12月 27 2017
正しい人の道
例の爆弾低気圧の影響で北海道がえらいことになっているようですね。
凄い暴風雪で、家のトタン屋根が飛んでしまったり、ホワイトアウト状態となって車の事故が続出したり、極めつけは留萌市の海にあった灯台がへし折れてしまったらしいではないですか。(高波で)
地元の人が、いまだかって(高波で)灯台が折れたところなどないのではないかといっていましたから、これまで起きたことがないような大荒れの天気になっているようです。(ほんとデタラメな天気です)
今日も一日、北日本や北陸などこんな暴風雪が続くようですが(名古屋も朝から雪がチラついています)今年最後にまた大変な天気を現されました。
今年を象徴しているかのような天気ではありますね。今年もまた多くの人が神を怒らせたからです。
もちろんその多くの人たちとは、このブログを見ている人たちが大勢を占めているんですが(本当に皆さん、今年もまたずいぶん神の怒りを買いました。知りませんよ、来年どうなってもです)このブログを見ている人たちが、いつまでたっても正しい信仰をしようとしないからこういう現象が起きるのです。
それだけ天が怒っているということです。(それともまだ温暖化の影響で…とかいってごまかしますか)
どうですか、今年も最後ということで少々の布施などされたら。今年もこのブログでずいぶん心が救われた人も多いと思うからです。
それに対し、少しばかりのお返しをするのは当然の人の道であるからです。
年明けでもかまいませんよ。初詣のかわりにです。
初詣に行っても、特別いいことも起きないんでしょうが(それを期待して行ってるんでしょう。今年はいい年になりますようにとです。しかし別に初詣に行ったからといって特別よいことが起きたということもないはずです。起きるわけがありません。初詣など正しい信仰でも何でもないからです)私に布施するなら、その年は本当にいいことが起こります。
それもまた正しい信仰の一環であるからです。(それはそうです。正しい法を説いている人に布施するのですから、それは法を説いている人に対する愛の実践になるのですから、正しい信仰の一つです)
そういう実践を行うなら何か運のよいことは起きてきます。そのように私のいうことをきいて運のいいことが起きた人などいくらでもいるからです。
ただそういう人たちの中には、都合のいいことだけきいて後は知らん顔をしている人もいますので、その後、悪いことが起きた人もいますが、私のいうことをきき続けている人など(ウナッシーさんなど)次々に奇跡が起きています。
要は、私のいうことをきいてこの教えを実践すればいいのです。そうすればいいことばかりが起きてくるからです。
この教えこそ正しい教えであるからです。(だから、その正しい教えを実践することこそ正しい信仰なのです)
昨日もウナッシーさんから寄付をいただきましたが(毎月、毎月ありがとうございます。ずいぶん違いますね。他の人たちとはです。〔苦笑〕)先ほども書きましたが、少しでもお世話になったのなら(そういう気持ちが全然ないのなら仕方ありませんが)そのお返しをするのは人として当たり前の礼儀なのです。
それをしないから悪いことが起きるのであり(それは正しいことではありませんから)それを多くの人がしないから、これだけ凄まじい現象まで現われているのです。
特にこの辺りの人たちなど法を伝えられているにもかかわらず、それを嫌がらせで返しているのです。それでは恐ろしい現象が現れるのも道理でしょう。
あまりにやっていることが、人の道から外れているからです。(恩を仇で返しているようではいいことが起きるわけがありません)
だから特別、正しい信仰をするだのしないだのというほどの話ではなく、人の道から外れた行為はやめてはどうですか?といっているだけなのです。
あまりに多くの人が道を外れた行為をしてしまうと、こういう大きな災いも起きてくるからです。
どちらにしても、今のままではドンドン悪いことが起きてきます。多くの人が人の道から外れたままであるからです。
今年最後に(または来年の初めに)それを正しませんか。
正真正銘の愛の行為を実践されたらどうでしょう。(これまでありがとうございますという、ただそれだけの心での布施の実践です。そういう行為が尊いのです。何も求めてはいないからです)
そうすれば来年は本当によい年になるからです。(人の道が正されてです。そのような尊い行いが元となってです)
正しい人の道を進まれる人が増えれば、このような凄まじい現象も減ってきます。本当に来年こそはいい年としたいものです。
(それには皆さん方の行いが大きくかかわってくるということです)
追伸…だからどちらにしても初詣など行ったところでよいことは起きないのです。
なぜなら、初詣でどういう寺など行ったところで、やることは変わりないからです。賽銭を投げてこちらの望みをいうだけだからです。(今年はよい年になりますようにとか、家族が安全に暮らせますようにとか、交通安全とかです)
賽銭を投げてこちらの望みをいうのであれば、それはお金を出して何か神に頼みごとをしているだけなのですから、取引にすぎません。
信仰でも何でもないのです。
本当に神を思うのであれば、賽銭を投げて、ただ神を祝福するのが本当に神を思う信仰であるからです。
しかし、初詣に行って、そういう殊勲な祈りをしている人など一人もいないのです。欲望丸出しで祈っている人ばかりなのです。(心を観るとです。表面的には殊勲には見えますが。〔苦笑〕)
では、初詣に行っている人は誰もまともな信仰などしていなくて、神と取引に行っているだけということになります。
それではいいことが起きるわけがないのです。
だから、感謝だけの心で布施されたらどうですか?と書いたのです。そういう損得抜きの心で、そのような愛の実践を行うことこそ本当の信仰であり、自分の徳となるからです。
これからは徳がない人は危なくて仕方ないのです。(そういう時代になりましたから)もう少し徳を得る努力をされてはどうですか?
それが一番自分のためになるからです。



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