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9月 30 2018

病気の時の心のあり方

10:43 AM ブログ

台風二十四号はどうも日本縦断コースを通りそうですね。(ほんと最悪です)

凄い暴風になるとのことですが家がぼろいので心配です。

続いて二十五号も発生したようで、それも日本に来るかもしれないとのことですが、いい加減にしてほしいものです。(ほんと皆さん、いい加減にしてください)

日本はこれでもかというくらい災いが起き、この辺りも凄そうです。(特別警報が出ています。癌のです)

それでも誰も神の教えに見向きもしません。これではよいことが起きるわけがないのです。

この辺りの人たちなど、ずいぶん癌が出ている人が多そうですが、ということは、その癌で入院(または通院)している人も多いということになりますが、そういう人たちは、私のせいで癌になったと恨みながら入院しているのでしょうか?

きっと、そういう人が多いんでしょう。(本当に凄まじい逆恨みです)

そうであるなら、そのような人たちはまず癌で死ぬことになります。

そこは私が保証します。

別に傷口に塩をぬっているわけではありません。そういう心では、どちらにしてもよい結果は現れて来ないといっているだけなのです。

怒りや恨み、悲しみなどの心で入院していたところでよい導きはえられないからです。そういう心は悪でしかないからです。

悪の心を持ち続けながら、入院していては、仮に一時、癌が治ったとしても、後で必ずその癌は再発します。

そのような心がまた癌を呼ぶことになるからです。(悪の心でいては悪い結果しか現れてこないということです)

病気には(特別癌だけではありませんが)心のあり方が、ずいぶん影響を与えるのです。(何度も書いていますが、病気は気の病と書きますから)

心が病気に影響を与えるのなら、よい方に(全快する方に)与える方がよほどよいということになります。

だから病気をした時などは心のあり方が非常に大事なのです。

そのような病気になったのなら特にです。もう死ぬかもしれないのですから、自分が悪かったところを全部反省して、死ぬ前に自分の心をきれいにしてから死んでいこうと開き直って、出来るだけ悪の心を持たないようにして善の心を持ち続け、そうして、全快を(すでに病気が治っている、健康な姿を)心にアリアリと描いていると、その病気は早く治るのです。

そういう(正しい)心が強ければ強いだけ奇跡的な治癒力が現れてきて、病気はよくなっていくからです。

もし、その病気を早く治したいのなら、そのような病気の時の正しい心のあり方は知っておいた方がいいでしょう。

その方がよほどよい結果が現れてくるからです。

一番いけないのが、先ほども書きましたが、グチャグチャ責任転嫁して怒ったり恨んだりしている心や(そんなもの自分が悪かったからそうなったに決まっているのですから)治らなかったらどうしようとか、何で自分だけこんな病気に、などの悲しみの心であり、そのような心は病気に対しマイナスにしかならないのです。

病気を治したいのであれば、先ほど書いた明るく前向きな心になることです。そうすればその病気の治癒力も段違いに違ってくるからです。

そればかりでなく、そのような時に、この教えを実践しているのであれば、ウナッシーさんのコメントにもありましたが、よいアドバイスをくれる人が周りに現れてきて病気の不安も減っていったり、自分にとって一番よい先生(または病院)に巡り合ったり、自分に一番あう薬が出てきたり、そういう様々な幸運(よい導き)があり、そうして法を知っている人に祈られれば、それプラス全快に向かって神の大きな力も加わります。

そうなると、もうどんな病気でも治るということになります。

実際は、その祈りを受ける側の心もありますので(そうして肉体的な部分もです。もう手遅れの人は治りません)百パーセント全快するかどうかは分かりませんが、法を勉強している人であれば、まず悪い結果は出てこないということです。(そういう人は確実に神が力を貸してくださるからです)

だから、例えば癌になったとしても、この教えを実践しているのであれば、悲観することなく、この時とばかりに自分の悪かったところを徹底的に反省し、また、神の力が証明できると希望さえ湧いてくるのであり、そこが、この教えを実践している人としていない人との差なのです。

ずいぶん違うのではないですか。この教えを知っている人と(実践している人と)知らない人とではです。

知らない人など癌になったら、お先真っ暗で、死ぬこと以外考えられないのではないでしょうか。表面上はともかくです。

癌になどなれば、表面上は明るく気丈にふるまってはいても(もちろん回りの人たちに心配をかけたくないという思いで、そのような態度を取るのは、たとえカラ元気であれ大事なことなんですが…)心の中は不安で一杯のはずです。

常に死の恐怖がまとわりついて離れることはないと思うからです。

法を知らない人たちなどです。

そういう心では癌は治りません。(治っていてもまた再発します)癌など思わず、常に明るく前向きな心でいないといけないのです。

死の恐怖など持ってはいけないのです。本来、死は怖いことではないからです。この肉体の世界からのただの卒業でしかないからです。(だから、死ぬことは、また新しい世界に行って勉強できるという喜びが湧いてくるくらいじゃないといけないのです)

