。自分の良心に従って自分の生前の行いを自分で反省し、そうして自分で天上界に行くのか、地獄界に堕ちて行くのかを決めるのです。

人が裁くのではなく、自分で自分を裁くのです。

そのようにすべて、自分で決めるのですが(だから自力だといっているのです。どれだけ責任転嫁したところで、最後は全部自分の責任になるからです。その時にあいつのせいでこうなった、などといっている人は、即、地獄行きなのです)その基準は良心なのです。

だから、良心で判断するということは大事なことなのです。この世だけではなく、あの世まで通用する基準であるからです。

なぜ、こんなことを追伸に書いたかといえばです。もうあの世に行く人がこれからは増えるのではないかと思ってです。(もうどこかの会社を筆頭にテンパっているところが多いからです)

その時に迷わないように高橋先生から教えてもらったことを書いておきました。

正しい判断をしてもらえることを願っています。

2コメント

2 コメント to “本当の正しさの基準”

  1. ウナっしー2017/11/28 at 8:01 PM

    上の人に逆らっているのだろうか?今年は主に職場で上司と共に歩んできた一年だったような気がします。そしてその上司を通して色々と教えて頂いたのも事実であり、神のへのお想い強くなって来たような気がします。そう思っていたのですが、以前痛めた腰がまた不調になって来ました。春先に同じことがあり、先生から上の人に逆らうとそうなると教えられ反省をしました。現在は職場の上司とも上手にやっていると思たのですが、これって私のひとりよがりだったということでしょうか。それとも、いよいよあの世の(上の人)からの導きなのでしょうか。等とやはり今回は問うべき事ではなく自身で神との対話の機会であると思うところがあるので、きっちりと反省をして進むべき道を見極めたいと思います。

  2. gtskokor2017/11/29 at 1:24 PM

    その通りですね。頑張ってください。

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