10月 30 2018
よくならない理由
こちらはよい天気が続いているのですが(北海道や東北の天気が悪いのは原発を動かせば止まりますよ。やってみたらどうですか?)本当にあれだけ頻繁に起きていた天変地変が、ここ一ヶ月ほどは起きなくなりました。
ちょっと信じられませんね。(だって、あれだけ次から次に起きていたのですから)
しかし、その反面、こちらは怒っている人が相変わらず多いし、トラックなどドンドン減っているし(それに気づいている人がどれだけいるのか知りませんが…特に運転手連中は分かっているのでしょうか?この恐ろしい事実がです)どこかの会社など、夕方、帰って来ると毎回、烈火のごとく怒っています。
そういうところが、この辺りは多いんですが、こういうのを見るとです。
個々に起きている現象は減るどころか増えているようで(何かそれを私のせいにして怒っている人も多いんですが、そうなったのは私のせいではなく、怒っているあなたたち自身のせいなのです。いい加減、それを自覚しないと不幸にしかなりませんよ)ここに書いた通りのことが起きていると思うんですが、それでも私のいうことに従おうとはしないのでしょうか?
このブログを見ている人たちはです。
しかし、私のいうことをきいているウナッシーさんなど、次々に奇跡が起きています。従った方がいいと思うんですけどね。従っていない人たちに奇跡が起きているなどきいたことがないからです。
しかし、災いがたくさん起きているのは知っているからです。
では、従うべきところは従ってはどうでしょう。(すべて従えとはいいませんので)そうしないと(自分たちの考えだけでは)不幸ばかり起きている人がたくさんいるからです。(それはもちろん全国的にです)
これだけ起きている天変地変を見ればそれは誰でも分かるのですが、その天変地変でもです。
私がここに書いたことを実践するなら起きなくなるのです。現にここに書いたことをして、それが起きなくなったところもあるからです。(例えば鹿児島の原発など)
しかし、ここに書いたことに従っていないところは相変わらず天変地変は起きているからです。(例えば茨城など。風力発電をそのままにしているので茨城の地震は続いています)
この教えを知っているのなら、正しいことが分かるのです。だから、この教えに従ってはどうですか、といっているのです。
そうすれば不幸は起きなくなるからです。
残念ではありますが、皆さん方のような(法を知らない)考え方ではもう通用しないのです。
これまでのような上辺だけよければそれでいいと、心はどうでも(真っ黒でも)表面上だけ周りにあわせておけば、それでやっていけるような時代ではもうないからです。
そうやって上辺だけよくしていても、心からいい人間にならなければどこかで不幸が起きてくる、もうそのような時代になっているのです。
だから、これだけ悪いことが全国的に起きているのです。上辺だけ善人の人が多いからです。(心は真っ黒のです)
それをいつまでも理解せず、表面上善人のふりをして責任転嫁ばかりしている人が多くては不幸にしかなりません。
私のいうことをきいたらどうでしょう。私のいうことをきく(法に従う)ならです。必ずよい方に(幸せになれる方に)いくからです。
それはウナッシーさんのコメントなど見ても分かるはずです。
ウナッシーさんのコメントにもありますように、この教えを実践するなら知らず知らずのうちによい導きがあったり、祈れば何か現象が現れてきます。
例えば、その祈りだけとってもそうでしょう。
私たち以外で、普段からそういうことが起きる人がいますか?
お寺や神社で祈っている人はたくさんいますが、そういう(祈りがきかれたと)分かるような現象が現れた人など果たしてどれくらいいるのでしょう。
ほとんどいないのではないでしょうか。
いたとしても、一度や二度、それらしいことが起きたといった程度でしょう。
しかし私たちは、わざわざお寺や神社など行かなくとも、その場で祈ればすぐにその祈りはきかれるのです。
しかも何度でもです。
この教えを実践し、心から自分が(よい人間に)変わるのであれば、こういうことが次々に起きてくるのです。
災いばかりが次々に起きてくる人たちと、奇跡ばかりが次々に起きてくる人たちでは、雲泥の差があります。
だから私は、この教えを知って幸せな生活をされてはどうでしょうといっているのです。
災いばかりが起きてくる生活など、とても幸せな生活とはいえないからです。しかし、次々に奇跡が現れるなら、それを幸せな生活といっても何ら問題ないと思うからです。
正しい教えを知って、正しい信仰を行うなら、幸せな生活が出来るのです。(ということは、これまでの信仰は間違いであったということです。だから、祈りもきかれず、幸せな生活も出来ないのです)
正しい信仰を知らないと幸せな生活が出来ない、もうそういう時代になったのです。
私は正しい教えを知って、正しい信仰が出来ているから奇跡が起きているのであり、その正しい信仰を知るならです。
例えば、これから起きてくることも予想がつくということです。だから、私のいっていることはよく当たるのです。
この世には法則があり、その法則通りにしか、この世の物事は起きてこないからです。
この世は法則通りのことが起きているのであり、その法則に沿って正しく生活するなら、その人はちゃんと幸せになれるのです。
ところが、今の人たちは法則もくそもありません。なんでも偶然が重なってそうなっていると思い、悪いことが起きても運が悪いですましています。
そうして自分たちの都合が悪くなって、にっちもさっちもいかなくなると、そういう時だけ神に祈っています。
そんな都合のいい祈りはきかれませんし、そうならないやり方がちゃんとあるのです。
だから、それを知らないといけないのだし、そのような法則を知って、その法則にあわせて心を正すなら、悪いことは起きてこないのです。
それをいつまでも理解せず、責任転嫁ばかりしているから、いつまでたってもよくなってこないのです。
しかし、この世に偶然はありませんし、自分の心さえ正せば悪いことは起きてこないということを知るべきでしょう。
そうして、仮に悪いことが起きてきても、正しい祈りをするのなら、その悪いことも調和と安らぎのうちに解決の道がついてくるということも知るべきでしょう。
現に、そのようなことが起きている人がいるのですから(私やウナッシーさん)それを信じればいいと思います。
今の考え方を頑なに変えないのであれば、よいことは起きてきません。何度もいいますが、もう皆さん方の考え方ではこの時代、通用しないからです。
だから、よくならないのです。いつまでも自分の心も行いも変えようとしないからです。
心と行いを変えませんか?(この教えにあわせてです)
そうすればよいことが必ず起きてくるからです。



人目の訪問者です。

自宅療養も終盤になりますが、昨日ふと思い出したことがあるのです。それは私は幼少の頃から軽度の吃音だったことです。それは私の生活とこれまで共にしてきた身体的な特徴でした。なぜふと思い出したかというと、視覚的障がいを患ったことがそれを忘れさせていたのだろうと思われます。よく考えてみたら、ここのところ、さほど気にならないほど良くなっていたのです。タイミング的には吃音が良くなる頃に視覚的障がいが出てきた感がありますね。社会復帰前にこのあたりをしっかりと確認しておきたいと思います。それまで喋ることが苦難であった私が、いつ頃からか気にしてなっかたことさえも気付かなかった位に、良くなっていたとは凄いことだと思います。余計に、気付きがあったことに意味があると思うのは至って普通の心境ではないでしょうか。
心が整ってくると、そのようなおかしかったところが正常になって行くということはあります。
別に視覚障害は関係ないと思います。
ウナッシーさんの心がよくなってきたから、吃音もよくなっていったのでしょう。