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12月 31 2017

今年の漢字

10:37 AM ブログ

今年も今日で終わりですね。

本当に時がすぎるのは早いですね。(本当に毎年早くなります)今年、私は何をしたのかよく分からないうちに終わってしまう感じがしますが、もし今年もこのブログを読み心が救われた人が一人でもいるのなら、それだけで私は幸いです。

たとえ一人でも救われた人がいるのなら、それだけで高橋先生、園頭先生が説かれた教えを正しく伝えていると実感できるからです。

それを知るなら、それで十分なんですが、そういえば今年の漢字は「北」でしたね。(北って今一ピンと来ませんが…何か北朝鮮だけみたいな感じでです)

私はもちろん別の字なんですが、もう私的には今年はこれしかないですね。

今年はこれしかないでしょう。それは「怒」です。(ほんとこれしかありません。〔苦笑〕)

神の怒りはもちろんなんですが、もう周りの人が怒っていること、怒っていること、昨日も凄い怒り方をしている人が何人かいました。(一昨日もいましたね。そういう人がです。そういう連中はたちが悪いのです。なんだかんだといちゃもんをつけてくるからです…ただ、そういうことをした人たちの後が心配です。〔汗〕)

そんな感じで今年は本当に怒っている人が多かったからです。(それはこのブログにもよく書いていましたが)それで今年の漢字は「怒」しかないと思うのですが、しかし、怒りたいのはこっちの方なんですけどね。

こちらは勝手に逆恨みされ、一方的に嫌がらせを受けているからです。

しかし、このような怒っている人たちがどれだけ怒っても、今この辺りで起きていることはどうにかなる話ではありません。

その怒っていることをなくしたいのであれば、自分の怒りより先に、まずは神の怒りを解くことです。(怒っている人たちが神を怒らせて、そのようなことが起きているからです)それには神の心を知り、それに従うしかありません。

神の心に従うなら、次々に奇跡が起きてきます。(本当にそれをどれだけ見せても、怒りに燃えている人たちには全然見えないようです)

神の心に従ってはどうでしょう。そうすれば災いは止まるからです。

そのような人ばかりでなく、今年は最後まで神の怒りが爆発した年でした。(何せ最後は灯台までへし折られましたから)

来年こそは(怒りではなく)笑顔あふれる年としたいものです。しかし、そのようなことはすぐに出来るのです。

多くの人がこの教えに従うならです。(そうなるなら次々に奇跡が現れて来ますから)

すでに動物たちはこの教えに従っています。(だから、私が近くに行くとみな大喜びして寄ってくるのです)私たち人間も、世界中の人々がこの教えに従い大調和が出来るのなら、凄い奇跡が世界中に現れるのです。(それは高橋先生がいわれていました。人間たちが大調和できるのなら同じように動物たちも大調和し、まったく争わなくなって不思議な奇跡が次々に現れて来るそうです)

いきなり、そのような世界をつくるのは無理でしょうが、来年はその足がかりを築く年とぜひしたいものです。

そうすれば、いま起きているような激しい天変地変も異常現象も段々収まって、この辺りの人たちの怒りも収まって行くと思うからです。

それには、一にも二にも、この教えの実践なのです。それしかないのです。この教え以外でこのような世の中を救える教えはないからです。

しかし、逆にいうなら、この教えを実践しさえすれば、救われて行くということが分かっているのですから(それはもう多くの人が分かっていると思います。私たちが次々に奇跡を現しているからです)そういう道が分かっているのなら、あとはもう、それが出来るか、出来ないか、問題はその一点だけであるということになります。

それがなかなか出来ない人が多いからこうなっているのですが、しかし(いつまでもそのような進歩のないことをしているのではなく)来年こそは、その殻を破る人がたくさん出てきて、この教えを実践する人が増えてくれることを望むばかりです。

それをしない限り、いま現在日本に次々に起きている異常現象を抑える手立てはないからです。

やるかやらないかではなく、もうやるしかないのです。やらない限り、不幸になる人が増える一方であるからです。(本当に今年も不幸になる人がたくさん出ました)

この教えを実践する人が増えてくるなら、来年の漢字は「笑」とか「幸」あるいは「福」などというよい方の漢字が選ばれることになります。

一変によい年に出来る、それほどの力が、この正法神理にはあるからです。

来年がよい年になるのか、それとも今年以上の災いが起きる年になるのかは、このブログを見ている人たちのやる気次第であるということです。(来年の良し悪しは、このブログを見ている人たち次第というのですから怖いです。しかし、事実です)

来年こそはよい年としたいものです。

今年はお世話になりました。(また今年もたくさんの嫌がらせなど受けてです。布施はほとんどいただけませんでしたが。〔苦笑〕)

来年もまたよろしくお願いいたします。(本当に来年こそよろしくお願いいたします。〔苦笑〕)

追伸…昨日、白鳥公園の中にある池(太夫〔たゆう〕堀)で小学生がおぼれて亡くなったそうですね。

いつも私が行っているところなので驚いたんですが、私は、昨日はそっち方面(白鳥公園、堀川)には行かなかったんですが(行かなくてよかったです。行っていたらそれも私のせいにされていたかもしれませんから)あの公園に来る小学生はよく私に嫌がらせをしていました。

その亡くなった小学生が私に嫌がらせをしたかどうかは知りませんが(してたら怖いですね)あそこに来る人たちは、私(法を説いている者)に嫌がらせばかりしてきます。

そういうところでは、そのような悪い巡り合わせがつくのです。

法を説いている者に嫌がらせをしている人たちばかりがきている場所など、よいことが起きるわけがないからです。

来年はあそこに散歩などに来る人たちは、ぜひ私によいことをしてほしいものです。

そうすれば、そんな悪い巡り合わせがつくこともないからです。

(実は昨日私は堀川に行こうと思っていたのです。いつも土曜日は、そちらに〔堀川や白鳥公園に〕行っているからです。しかし、不思議なことに昨日は急に行きたくなくなったのです。それで別のところに行ったのですが、こういうことが起きると分かっていたから、天がそちらに私を行かせなかったのでしょう。私が行ってまたあらぬ疑いをかけられてもいけないからです。〔お前が祈ったからこうなったとか何とか思われてです。また私がちょうどその辺りに行っている時間帯におぼれているのです。[三時半頃]それもまた奇妙な巡り合わせです〕これもまた天の導きですね)

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