しかし、法を知らない人たちは、そのような心になる人は少ないでしょう。癌になどなれば、不安な人たちの方が断然多いはずです。

では、そういう不安で不幸な人たちがこの辺りにはたくさんいるということになります。そのような癌になっている人がこの辺りは(特に)多いはずであるからです。

それは哀れなことです。そういう不安な心でいてはまずその不安な心の通りになるからです。

何度も書きますが、別に傷口に塩をぬりこんでいるわけではありません。

「だから、正しい神の教えは必要なんですよ」ということを強調したいだけです。

どういう時でもです。

自分が病気になった時だけとか、今回みたいに強い台風が近づいて来ている時だけとかに祈っても、その祈りがきかれるわけがないのであって(都合のいい時だけ祈っても、その祈りを神はきいてはくれませんから)だから、普段から神を思わないといけないと、この教えを実践していないといけないと、私はいっているのです。

正しい教えを普段から実践しているのであれば、このような困った時はもちろんですが、何もない普通の時からでも正しい導きを天が与えてくださるからです。

そうであるなら、おかしな道に進むこともないですし、おかしな病気になることもないからです。

不治の病が治ることよりも、そのような病気をしないのが一番ですし、大きな事故をして、命が助かることよりも、そのような事故を起さないことの方がよいのです。

つまり、そのようなおかしなことが、起きないことが一番の奇跡であるということをよく知らないといけないのです。(最近皆さんがよくいわれる「当たり前が一番ありがたい」ということです。これだけ異常なことが起きてこないとそれが分からない。本当に情けないです)

そうであるなら、普段からしていないといけないでしょう。正しい教えの実践はです。そうすれば悪いことなど起きてこないし、仮に起きても、奇跡が起きてすぐに正常に戻るからです。

今これだけの不幸が日本に起きているのは、日本の人々が正しい教えを実践しようとしないからです。(その正しい教えが日本にあると分かっていながらです)

異常なことばかりが起きていたら(現在の日本がまさにそうですが)まともな生活など出来ないのです。(だから、異常なことが起きた方がいいなどと思っている人もいるようですが、そのような考えがいかに間違っているのか、今の日本に住んでいればよく分かるのです)

もう罰当りな態度は改め、正しい教えを少しずつでも実践していきませんか?

そういう(正しい行いをする)人が増えてこない限り、日本に起きている多くの災いは止まらないのです。

(正しい教えを実践するならば不幸な人も(例えば癌になどなってです)幸福になります。〔様々な奇跡が起きてきてです〕今からでも遅くはないのです。今のうちに〔この世にいるうちに〕されてはどうでしょう。正しい教えの実践をです。さすがにあの世に帰ってからでは遅いからです。〔この世で法を無視した人はあの世で法に巡り合うのは大変難しいからです。とりあえず、地獄に堕ちないといけないからです〕)

追伸…なんで北海道は火力だの、水力だの、本州からの電力の融通を増やすだのいっているだけで、誰も原発のげの字もいわないのでしょう。

そのままでは本当に危ないのにです。(北海道の冬のブラックアウト、考えただけでゾッとしますが)

今年は暖冬傾向であるといわれていますが、これでは北海道はどうなるか分かりませんね。

それどころか、多分このままだと北海道は例年より寒くなります。

早く原発を再稼動させた方がいいでしょう。

そうしないと北海道は(本当に)危険であるからです。

2コメント

2 コメント to “病気の時の心のあり方”

  1. うなっシー2018/10/01 at 2:11 PM

    病院での療養にお世話になるのは看護師さんと理学療法師さんです。どちらも自立までの間は面倒を見てくださいます。その二人がどちらも「患者さんの鏡ですね」というのです。さて何を見て言うのだろうと考えるとフッと思うことがありました。ある日、面会ルームで反省している時に、これからどう過ごそうか、看護師さんも理学療法師さんも自立のための支援をしてくれる。それは仕事のだから。でも私が出来ることはなんだろう。それは喜んでもらうことではないか、自立に向けて頑張る事ではないかとの思いにそれを決めたのです。その翌日から、リハビリでは理学療法師さんに事細かに聞きては質問し実践しては確認したり、看護師さんにはこちらから積極的にアピールして訓練の介添えを頼んだりしました。それは自立のためだと言って頼んだのでした。もちろん一人でも出来ることはベッド周りで訓練もしたのでした。多分そんな気持ちと実際にやっていたことが実はしっかりとお二人には分かっていたのかも知れません。リハビリなどは理学療法師が体を触れば分かることだし、言葉でいくら自立と言ってもやらなければ体は動くものではないし、看護師に訓練したいと言ったところで待っていては来てくれない。そう思えばやはり、言うこととやることが一致したことの証であるし、心に描いた自立の思いがお二人の仕事を通して喜んでもらえた願いが届いたのだと思うのは自然なことだと思います。過ごした日々と振り返る反省は大事なものでありこれからもこの体験を礎に進んで参ろうと思います。

  2. gtskokor2018/10/01 at 8:12 PM

    ウナッシーさんのまじめさが分かりますね。その調子で頑張ってください。

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